会いたい。
そう思ったのは、昼過ぎの事だった。
俺は両手を無気力にぶら下げ、今日も窓の外を眺めていた。
「………」
サヤカはしばらく帰ってきていなかった、だから流石に心配だった。
心配だったのも、あるけど。
一人で家に居るのも。何か苦しい気がした。
昔の感覚と同じだ。
昔の、何十年と引きこもっているあの日々と似ている。
全部が裏目に出て、何もやる気力が起きなくって。
自分のリアルに絶望して、涙も枯れて足も動かなかった。
本だけ読んでふわふわのベッドで寝て、時々お酒が飲めればよかった。
そんな日々で、ずっと苦しかった。
苦しかったけど、そこから抜けだそうとは、思ってもみなかった。
「今思えばぁ、父さんが俺を追い出してくれなきゃ。多分、ずっとあの部屋に居たんだろうな」
ずっと、あの暗闇に居た気がする。
一年。一年と言う短命を言い告げられても、きっとあの部屋から出ることは無かった。
自分の人生に絶望して、希望なんてなくって。
「――――」
もう全部諦めて、諦めたなりに両手を大きく開いてジタバタすることもなく。
ずっと丸く。本の世界に出てくる、ダンゴムシの様にくるまっていた。
暗く、狭く、小さい世界が。俺の人生そのものだった。
『人間は未完成のパズルと同じ。
何かが抜けていて、常に間違ったピースで埋めようとしている。
本当は正解のピースが目の前にあっても、盲目の演技を貫くんだ』
俺が大好きだった。『エレメントス』と言う題名の本。
それに書かれていた名言だ。
確か、この世界と違う世界を描いた物語がエレメントスと言うお話だ。
確かぁ……スマホとか、クルマとか、デンシャとか。
そんな摩訶不思議な物が出てくる異世界での話で。
そんな異世界の住人である主人公が、この世界に突然転移することとなり。
異世界で起こった事件と、異世界との相違が鮮明に描かれた物語だった。
「斬新な異世界の話で。だから、すっごい人気だよな」
何巻か出ていた物を、俺は買いあさっていた覚えがある。
創作にしては出来過ぎていると噂になっていたが。
ま、そこはいい。
人間は未完成のパズルと同じ。
何かが抜けていて、常に間違ったピースで埋めようとしている。
本当は正解のピースが目の前にあっても、盲目の演技を貫くんだ。
盲目の演技。俺は昔、それだった。
希望なんてないと、希望が手を伸ばせばあるのに自分に暗示して。
自分の殻に閉じこもって、時間の経過だけを願っていた。
誰もが俺を忘れて、みんなの中から消えたかったのかもしれない。
正直。当時の状態を説明することは今の俺にもできない。
色んな私怨と。
弱い感情と。
愚かな愚行が重なり。
俺は自分で自分を縛っていた。
「もし父さんが、俺を追い出さなかったら」
全ては、あの行動から始まった。
サヤカとの冒険も、俺たちの戦いも。
結果的に、父さんの強引なあれは、俺にとっていい結果になった。
もしかしたら、誰かにそうしてもらうのも、望んでいたのかもしれない。
自分でもあの頃の感情は理解できてないんだ。
分からない。
でも、お陰で家族が出来た。
大事なサヤカが出来て、大事な友達も出来て、疎遠だった兄妹と再会できて。
もう一度頑張ろうと思っていた。
やり直せる。俺はもう大丈夫だって。
でも。
「――――」
一人だった。
俺は一人で、椅子に座っているだけ。
胸に穴が開いた感覚に苛まれ、苦しいとは言えないそれと、無気力なその全身が。そこにあった。
戻りたいとは思うけど。思うだけで体はついてこない。
こんな時、父さんが居たら。
きっと俺に、厳しく当たるんだろうなぁ。
「――少し、疲れたな」
色んな事が立て続けに起こりすぎた。
たった半年で俺は変わることが出来ず、結局いざという時に動けないおじさんとなった。
唯一の個性でもあった魔力を奪われ。騙され。
俺は今、人生のどん底に居る。
俺の寿命も、あと半年だ。
半年、半年かぁ。
……今殺してくれよ。
幸せはいずれ終わる。
どんな関係でも、どんな趣味でも、どんな世界でも。
必ず終わってしまう。
死別、決別、絶交。
飽き、事情、挫折。
成長、感情、寿命。
もう、眠りたい。
終わらせてくれ。
――――。
「――――え」
俺は、立っていた。
立ち上がっていた。
椅子から、立ち上がっていた。
全身が言う事を聞いた。
腕の感覚があった。
足の感覚もあった。
五感もいつもより敏感で、今、世界の主人公になった気分だった。
どうしていきなりこんな事態になっているのか自分でも分からないけど。
多分、違うからだ。
今の状態は昔に似ているが、昔と今は違うのだ。
あの時の俺と、今の俺は違うんだ。
あの少年が居てくれたから。
あの友達が居てくれたから。
あの家族が居てくれたから。
俺はもう一人じゃなかった。
仲間が沢山いた。
もう一人じゃない。俺は俺だ。
『――幸せになれ、ケニー』
俺の名前はケニー・ジャック。
俺は不治の病に掛かって家から勘当されたんだが。
その腹いせと言うか血迷いで性奴隷を買っちまったんだ!
