狩人の宿命 その一

 南港には、弔慕ちょうぼ丘という場所がある。ある女が水難事故で死んだ夫を弔うために墓を建てたのをきっかけに、この街の共同墓地となっている場所だ。その頂に、歴代狩人の眠る墓がある。その前に、頸創は座っていた。


「親父よう……」


 徳利から直に酒を飲む。これで三本目だ。


「俺が帰るまでは待っててくれてもいいじゃねえか」


 墓は何も答えない。ただ真っ赤な夕日に照らされるだけだ。


「もしまた会えたら、と思って色々話の種を用意してきたんだ。聞かせたかったぜ」


 頸創は十五の時に故郷を離れ、大陸に渡った。各地を巡りながら時折龍を狩り、ツンゾなどの犯罪者とも戦った。そして五年。二十歳になった彼は、凱旋とは言えないが方々で得た見識を持って帰還した。


「頸創」


 と背後から枯れた声で呼ばれる。振り返れば、泣き腫らした春香と、眼鏡をかけた茶色の瞳の少女がいた。


「よう。そこの嬢ちゃんは?」

「リズだ」

「ああ、目の色を変えるやつか。宴会道具だと思ってたが、案外使えるものなんだな」


 立ち上がると、ふらついた。すぐに春香が駆け寄って、その肩を支えた。


「随分飲んだみたいだが」

「このくらい屁でもねえよ。酔ってねえ」

「酒飲みは皆そう言うと聞くが」

「変な知恵ばっかありやがって。気にすんな、一人で歩ける」


 頸創は手を振り払った。赤ら顔で千鳥足の彼を、二人は呆れと心配とが半々になった顔で見ていた。


「春香、手伝ってほしいことがある。親父を……親父を殺しちゃくれねえか」

「俺でいいのか」

「一人じゃ無理なんだ。奉行所は動いてるみたいだが、やっぱ頼んだところで助けにはならねえ。だからあんたの力が必要だ」

「わかった。いつやる」

「明日の夜明けにやろう。早い方がいい」

「それでは、気持ちの整理がつかないんじゃないか」

「少しでも引き延ばしたらもう駄目な気がするんだ。だからとっとと終わらせる」

「そうか。なら、そうしよう」


 丘を下る。


「あんた、綺麗な目をしてるよな」


 頸創が出し抜けに言った。


「なんだ、俺に男色の趣味はないぞ」

「狩人やめて役者にならねえか? 二枚目としてやっていけると思うぜ。な、嬢ちゃん」

「お芝居のことはよくわからないですけど、かっこいい人だとは思いますよ」

「やめてくれ。その……恥ずかしい」


 目を逸らした春香の背中を頸創は強く叩いた。


「やっぱり酔っているじゃないか」

「うるせえ。人生の先輩に軽々しくそういうこと言うんじゃねえよ」


 何度も背中に痛みを受けながら、春香は自分の目のことを考えていた。目は魂を映す。その色は魂の色であり、どのような術を使えるのかを示すのだ。赤なら雷、緑なら風、といったように。


