27:―2002年6月7日 3時40分―

 草木も眠る丑三つ時という言葉が有るが、男三人居ると、静けさを感じない。むしろ何かと騒がしい池中さんに、突っ込み体質の堀さんという組み合わせは、僕という大人しい人間が加わったとしても、騒がしさ満点だ。

 職員室を出て廊下を少し歩けば、ようやく〝寝ている人を起こすかもしれないから、静かにしよう〟という気遣いから解き放たれて、僕達の話し声は少しずつ大きくなっていった。


「最初から、僕はおかしいと思っていたんだよ! 生徒ばかり集められた中で、先生は一人だけだよ? 明らかに浮いていたし」


 池中さんは、自分は最初から三谷先生を怪しんでいたのだと、鼻息を荒くしてまくし立てている。


「思えば、こんな場所で最初っから一人になりたがっていたって時点で、おかしかったんだよなぁ」

「それはそうなんですよね」


 堀さんの言葉に、僕も頷いた。謎の手紙に呼び出されて、夜の廃校で一夜を過ごすことになって、どうして恐怖を感じずに居られようか。確かに彼にしてみれば校長室は元々自分の部屋で、過ごし慣れた場所でもある。だからと言って、こんな時に一人で居られる神経を、最初からもっと疑うべきだった。


「っと、こんな話をしている場合じゃねぇな。さっさと戻らないと」


 そうだ。僕達は今眠る女性二人を残して、倉庫に向かっている。のんびり話をしながら歩いている場合では無いのだ。


「それに、あまり大きな声を出していると、聞こえるかもしれませんよ」

「そ、そうだね。気をつける」


 僕が注意すると、池中さんが怯えた表情で頷いた。




「そういえば、部室棟は結局調べていませんね」

「そういやそうだなぁ。あの時は、この雨ん中外になんて出ないだろと思っていたもんだが、結局外に居やがったしな」


 部室棟と、体育館の脇にある大きなプレハブの建物だ。グラウンドからも出入り出来るようになっていて、建物内の部屋は各運動部が部室として使っていた。

 体育館に続く渡り廊下を、懐中電灯で照らしながら歩く。夜の学校を歩くことにも、すっかり慣れてしまった。渡り廊下から体育館に入れば、大きな建物の中、雨音がやけに籠もって聞こえてきた。体育館の出口からグラウンドに出たなら、もうすぐそこには備蓄資材が置かれた倉庫が有る。


「いよっと」


 体育館の鍵を内側から開けて、錆び付いた扉を開く。重い音をたてて開いた扉の先には、小雨降る夜のグラウンドが広がっていた。整備されていないグラウンドには雑草が生い茂り、雨を受けて一面が水溜まりとなっている。


「さて、何を食べようかな~」


 池中さんは軽い足取りで倉庫へと向かった。三谷先生が倉庫の鍵を開けた後、ダイヤル錠は外したままで、倉庫の中の棚に置かれている。池中さんと堀さんは、再び倉庫に入って物色を始めた。


 ……そうだ。考えてみれば、倉庫を開けて僕達に物資を提供してくれたのは、三谷先生だった。彼は僕達をそこまで苦しめるつもりは無かったということなのだろうか。

 僕以外の五人をここに集めるという行為と、町に戻れなくなった僕達に物資を提供するという行為と、菜摘さんを殺害するという残虐な行為と。彼のやっていることはどうにもちぐはぐな気がしてしまう。僕には、彼の考えていることが分からない。三谷先生、貴方は今どこで何を考えているのでしょうか。貴方は何の為に彼等をここに呼び、何の目的で動いているのでしょうか。

 脳内でどれだけ問いかけたところで、本人から答えが返ってくる訳も無い。でも、今は少しでも頭を動かしていたかった。気を抜けばすぐにあの子のことを考えて、また目頭が熱くなってきそうだったから。




