-南②- 百二十五話「終わってるヨークシャー」



 ■:魔法大国グラネイシャ・王都王城、南城壁サウスランパート



 セレナ・グウェーデン視点。



 眼前に立つ男の姿を、わたくしは知っていた。


 わたくしがまだ子供のころ。

 父から剣士の修行を受けていたあの古き記憶。

 その最中、たまたま出払っていた時、街中で見かけた凱旋に。

 この人に似ている人物が隊列に居た覚えがあった。


 その記憶はわたくしのとても古い記憶で、だから曖昧だ。

 この同僚が似ているとは常々思っていたが――。


『…………』

「あらら、少々空気を読み間違いましたかな。凍結させる意図はなかったというのに」


 銀髪の高身長、整った顔の作りに青く鋭い瞳がさしてきて。

 何故か多い露出からうかがえる鍛え抜かれた肉体を見せるこの男。

 ――ヨークシャー・ケミルは、確かにあの時見た男の姿を、重なっていた。


 第十三部隊 隊長。

 隊長という部分で同じ役職でありますが。

 わたくしはこの瞬間、はっきりと自覚した。


「さて異形種。あなたは一体、どういった信念で戦いを?」

『……何ヲ言ッテイル』

「なぁに単なる余興ですよ。わたくしは戦う相手を選ぶ性分でして」


 と、先ほどまで場を震撼させていた異形種に対し、物怖じしないで言う。

 わたくしはヨークシャー隊長の背後で寝かされていた。

 地面にそのままではなく。

 ヨークシャー隊長がどこからか出したポーチを枕にしてねころがっていた。

 もちろん、それは自分からわたくしを気遣って出してくれたのだろう。


 そして彼はわたくしの目の前で剣を抜かず。

 鋭い瞳で目の前の異形種の相手を始めた。

 もっとも相手というものの、いざ開戦したのは、対話であったが。


『私ハ自ラノ本能ニ従イ、人ヲ屠ル』

「本能なんぞ、見え透いた妄言であろう?」

『……何ィ?』


 先ほどまで悠々とした態度であった異形種であるが。

 何故かヨークシャー隊長に対し、少し弱ったような受け答えをした。


 もしかすると、先ほどの一幕にて、

 ヨークシャー隊長に動きを見切られたことへの、

 分かりやすい焦りが出ているのかもしれない。


わたくしある程度宗教などに寛容でありますが、悪事を生物の本能や神の啓示と仰る狂信者は底が知れて味気ない。わたくしはある程度戦いに意義があるべきであると思っている。わたくしがあなたを今ここで殺したとして、果たしてわたくしが何を想うのか」

『……ハッ、見エ透イテイルノハ貴様ノ方デハナイカ、男ヨ。私ト戦ウノガ怖イト言ウノナラバ正直ニ答エレバ』

「笑止」


 異形種は鼻で笑うように言葉を返すが、それを一蹴したのは紛れもない彼であった。

 彼は自身の透き通った声で、強く言葉を放った。


「見え透いているのならばそれは妄想である。わたくしの心が分かるのならば、とうにあなたは投降しているし首を切っているであろう。動物でも威勢くらいつくのだな」

『……何ヲヌカスカ、人間風情ガ』


 その言霊に乗せた怒気を放ち、異形種は血管を浮き上がらせ。

 ――消えた。


「な……」


 とはわたくしから飛び出た腑抜け声です。

 その場から唐突に姿が消える。

 先ほども似たような出来事が起こったが、しっかり視界に収めたのは初めてでした。


「なるほど」


 謎の納得。

 わたくしは彼の思考が全く読めませんでした。

 まるで見ている世界が別物であるような、

 そんな印象を抱きました。


「――――」


 彼はおもむろに腰のサーベルを引き抜き。

 右手に握ったまま横へ突き出し。

 口を開いた。


「――【剣技】使徒発火」


 途端、剣先に伝ったのは、蛇に酷似していた発行体であった。

 そして次の瞬間。


「現しなさい。真実を」


 勇敢なる宣言と共に。

 剣先から発せられた光が周囲を照らした。


 そして現れたその影が、形を獲得していって。

 その獰猛な怪物の姿が垣間見えた。


 わたくしの背後に立っていた異形種の姿だった。


「――――ッ」


 消えていた!?