 その中でも春香のような宝石の目は、世界に存在する四氏族にしか現れない。


「俺も欲しいぜ、カミハテの目」

「カミハテ?」


 春香が尋ねた。


「世界を作った四柱の末裔、ですよね?」


 説明しようとした頸創は、その手柄をリズに取られて不服そうに頷いた。


「精神を司る炎。体を司る水。時間を司る風。そして空間を司る雷。それぞれの神が人間と交わって生まれた一族。それがカミハテだ」

「そんな話も聞いたかもしれないな」

「あんた、やっぱ馬鹿なんじゃねえか?」

「失礼だな」


 市街地に入る。すぐ隣を子供が駆けて行った。


「頸創、お前の目は青いが、龍仕人の力を持っているのか?」

「おう。どんな属性の術も使えるぜ。ま、カミハテには及ばねえよ。だから羨ましいのさ」


 春香は昔のことを思い出す。目を褒められた記憶がある。


「そうだ、灰鋸龍と闘った時、鞘を投げて移動していたな。どうしてそんなことができるんだ?」

「俺の鞘は二重構造になってる。内側に呪文を彫り込んで、その上に龍の骨を重ねてるんだ。瞬間移動は空間術だからな、お前もやろうと思えばできんじゃないか」

「鳴崩がある。困ってはいない」

「ま、気が変わったら言ってくれよ。いくらでも手伝うぜ」


 赤い街を進んでいると、一人の青年が走り寄ってくるのを一行は見た。精悍な顔つきで、灰色の目をした、黒髪の人物だった。腰には打刀と脇差がある。


「頸創!」


 彼はそう叫んだ。


「帰ってきていたのか!」

せいぜん……!」


 頸創は男の名前を呼んだ。


「知り合いか?」

「紹介する。生天目なばため清然。俺のダチだ」

「町奉行だ。大体のことはばあやから聞いている。何かあったら言ってくれ。いつでも対応する」


 神経質な声の清然は少し早口気味にそう言うと、春香に握手を求めた。応えた。


「カミハテがいてくれるとなれば、心強い。よろしく頼む」

「心強い、というのはどういうことだ。何か事件でもあるのか?」

「事件なら毎日起こっている。お世辞にも治安のいい街とは言えないからな。だが、雷業の名が知れればそういう者達も大人しくなるだろう」


 捲し立てるような言い方に、春香は少し苦手意識を覚えた。


「だから名前を貸してくれ。事務的なことは全部奉行所でやる」

「そ、そうか。俺みたいな未熟者の名前でも意味があるなら、そうしてくれ」

「助かる。先代様が亡くなって抑止力を探していたところなんだ。頸創、お前にも協力してもらうぞ」

「おうよ。任せな」


 清然は春香から離れて、背を向ける。


「最近新聞なるものが流行っていてな。そこの者に話を付けてくる。君たちに話を聞きに来るかもしれないが、その時は適切に対応してくれ。それではな」


 速足でキビキビと彼は去った。


「昔からああなんだよ、あいつ」


 そう言う頸創は笑っていた。


「悪い奴じゃねえ。のめり込むと話を聞かないところがあるが、少なくともあんたや嬢ちゃんの不利益になるようなことはしねえよ」


 だが春香は聞いていなかった。ずっと、清然が消えた方向を見つめていた。


「どうした?」

「俺は、今度こそ守れるだろうか」

「あんたは強い。少なくとも俺はそう思ってる。まだまだガキなんだからよ、そうやって気負ってても疲れるだけだぜ」


 肩に手を置かれたことにも気づかない、春香。


「よし! 豚カツ食いに行こうぜ!」

「とんかつ?」


 彼は変な声で訊いた。


「大陸から来た料理だよ。ぶらぶらしてたらよ、店ができてたんだ」


 頸創が陽気に歩き出す。二人はただ、後を追うだけだった。


 豚カツ屋というのは、大通りに面したところにある。すでに夕日は沈み切った頃。白熱電球の光が街を照らす。その下で、出会いと別れがあった。


 店の暖簾を潜る。


「いらっしゃいませ~」


 看板娘が頭を下げた。着物をミニスカート風に改造した、春香にしてみれば少し下品な服装だった。


「鎌風頸創だ」

「鎌風様ですか⁉ どうぞ、奥へ……」


 娘について狭い廊下を歩いていると、下卑た笑い声が響いてくる。そういう者たちを、春香は軽蔑していた。


 二階の、一番奥の座敷に通された。四角く並べられた座布団にめいめい座る。


「ご注文はいかが致しましょう」

「一番うまいのを三人分頼む」

「いいのか?」


 不安げな春香の問いに、頸創は笑って答えた。


「せっかくこの街に来たんだ、美味い大陸料理を食わなきゃ損だろ。あ、金のことは心配すんな。いざとなったら奉行所にツケるさ」

「それならいいんだが……」


 よくはない、と内心思いながら春香は言った。リズは不慣れな様子で顔を右に左に動かしている。


「名家の坊ちゃんなら、こういう店はあんまり来たことがないだろ」