 二人が缶詰を選ぶのを、倉庫の入り口で雨宿りしながら待つ。一時と比べたらかなり小降りになってきた雨音は、耳に心地よい。


「お前は腹減ってないのか?」

「うん、僕はいいよ」


 堀さんの言葉に頭を振って、再び思考を巡らせる。何かがおかしい、それだけは確かだ。だが、違和感は有るのに、それを形にすることが出来ずに居た。


「よし、帰るか」

「一応、神尾さんの分も有るからね。あ、飲み物必要だったら、自分で持って行って」

「じゃ、水だけ持って行こうかな」


 池中さんに言われ、飲み物のペットボトルだけを手に、僕は倉庫を出た。堀さんは缶詰を四つほど、池中さんは両手にいっぱいの缶詰を抱えている。

 倉庫を出て、今度は来た道を逆に戻る。体育館の入り口から屋内に戻ろうと歩き始めたところで、ガタガタと、奇妙な音が響いた。


「……池中さん?」


 僕のすぐ前を歩く池中さんが、両手いっぱいに持っていた缶詰を、全て地面に落としてしまったのだ。食欲魔神な池中さんが大事な缶詰を落としてしまうとは、彼らしくもない。僕は苦笑いを浮かべ、地面に手を伸ばし、池中さんが落とした缶詰を拾い上げる。


「欲張って、そんなにいっぱい持つからですよ。僕も半分、持ちま――」


 缶詰を半分ほど拾い集めて顔を上げたところで、気付いてしまった。彼が、何を目にしたのか。大事に抱えていた缶詰を落とすほど、何に驚いたのか。


 体育館と部室棟の間。そこに部活動で汗を掻いたり、汚れてしまったりした生徒達が使う為の、水場がある。体育館の玄関を挟んで倉庫とは反対側にある為に、倉庫に向かう時は背を向けていて、目に入らなかった光景。だが、今は見えてしまった。

 泥だらけになった足や靴を洗う生徒も多い為に、半分はごく普通の腰くらいまでの高さの水飲み場で、もう半分は地面と同じ高さの流し場になっている。そこに、大きな何かが横たわっていた。雨を受けて水浸しで、グレーの上質なスーツはぐっしょりと濡れている。長い手足。ダブルのスーツに包まれた身体。だが、その身体には大事な物が欠けている。


 そう、そこに有るべきはずの頭部が無いのだ。


「う……うぐぅっ」


 あまりの光景に、池中さんはその場で蹲り、嘔吐した。ああ、僕もそう出来たらどんなに良かったか。だが、胃から何かがこみ上げてくる感覚はあるものの、脳はやけに冷えていて、目の前の光景を冷静に分析している自分が居る。

 赤黒い断面をこちらに向けて横たわっているのは、成人男性の遺体だ。今度は体温や脈を確認するまでも無い、頭部を切り落とされている時点で、明らかに死んでいる。遺体が身につけているグレーのダブルスーツは、三谷先生が着ていた服と同じ物。背格好も、彼を連想させる。


 ああ、そうだ。今更ながらに、違和感の正体に気がついてしまった。

 校舎の外に立ち、職員室を覗き込んでいたならば、窓から顔だけが見えているあの写真はおかしいのだ。窓の位置は、大人の腰くらいの高さだろう。もっと高い場所から見下ろすように、上半身も映っていなければおかしい。座っていたとしたら、今度は顔がはっきりと見えていることがおかしい。三谷先生は、中肉中背。それほど背が高い訳では無い。窓から顔だけが見えているのは、雨の中で地面に膝立ちして職員室を覗き込んでいるのでもなければ、高さが合わないのだ。


「三谷先生……あの時点で、もう、死んでいたんだ……」


 僕の言葉に、隣に立って呆然と目の前の光景を見つめていた堀さんが、ハッと弾かれたようにこちらを向いた。


「あの時点で、もう、頭だけだった……ってことか?」

「そうだよ」


 僕は堀さんに今まで感じていた違和感の正体を話した。


「そもそも、窓から顔だけが見えているというのがおかしかったんだ。窓の外に立っていたなら、上半身が見えるはずだし。座っていたなら、せいぜい頭頂部しか見えない。腰くらいの位置にある窓から顔だけが見える状態は、水浸しの地面に膝立ちでもしていないと、有り得ない状況なんです」

