クィサ・フォ・オウヤナ その一

 狩人の武具は、龍の骨から作られる。その強大な生命力は骨のみとなってもなお健在であり、たとえ折れたとしても修復が可能だ。だが、誰にでもできるわけではない。この始原島に息づくある一族のみが、その術を受け継いでいるのだった。


 春香が訪れたのも、その刀鍛冶の一族、クィサ・フォ・オウヤナ刀を作る者の住まう集落だ。山間の、田植えがされた水田が広がるその地に彼らは生きていた。彼は青鞘の刀を腰に差し、紅い鞘の刀を背負って、白日の下、畦道を歩いていた。人通りはない。やがて、小高い丘の上にある、一軒の平屋の前に立った。


「頼もう」


 そう言って戸を叩く。ドタドタと足音がしたと思えば、扉が乱暴に引かれた。


「誰じゃ!」


 出てきたのは、灰色の肌をした、四本腕の男。背は低い。五尺ほどだろう。赤い瞳は、春香を試すようなふうだった。髪はなく、皴だらけの頭皮が露になっていた。


「俺は──」

「言わんでいい。目を見ればわかる。雷業じゃろう?」


 春香は頷いた。


天月てんげつだな。刀を直してもらいたい」

「まずは見せい。話はそれからじゃ」


 彼は背中の刀を差し出す。それを受け取った天月は、刀を一瞥した後、彼を舐めるように眺めた。


「この刀、覚えておる。確かに儂が作ったものじゃ」


 そう言いながら、天月は刀を抜く。刀身に入った大きなヒビを認めると、顔を顰めた。


「どでかい術を受け止めたな?」

「わかるのか?」

「誰に二百年刀鍛冶をしておらん。中でも、お主のような若者が無茶をしてできる傷はすぐにわかる」


 刀を納める。


「この程度ならすぐに直せる。が──」


 値踏みするような視線を春香に向ける。


「お主のような若造の言うことをホイホイ聞くのも癪に障る」

「なら、何をすればいい?」

「そうさなあ……」


 天月は顎を触った。


「一つ、導術を教えてやる。それを十日で習得すれば刀を直してやろう」

「いいのか? 俺が貰ってばかりのように思えるが」

「歳をとるとな、他人を試すのが楽しくなってくるんじゃ」

「な、なるほど……」


 とは言いつつも、理解も共感もしてない春香である。


「まあ入れ」


 家に戻る天月の後を、彼は追う。中は薄暗く、明かりと言える明かりはなかった。天井からは色とりどりの骨がぶら下がっており、中には金縋龍の透明な骨があった。


「全部刀の材料じゃ」


 彼の好奇心を察してか、天月はそう言った。奥にある机に赤鞘の刀を置き、彼に向き直る。


「ほれ、そっちの刀もじゃ」


 言われるがまま、彼は青い方も差し出した。


「これをこうして──」


 二本の腕で刀を持ち、もう二本の刀を躍らせる。


「こう!」


 手を叩く。


「抜いてみろ」


 と刀を春香に返す。鯉口を切ろうとするも、できない。柄を握って引っ張るが、いくら力を込めてもびくともしなかった。


「これから十日間、その刀は抜けん。身を守りたければ術を使うんじゃな」


 ホッホッホ、と天月は笑った。


「ほれ、軽く導術を使ってみせい」


 そう言われても春香は何をどうするともできず、気まずい沈黙を耐えることしかできなかった。


「お主、術は如何ほど使える?」

「刀を伸ばす程度のことなら」

「なんと! 纏術の発展形でしかない! まさか、雷業の跡継ぎがこんな有様とは。由々しき事態じゃ」


 天月は四本の腕で大袈裟に落胆を表す。


「先代は雷系統ならどんな術でも使いこなしたというのに……」


 父のことを言われると、春香としては言い訳のしようがなかった。言い訳をするつもりがあったわけではないが。


「まあよい。お主、それなりに戦場を経験していると見たが、何か困ったことは?」

「困ったこと? そうだな……先日、ある男と闘ったが、壁に阻まれて攻撃を封じられた。それさえなければ、刀に傷が入ることもなかった」

「ほうほう壁……障壁の類じゃな。よし、ならば空穿そらうがちじゃな」

「なんだか大仰な名前だが……どういう術なんだ?」

「見る方が早い。来い。教えちゃる」


 二人は裏山に入る。木々に草花、獣道。それを掻き分けていくと、少し開けた場所に出た。そこで天月は数枚の壁を生み出す。


「空穿はこう使う」


 掌の一つに球状の力の塊を生み出し、その壁に向かって突き出す。すると、そこから龍が飛び出て、壁を喰い千切った。


「わかったか?」

「いや、全く」


 天月は廿本の指を隔靴掻痒というふうに、グワグワと動かした。


「ぐぬぬ……空穿は貫通を目的とした術。障壁を形作る力の流れを阻害するのみならず、その方向を押し曲げて強引に障壁を破壊するのじゃ」


 そこまで言い切って、深い溜息を吐いた。


「まずは、これができるようになってもらう」


 と、掌にまた球を作った。


「導術とは魂から出づる力を導く術。起こそうとする現象を明確に思い浮かべることが必要じゃが、まずは力を制御できるようにならなければならない」

「そうは言っても──」

「わかっておる。そもそもこれを作る方法がわからんのだろう」


 天月は球を握りつぶした。


「体の中に筧があると思うのじゃ。そして、掌の中央からそうやって導いた力を雷として出す」


 春香はとにかく右手を広げて、目を瞑る。


(筧、筧……)