「そうだな。大抵は料理人が屋敷に来ていた。行くとすれば視察に出た時くらいだったな。それと……許嫁と抜け出した時だ」

「なんだ、浮いた話もあったんだな。で、美人か?」

「俺にはもったいないくらいだった。死んでしまったが」

「悪い、嫌なこと聞いちまったな」

「いいんだ、もう、過去のことだ」


 そう自分に言い聞かせるように口にした春香は、暗雲のかかった顔をしていた。


「嬢ちゃんはどこの──いや、フバンハか。ユヤデオナ家だもんな」


 フバンハ。大陸の西と東を分ける山脈にある、神の地。


「ユヤデオナ、とは何なんだ?」


 春香が問う。


「古い言葉で『歴史を守る者』を意味します。龍仕人が受けた神託を記録し、解釈し、後世に残す。その役目を担っています」

「だから、実質的に大陸を支配してるのはユヤデオナ家って言うやつもいる。実際どうなんだ?」

「私はまだ数えで十三ですから、仕事には関わっていません。でも、確かにそういう言い方もできるかもしれませんね」

「しかし、それほどの重役となると勉強も大変ではないのか」

「そうですね、たくさん本を読みました。でも、私好きですよ、勉強」


 リズの瞳に嘘偽りはない。それを感じ取った春香は、自分が知っている世界の狭さを思い知った。父がわざと教えなかった、ということはないと信じていた。


「お待たせしました」


 襖が開かれる。娘が三つの膳を器用に持ってやってきた。


「ヒレカツ定食でございます」


 千切りキャベツに、大きなカツ。リズの顔がパアッと明るくなった。


「それでは、お楽しみくださいませ」


 三人だけの空間が帰ってくる。


「んじゃ、いただきます、と」


 ほぼ同時の合掌。各々、箸を取った。


「どうだ、美味いか」


 頸創に問われて、春香は頷いた。食事は静かに。それが父の掟だった。


「この店は俺も初めてだが、当たりを引いたな。嬢ちゃんは……聞くまでもねえか」


 リズはがっついていた。頸創の言葉など聞こえず、白米を掻き込んでいた。


「春香、俺と組まないか」


 提案を受けてから応答が来るまで、少しあった。口の中にある者を飲み込んでいたのだ。


「組む、というのはどういうことだ」

「俺とあんたでこの街を守っていかないか?」

「兄上と合流するまではそうするつもりだ。その後のことは追々考えさせてくれ」

「ま、そうだよな。その兄貴がいつ来るのかもはっきりしないんだろ?」

「なぜわかった」

「あんたのことだからな、そういうことだと思ってたぜ」

「恥ずかしいな」

「兄貴、どんな奴なんだ」

「優しく、一所懸命な人だ。金縋きんついりゅうの透明な骨を使った刀を持っていてな、導術の腕なら父上を超えるか、少なくとも並ぶはずだ」

「そりゃすげえ。で、どんな術を使うんだ」

「炎と雷を混ぜた、熱線を主に使っていたな。白雷びゃくらいという術はとりわけ強力だった」

「一度お目にかかりたいものだぜ。だが、雷業は炎を使えないだろ」

「義兄なんだ。昔、父上が赴いた戦場で拾ったと聞いている」


 そうして、暖かい時間が流れた。満腹の頸創が爪楊枝で歯間を掻いていた。


「んじゃ、行くか」


 彼が立ち上がりながら言った。


「本当に奢ってもらっていいのか?」

「どうせ文無しだろ、あんた」

「それはそうなんだが」

「人の好意は素直に受け取るものだぜ」


 彼が、自身の膳にあった伝票を持って襖を引く。


 階段を下りて勘定をしよう、というところで春香は看板娘に突っかかる男の姿を認めた。大変怒っているようだが、頬は赤かった。

「何をしている」


 春香は頸創を追い越して、男の肩を掴んだ。


「ああん?」


 酒臭い息が彼の顔にかかる。


「この娘を抱いてやろうっていうのによお、嫌だって言うんだよお」

「下品だな。ここは遊郭ではないぞ」

「俺は鎌風の跡取りだぞ!」

「おいおい、嘘はやめとけよ」

「んだと──」


 男は頸創の目を見て、言葉を詰まらせた。鎌風の象徴。青緑の目。それが、そこにあったのだ。


「一緒に奉行所行こうぜ。話ならいくらでも聞いてやるよ」

 クイッ、と頸創は顎をしゃくる。


「ど、どうかお許しを!」


 男は哀れに土下座した。


「殺しはしねえよ。だが、そういう処分は清然の決めることだ。下らねえ嘘を吐いたことを後悔するんだな」


 頸創がこのつまらない男を見下していると、すぐに足軽がやってきた。単発銃と刀で武装して、男を引っ張っていった。


「お代は結構です」


 勘定場の奥から出てきた、線の細い男がそう言った。


「娘を助けていただき、誠にありがとうございます」


 彼は深く頭を下げた。頸創は誇らしさと気恥ずかしさの混ざった表情で頬を掻いてから、笑った。


「美味かったぜ。じゃあな」


 外に出れば、星空が出迎えた。夜は静かに過ぎていく。