「確かに……それは、そうだな」


 堀さんは戸惑いながらも頷きはしたが、いまだ納得は行っていないようだった。


「でも、じゃ、なんであんな写真が撮れたんだ? まさか――」


 堀さんも、薄々予想はついているのだろう。彼の顔は、雨に濡れてすっかりと色を失っている。


「おそらく……三谷先生がまだ生きていて、彼が菜摘さんを殺したと思わせたいが為に、犯人が三谷先生の顔を持っていたんだ」


 そう。状況から考えて、恐ろしい仮説が成り立ってしまった。でも、これ以外には考えにくい。デジタルカメラの液晶モニターで見た、三谷先生の恐ろしい形相。白目を剥いて、生気を失ったようなあの顔は、本当に死んでいて、生首の状態だったのだ。


 僕の予想を聞いて、一度胃の中の物を吐き出した池中さんが、もう一度嘔吐く。


「もし、そうだったとして……じゃ、誰がそれをやったってんだ」


 堀さんが、震える声で聞いてきた。


「外での殺害なら、雨に濡れるはずだ。一度外に出た後以外、誰も雨に濡れた様子なんて無かっただろ」


 堀さんの言葉に、僕は頭を振った。


「倉庫には、レインコートが有りました。あれを使えば、雨に濡れずに作業出来るでしょう」


 作業と自分で口にしておいて、口の中が酸っぱくなった。人を殺して、その首を切り落とす。そんなことを作業と割り切って出来る人間が居るだなんて、思いたくも無い。


「じゃ、誰が……誰がこんなことを……」


 堀さんらしく無い、か細い声だった。今までは、姿を見せない三谷先生が犯人なのでは無いかと、そう決め付けていた。だが、違った。三谷先生は既に死んでいた。ならば、犯人は完全なる部外者でこの近くに潜んでいるか、あるいは――僕達の中に居る誰かなのだ。

 ずっと一緒に居た相手を疑いたくは無い。しかし、堀さんにとっては僕以外、女性二人は別行動が長かったし、池中さんだって度々職員室から抜け出して写真を撮っていたり、トイレに行くと行って僕と会わなかったりと言うことが有ったのだ。一度疑い出したら、皆が怪しく思えて居るのだろう。


「菜摘さん殺しは、何とも言えませんが……三谷先生の首を切り落とすなんて作業を、血を浴びずに出来るとは思えません。レインコートを着ていたとしても、袖口や足下など、どこかしらは血で濡れてしまう可能性が高い」

「ってことは――あ」


 僕の言葉で、堀さんも気付いたのだろう。池中さんだけが、何を言っているか分からないと言った様子できょとんとした表情を浮かべている。


「そう。あの二人が着ているパジャマは、この倉庫に大量に用意されていた物です。あれならば、血で汚れても、すぐに新しい物に取り替えることが出来る」

「ひっっ」


 僕の推理に、池中さんが短く悲鳴を上げた。


「じゃ、じゃあ、あの二人のどっちかが、こんなことを……?」

「どちらかか、あるいは両方か……でしょうね。僕達以外の部外者が潜んで居るのでなければ、ですが」


 僕の言葉に、池中さんは首を切り落とされた遺体に一度視線を向けて、すぐに逸らした。舞子さんと成美さんより、舞子さんと菜摘さんの方が、ずっと仲が良いように見えていた。あの二人が協力して何かをやっているようには、あまり見えないのだが……いや、そもそもあの二人が犯人だったなら、僕は今まで何も気付かずに普通に二人と接していたのだ。その時点で、もう立派に二人の演技に騙されていたことになる。


 ふと、菜摘さんが死んだ直後に感じた、成美さんの違和感を思い出した。菜摘さんの遺体を見た後、成美さんは何故か表情を失っていた。あれは、彼女が菜摘さんを殺したが為にそうなっていたのだろうか。成美さんがもし菜摘さんを殺していたならば、僕達にそれがバレないように、少しでも演技を入れるのでは無いか。あんな風に、遺体を前にしてまるで無気力になる原因……それが分からなくて、僕は再びぐるぐると脳内が掻き回される思いだった。


「もし……もし、あの二人のどちらかが犯人なのだとしたら、だ」


 堀さんが、ぽつりと呟く。


「今……やばいんじゃねぇか?」


 眠っていた二人の近くにある扉はバリケードで塞いではあるけれど、当時犯人だと思っていた三谷先生は犯人では無かった訳で。既に室内に居るどちらかが犯人だとしたら、残る一人は今、犯人と二人きりなのだ。

 僕達三人は顔を見合わせて、体育館の玄関から校舎へと走った。