 その様はわかる。纏術でもそこは同じだからだ。稲妻を出すことには、成功した。掌から幾条もの雷が迸る。煌々と輝き、木漏れ日溢れるこの場所を明らめた。


「それを一本に束ねよ!」


 言われた通り、彼は稲妻達が一つになる様子を思い描く。現実も、それに応える。


「さあ、それを球状にするのじゃ!」


 必死に頭に浮かべる春香だが、そもそも雷の球というのがわからない。雷は線だ。丸くない。


 そこで彼は、左手も使う。無理やり抑え込めば、不安定に拍動する球が出来上がった。


「父ほどではないか……」


 その呟きは、春香には聞こえなかった。


 三日後の昼。彼は同じ場所で天月の生み出した壁を前にしていた。雷の球を両手の間に作り出して、そこから龍が出てくる様を念じてみる。だがそれは叶わず、球は霧散する。自分への失望の籠った息を吐きだした後、腰を下ろした。その時、木陰から見つめてくる二つの眼を見た。


「誰だ?」


 そう呼びかけると、瞳の主の男はその姿をさらした。概ね天月と同じだ。違うのは瞳の色。茶色だ。肌に皴はなく、若々しい。その左腰には刀があり、右腰には本があった。


風白かざしろ悠馬ゆうまと申します」


 彼は柔らかい声をしていた。


「天月先生に試験を課されたと聞きまして。僭越ながら、お手伝いをさせていただきたいのです」

「大丈夫だ」


 半ば反射的に春香は言っていた。


「これは俺が与えられた試練。俺の力でどうにかする」

「でも、進展はないのでしょう?」


 反駁のしようもなく、彼は黙って頷いた。


「どんな術も、呪文を知ることから始まります。それを詠唱することで世界に語り掛け、現象を起こすのです」


 悠馬は腰の本を取り、開く。


「詠唱無しに使えるのは余程の天才か、纏術か、もしくは術を何度も使って世界との間に繋がりが生まれた者だけです」


 本をはぐっていき、悠馬は春香に見せた。


「ほら、ここです」


 その頁を読んでいると、春香の内に一つの疑問が生まれた。


「なぜ纏術は詠唱がいらないんだ?」

「纏術は肉体という小さな世界に干渉する術です。一方で導術は、我々が生きている大きな世界に干渉する術。言葉を介することで大きな世界と繋がってはじめて、導術は発動できるのです。しかし小さな世界へは、そのような儀式を経ずとも干渉可能です。何故ならば、その世界を支配するのは自分自身ですから」


 子供に教え諭すような口調を使われて、春香は自分が何も知らないことを、再び感じた。


「さて、呪文は覚えましたか?」

「ああ、やってみる。ありがとう」


 春香は壁に向かう。そして、息を深く吸った。


 明くる朝。彼は壁を一枚打ち破った。


魂動こどうの制御が甘い!」


 天月は言う。手ごろな岩に腰掛けていた。


「鼓動?」

「魂が生み出す雷の力のことだ。聞いておらんのか」

「いや……」


 天月は溜息を一つ。


「お主、幾つだ」

「十五だが」

「ふむ、それなら知らんこともあるやもな」


 大きく伸びをした。


「一つ、聞きたいことがある」


 と春香。


「なぜ呪文を教えてくれなかった?」

「先代は必要なかったんじゃ」


 そう言われて、彼は恥じ入った。


「しかし、お主に才能がないわけではない。呪文を聞いてすぐに実行できるのは、やはり雷業じゃな」


 天月はひょいと岩から飛び降りて、彼に歩み寄った。


「呪文とは人の力じゃ。詠唱して術を使う分には呪いの進行も心配せんでいい。無論、実戦ではそんなことを言ってはいられんが」


 離しながら、天月は再び壁を生み出す。


「ほら、もう一度やってみせい。次はもっと意識を集中させるんじゃぞ」

「集中とは言っても、どうすればいい?」

「自分の引き起こそうとしている現象を細密に思い浮かべるのじゃ。心の乱れは術に出る。落ち着いてやるんじゃぞ」


 そうこうしている内に、十日の月日はあっという間に過ぎ去っていくのであった。