3:常夜野高校前 ―2002年6月6日 18時00分―

 結局約束の時間を大幅に過ぎても、手紙の送り主は現れなかった。皆は姿を見せぬ送り主に悪態を吐きながら、帰り支度を始めている。僕としては、今からこの中の誰かが「実は自分が……」と言い出してくれても、大歓迎なのだけれどなぁ。

 送迎してくれるはずだった友人に置いて行かれてしまった成美さんは、舞子さんが車で送って行くことになった。最初は堀さんが送って行こうかと声をかけていたのだが、雨の中バイクの二人乗りは危ないからと、舞子さんが申し出てくれた。堀さんは少しふて腐れた様子だったが、成美さんにジャケットを有難うございましたと微笑まれれば、満更でも無い表情を浮かべていた。うん、男って単純だよね。僕も人のこと言えないや。好きな人、好きだった人の為なら、多少の面倒事でもやってやろうって思えてくるもんな。おっと、まだ堀さんが成美さんを好きだなんて決めつけるのは良くないね。好き嫌いなどの感情はともかくとして、下心はありそうだけれど。


「僕、帰りのタクシーを十九時に呼んであるんだ。それまで待っていないといけなくって……」


 小太りの池中さんが、しょんぼりとした様子で告げる。よほど遠くで無ければ送って行ってあげたいところだけれど、既にタクシーの予約をしてあるのなら、黙って帰るのはまずいか。


「なんで十九時なんて時間にしたんだよ」

「どれくらい時間がかかるか、分からなかったからさぁ。とりあえずと思って」


 堀さんの突っ込みに、池中さんは泣きそうな表情を浮かべている。池中さん以外は、皆帰り支度を終えていた。タクシーを返した三谷先生も、既に菜摘さんの車に乗り込んで、出発を待っている。

 タクシー会社に連絡を入れようにも、生憎僕は携帯電話を持っていない。もし誰かが持っていたとしても、こんな山奥では電波は届かないだろう。学校の中なら電話はあるかもしれないが、十年も前に廃校になった学校だ、電話回線が生きているはずも無い。


「町まで行ってから、タクシー会社に電話をかけてはどうですか?」


 僕は池中さんに提案した。ふくよかな顔が、微かな期待に喜色を浮かべる。


「あの、町までって、もし良かったら……」

「ええ、送って行きますよ」

「有難う、有難う」


 小雨の続く空はすっかり暮れて、濃い灰色に染まっている。明かりの無い廃校の前で、街灯さえも点らぬ中、一人でタクシーを待ち続けるなんて、可哀想過ぎるもんな。


「古い車なんで、乗り心地は期待しないでくださいね」

「乗せてもらえるなら、どんな車でも最高の高級車だよ」


 僕は運転席に座る前に、池中さんにどうぞ入ってと声をかけた。僕が座ってシートベルトを付けている横で、池中さんがよいしょと声を上げて助手席に座る。瞬間、僕の相棒が、まるでベッドのように弾んだ気がした。実は池中さん、見た目以上に重量級なのかもしれない。


 フロントガラスに降り注ぐ雨を払いのける為に、ワイパーが忙しなく動く。街灯の無い山道に、刻一刻と濃さを増す闇。雨もあって視界は最悪だけれど、幸いにして車三台とバイク一台が一列に並んで走っている。池中さんを乗せた僕は最後に車を発進させて、最後尾を走っていた。すぐ前には堀さんが運転するバイクのテールランプが見える。慣れない山道は少し怖いけれど、このままついて行けば大丈夫だな~なんて暢気に考えていたら、信号も無いのに堀さんのバイクが急停車した。


「わっっ」


 慌てて僕もブレーキを踏み込んだ。雨に濡れたタイヤが、甲高い悲鳴のような音を奏でる。車は前方のバイクにぶつかることなく、その寸前で停止した。


「ご、ごめんなさい」

「いや、今のは仕方ないよ。いったい、どうしたんだろうねぇ」


 急停車を謝れば、池中さんは気にした風も無く、前方の様子を見つめていた。どうやら急停車したのは、堀さんのバイクだけでは無かったらしい。先頭を走る舞子さんの車、その後ろに続く菜摘さんの車も、それほど車間を開けずに停車している。

 堀さんはバイクを降りて、前の車に声をかけに行った。急ブレーキをかける事態に怒っていないといいなぁなんて、彼の口調を思って少し不安になる。だが、僕の心配を他所に、彼はすぐに戻ってきて僕の車の運転席の窓を叩いた。


「どうしたんですか?」


 窓を開けて、堀さんに声をかける。答える彼の声は、動揺で震えていた。


「土砂崩れだ。道が塞がれている」

「え……」


 僕は慌ててシートベルトを外し、車を降りた。堀さんと一緒に先頭を走っていた舞子さんの車に駆け寄れば、そのすぐ前方は山の斜面から流れてきた大量の土砂によって塞がれていた。


「うわ、どうしたもんかな、これ」


 歩いて越えられないかなと土砂の上に登ろうとしたら、堀さんに後ろから服を引っ張られてしまった。


「馬鹿野郎、さらに崩れてくる可能性だって有るのに、何してんだ!」

「あ、そうだよね」


 出来るかなと思ったら、すぐに試してみたくなるのが僕の悪い癖だ。止めてくれた堀さんに御礼を言って、改めて土砂が落ちてきた山の斜面を見上げる。土砂崩れ防止のネットが張られているが、その一部が切れて、土砂が県道まで流れ出していた。


「このままここに居るのも危ない、一度ここを離れよう」

「はい」


 堀さんの言葉に頷き、僕は再び愛車に乗り込んで、狭い山道をバックで引き返した。途中の道幅が少し広くなったところで車を折り返し、学校方面へと戻る。このままここで車を停めて皆と今後のことを相談するべきかとも考えたが、車三台とバイク一台を停めるには、流石に狭い。

 結局、僕達は再び廃校まで戻って来る羽目になってしまった。