 先ほどまでその場所には何もなかった筈。

 しかしヨークシャー隊長の剣技の力か、唐突に姿を現した……?

 この異形種の魔法はまさか。


「姿隠しの禁術――?」

『クッ……』


 わたくしが呟くと同時に、異形種が奥歯を噛みしめた音がした。

 脳内に合った知識の中からふと弾き出されたのは。

 家の図書室にて一度だけ見た事がある禁忌魔法の記述があった本であった。


『――――!!』

「……えっ」


 その刹那、異形種は腕を振り下ろし、わたくしに向かって強靭な刃が届きそうになった。

 わたくしは負傷せいで動く事なんてできなくて、だから。

 瞬間的に死を悟った。


「はっ」


 無意識に息を呑んで、わたくしは恐怖から両目を閉じた。



「ほう」



 ガキン。

 という大きな金属音がわたくしの頭上で鳴り響いた。

 わたくしがゆっくり目を開くと。


「姿隠し。人を害する可能性があるとして禁忌に認定されていた大昔の幻影魔法の一種。現在では規制によりほぼ失われかけていた魔法を、今になって異形種が使用するとは何とも数奇な」

『ッ……! ドコマデ私ヲ愚弄スル気カ!! 青二才ガ!』


 わたくしの頭上にてサーベルが、異形種の爪の隙間に入り込んでいた。


 どうやら異形種の一撃をヨークシャー隊長が防いだみたいであり、だが。

 肝心の彼はわたくしなんて居ないような振る舞いで、異形種と会話を進める。


「青二才っ? それも面白いご意見だ。しかしながら自らの無能を真摯に受け止められない時点で程度が知れているな」

『――戯言ヲ!』

「……ひっ」


 わたくしの頭上で、異形種の爪に力が籠った。

 だがどれだけ異形種が力を籠めようとも、

 ヨークシャー隊長のサーベルを払いのけるには至らなかった。


「戯言? それもまた興が湧くご意見である。しかしながら真っ当な理屈さえ屁理屈だと思うのならば、あなたの先が思いやられる――ッ」


 語彙を強くした途端、わたくしに全く影響がない衝撃が頭上で発生した。

 即座に飛ばされたのは異形種の方であり、断末魔すらあげれぬまま、城壁の真下で砂埃を飛ばした。

 飛んだ方向には我々が設営した拠点があったのだが、

 ヨークシャー隊長の計らいか、どこにも被害が出なかった。


「ひっ、きゃああ!!」


 聞こえてくる悲鳴。

 拠点内に居た治癒術士によるものであった。

 砂埃から起き上がる黒い獣に、悲鳴を上げたのだ。


 そんな起き上がった異形種は。

 冷や汗をかきながら立ち上がり、そして周囲にいる人間になんて目移りせず。

 一直線とヨークシャー隊長を睨んだ。


『クッィ……』


 その苦悶の表情には、唇を噛む勢いの歯が覗いていた。


「恐れる事はない、レディ」


 そんな鋭い視線を無視するように、ヨークシャー隊長は拠点にて叫んだ治癒術士に声をかけた。

 何たる度胸、いいや世間知らずというのだろうか。

 このような異常事態、拠点に異形種が突っ込んでしまった現状を見ても、

 この男は何の焦りも生まれないの?