で、その性奴隷が……超美形の男の子だったんだ。
――――。
白い天使が、その場に舞い降りた気がした。
熱狂が覚め、満足げに空を煽っているお金持ちが居る中。
舞台の上で。司会者の男に髪の毛を引っ張られた少年が居た。
天使、だった。ある意味一目惚れだった。
――一瞬だけ、その子と目が合った気がした。
その一瞬で、俺は決めた。
幸せにしてやると。
――――。
――。
「くっ――!」
俺は走り出していた。
宿の周りを何周もした。
既に日が落ちかけていたが、そんなのお構いなしに走った。
商店街を走った。路地裏を走った。
月が出ても走った。
探した。
戻ろうとしている。
何度も空回りをしてきた俺なのに。
どうしてこんなに進めるんだろうと疑問に思った。
でも走れた。動けた。
それは戻りたいからだ。
会いたいからだ。
俺は会いたいのだ。もう一度やり直したいのだ。
きっと俺は何度だってそう望む。
俺は何度でも絶望に堕とされて、諦めない。
確かに幸せはいずれ終わるのだろう。
だが、違う。
死別、決別、絶交。――再会。
飽き、事情、挫折。――好き。
成長、感情、寿命。――幸せ。
終わった後でも、また始められる。
一度死んだ人生でも、また再スタートできる。
俺の人生は俺の物だ。好きに使うことが出来る。
いずれ無くなるとしても。
それが死ぬ理由にはならない。
生ある限り。俺は諦めたりしない。
「――――!!」
前の俺ならこうは考えなかった。
「――――ど!」
前の俺なら諦めていた。
「――――どこだ!」
前の俺は死んでなんかいなかった。
「――――サヤカぁ!」
『もし、昔の自分に一言だけ言えるなら。人間はなんと言うか』
「俺はケニー。サヤカの親で、モールスの友達で、サーラとは旧友で、モーリーとはいい仕事仲間で、ロンドンとは気が合う友達で、トニーと親友で、ヨアンとはいい父親同士で――」
みんなみんな。俺の仲間だ。
まだまだいる。カールもゾニーも、ケイティもエマもそうだ。
みんなが俺の仲間で、俺の一部だ。
諦めたら、そいつらが悲しむ。
だから、諦めない。
――――。
結局と言う物の、俺は日が変わるまで走り続けた。
走って走って走って。
で、見つからなかった。
サヤカはどこにもいなかった。
きっともう、遠くへ行ってしまったのだろう。
俺を置いて、行ってしまったのだろう。
「……」
悲しい。虚しい。
でも、それは動かない理由にはならない。
今俺に出来ることをしようと思った。
だから歩みを止めなかった。
いつの間にかケイティの公開裁判が明日に迫ってきていた。
重大な事件と言う事で、裁判は誰でも参加可能な王城広間にて開催されるらしい。
それも、サザル王国の裁判は特殊で。
公開裁判に至っての話だが、裁判の結果を多少なりとも参加した参加者が動かせるらしい。
最終的な決定は裁判長と呼ばれる存在が行うが。
事件の成り行きを話し → 被告人の弁明 → 騎士側の意見 → そして弁護人の証言。
そんな順序で行い。最後に、参加者全員の意見を投票し、それを見て裁判長が決定する。
それがサザル王国での公開裁判のルールだ。
だから、その場にいる参加者の意見を動かせるくらい。
俺が弁護人として証言すればいいのではないか?
「俺に、出来るか?」
俺はそこまで自分の言葉に自信がない。
ケイティを無罪にする為に、俺はその場で起こった事実を言うべきか。
はたまた、大衆を欺く大嘘を吐き。俺は道化師になるのか。
とにかく、一旦家に帰ろう。
帰り際に夜ご飯は買ってきた。
一晩使って作文でも作れば、明日には間に合うだろう。
やれることをやって、出来るだけいい結果にしてやろう。
それが裏目に出るかもしれない……。
「……んっ」
パチン。と、俺は自分の頬を両手で叩く。
大丈夫だ。心配する事ない。
サヤカが居なくっても、俺は上手くやれる筈だ。
「――――」
サヤカはきっと、一人でやっていけると思う。
俺がああゆう手段を取ってしまったからだ。
全部は俺が不甲斐なくって、馬鹿だったからだ。
俺の責任だ。
もしかしたら永遠に会えないのかもしれない。
それでもいい。
もしかしたら近くにいるのかもしれない。
それでもいい。
もしかしたら既に俺の事を忘れているのかもしれない。
それでもいい。
もしかしたら、宿に戻ってきてくれてたり。
「…………何考えてんだ、俺」
そうゆう妄想はもう辞めなきゃいけないな。
全部かたずけてから考えよう。
ケイティを無罪にして、グラネイシャに帰って、マルを抱っこして。
そこに、あの白い存在は居なくって。
そこで初めて悲しんだ方が、いい。
今はダメだ。今考えたら、きっと俺は。
耐えきれない気がするから。
「ただいま」
もう誰もいない筈の玄関を進み、俺は。
「おかえりなさい。ケニー・ジャックさん」
ふと、優しい香りがした。
「………」
「話をしましょう。僕と、あなたで」
「………サヤカ」
落ち着いた顔をして、俺が座っていた椅子に腰を下ろしている。
サヤカと、再会した。
あの顔だった。あの雰囲気だった。
俺は嬉しくなった。
でも、サヤカが、俺の事を名前で呼んだ時。
「……俺も話したかったよ。アーロン」
「沢山話さなきゃいけない事があるんです。その話を、隠してきた事を全部、包み隠さず」
「はっ、そうだな。俺も色々隠してたからな」
俺とアーロンは互いの目を見て。
「まずは、買った性奴隷が男の子だった話から。どうだ?」
六十五話「人生」
キャロル・ホーガン殺害事件。裁判まであと12時間。
余命まで【残り176日】