「安堵したまえ、そこにいる怪物は既にわたくしにしか目がない。巻き込むつもりは到底なかったのだが、迷惑を考えずにやってしまった愚鈍さを恥じるとしよう」


 違う。この男は……。

 確信があるんだ。


「さて、お待たせしました、異形種。やっと準備が出来ましたよ」

『……準備、ダト?』

「ええ」


 男は自身のサーベルを異形種へ向け、銀髪を揺らし。

 口角を上げて、言葉を吐き出した。

 ――その顔に、気分の高揚を覗かせて。




「お相手しましょう。わたくしのフィアンセよ」




『ツクヅク、苛立チガ抑エラレン相手ダナァ!』




 異形種の怒号が響き渡り、震撼するその場にて。

 男はサーベルを地面に突き刺し、まるで楽しそうに笑みを浮かべて。

 刹那、異形種が空に打ち上がった。



――――。



 打ち上がる。

 青い閃光に突き動かされ、異形種は黒い塊を口から吐き出す。

 空高くから見える景色はまた刹那的で。

 ぐるぐる視界が回る中、異形種は叫んだ。


「――死ノ三、虚空!」


 空高く響く声は、空気を纏い自身を突き動かした。

 空気すらも押しつけ移動する様は、

 もはや地上にいる騎士らに捉えられない情景であった。




 落

 下

 。




 その異形種は、王城の城壁の上へと落下した。


 酷く冷たい城壁の上には、10メートルほどの横幅が存在し。

 ぽつぽつと降り始めた小雨と共に、異形種は体を起こした。

 当然、その眼前には、あの男が立っていた。


『何者ダ』

「何者? 人間でありますが」

『人間ノ強サデハナイ。オ前ノ、オ前ノ……――お前から感じる気迫はァああ、まるでえええ!!』


 異形種は取り乱した。

 恐怖、恐怖恐怖。

 それら忘れていた生々しい感情が、今こうも叫んでいる心境に。

 知らなかった筈の言動が、知らなかった筈の記憶が呼び起こされ。

 異形種『きょむ』は狂乱した。


 まるであの時の、まるであの刹那の、まるであの一太刀の。

 思考が、景色が、感情が、覚えが、震えが、全て異形種に覆いかぶさった。

 深く深く、知らぬ深層に眠っていた悍ましき記憶が。

 今この場に、蘇ろうとしていた。


 そして、思い出す。


『お前は、ヨークシャー・ケミルか?』

「――如何にも」


 その呼びかけに、男は言葉だけで肯定した。

 異形種はすぐ思いを改めた。

 これは思い出したのではない。何故ならば、この男と過去に出会った覚えなんてないからだ。

 そしてふと、その異形種は『ヨークシャーの武器』であるサーベルを睨んだ。


『貴様の剣、ただの剣ではないな?』


 今まで気が付かなかったが、その剣から感じる違和感は、気が付くと酷く分かりやすかった。


 異形種は考えを巡らせる。

 過去に、あの剣について話を聞いた事があった気がすると。


 そして遡る事数刻前、

 あの崇高な本能の主である彼女が仰っていたものと合致した――。



 ■――――■


『形は分からないけど、切られて“違和感”を感じる剣があったらすぐに彼を呼びなさい。

 その剣はどんな異形種でも対応できない魔剣であるから』


 ■――――■



 魔剣。

 異形種は思い出して。

 全身に寒気が走った。


 主である死神様が注意しろと仰っていた魔剣が。

 今、私の目の前に存在していると。

 思ってしまったから。


 怖くなったわけではない。

 理性は正しく、人を食おうとしている。

 だが、だがだがだがだが――だが。



 己の原動力としてきた【本能】が、

 眼前のサーベルの対し、

 拒絶反応を示していたのだ。



『……ありえない』

「随分、怯えていらっしゃいますが」

『――――』


 男はサーベルをいやらしく異形種に見せつけながら、視線を釘付けにしたまま。

 言葉を呟いた。







「何か恐ろしい事でも、思い出したのでしょうか?」







 恐ろしい。

 異形種は、そう思っていた。



 ヨークシャー・ケミルは、そのサーベル。

 【魔剣】カルベージュを一振りして。

 その異形種を屠った。



――――。



 ヨークシャー視点。



 やはりどうやら、この魔剣は、何か呪いの類があると思われますねぇ。


 とある戦場の元にてわたくしの目の前に突き刺さったこの剣は。

 魔物相手にとてつもない効力を持っていました。


 この剣について。

 わたくしは何も知らないのですが。

 それでもわたくしは、ある意味この剣に魅入られているのです。


「――――」


 先ほどの異形種の怯えようから見るに。

 この剣は、やはり何かおかしい。

 魔道具とも違うし、錬成武器とも違う物だ。


 いやはや。

 もうこんなに考えるのもやめようと思っていたのですが。


 嫌ですなぁ人って。

 どんなけ奇人を振る舞おうと、

 どうしても考えにふけってしまう。


 まあいいのです。

 人でありますから。

 わたくしも安心です。

 人であるから。


 ただ……、この剣の力を持て余している気がします。


 きっと、分かりませんが。

 このサーベルは持ち主を選んでいる。


 わたくしの目の前に落ちて来た時も、

 まるであの時のわたくしを見ていたかのようなタイミングでした。


 思い出したくもないあの刹那、

 知られたくないわたくしの素顔。

 誰かを助けられなくて、

 誰にも頼れなくて、

 治癒術士として終わったあの時。


 終わってるヨークシャーとなったあの時間。


 わたくしの、魔物に対しての憎悪に共鳴するかのように。

 この剣はやってきた。




「……いけないですね」


 悲観している場合ではありませんでした。


 まだ城壁の下では戦闘が起こっている。

 何も戦いは終わってはいなぁい。

 下品を刻まなければなりません。

 思い出さなきゃ。


 わたくしは剣を下ろし、城壁の上から下を覗いた。

 そして足元に見えた黒い影が。


「――――ッ」


 自分の物ではない事に気が付いた。


 サーベルを地面にたたきつけて、その影を攻撃すると。

 その影は目にも止まらぬ速さで後退し、

 そして先ほどの異形種の死体まで帰っていった。


 次の瞬間。


 先ほどの異形種の死体の真下から、巨大な牙が生えて来て。

 その巨大な口の様な物が死体を喰らった。


「……何が、起こっているのですか?」

『説明が必要ならしてやるがぁ、難しいと思うぜ兄ちゃん』


 刹那。

 異形種の死体を喰らった牙が、地面の影へと戻った時。

 その奥で、忽然と立っていた存在が。


 濁りの無い言葉を駆使して台詞を紡いだ。


 見た目は、ほとんど人型だった。

 しかしそのシルエットはほとんど真っ黒で、頭にツノを生やしていた。

 その男は――明らかに人間ではなかった。

 人ではない存在、魔物に近いであろう風貌である。


 だが。

 異形種にしては。

 姿が人間すぎた。


「難しいとは、どういう事でしょうか。お聞きしても?」

『……ふん』


 わたくしが会話を始めようとすると、その存在はどこか俯いた。


 そして頭を上げたと思うと。


『魔剣はもう流れ過ぎた。色んな人間を行ったり来たり。流石に怨念が強すぎるんじゃねぇか? 死後に強まりすぎだぁ、オラーナ』

「……何を仰っているのですか?」

『もういいだろう。お前も長い事生きて来て、まだシンペイを見つけられていないんだ』

「……誰と喋っていらっしゃるのですか?」

『そろそろ死んでもいいんじゃねぇのか? まぁ、成仏とか考えられないもんな。シンペイと違って肉体も魂も全部魔剣にしちまったわけだし』

「……………」

『残念だぜ。分かり合えると思っていたのに』


 その存在は、どうやらわたくしと会話をしていないようだった。

 最初から、まるでわたくしの言葉を聞いていないような態度。


 いいや、今ではないのか?

 隙だらけだ。

 明らかに異形種であるあの存在を、

 わたくしが倒さなきゃいけないのでは?


「――――――――」

『……ほう、気が付いたか』


 ――何を誤認していた?


 この男に、

 “隙”なんて存在していない。


 わたくしとのあの男の距離も、この空気のせせらぎも、今の会話すらも。

 全て『隙だらけ』と誤認させるための手段。

 人間技じゃない。

 異形種という人間から外れた存在であるにも関わらず。

 あの男の次元が、もう、わたくしが知っている誰よりも上である。


『まあ、いいだろう、その魔剣が一度でも気に入った男だ』


 男はやっとわたくしを睨みつけ戦意を見せた。

 わたくしはサーベルを構え、

 いつもより冷や汗をかきながら空気を吐いた。


 そんな異形種は、次の瞬間、口を開きながら。

 右手を前にかざした。




『……仮名は【やしゃ】、覚えておきなぁ。さあ、終わりでも始めようか』




 大地を揺らす程の魔法が、空気を飲み込む虚空が。

 真っ黒な閃光となり。

 ヨークシャー・ケミルを捉えたのだった。




 余命まで【残り●▲■日】