第15話 シンクロニシティ

 教室の前にある黒板に描かれている襲撃者のイラストを眺める。


「目眩まし……ってアイディアが通用するのかどうか、はっきり言って定かではないよな」

「難しい、というか確信できないのが事実でしょう。あの表情がどういう表情かさえも分かりゃしないってのに」


 瑞希は項垂れながら、そう言った。

 聡にああだこうだ言いたいのだろうが、しかしながら実際は一歩リード出来るようなアイディアが何一つも出てこないから、そういう態度を取ることほかないのだろう。


「……如何すれば良いのやら。目でもあれば目潰しをして時間を稼ぐ手もあるのだろうけれど」

「時間を稼ぐだけじゃ駄目。……倒さないといけないのよ、あの異形を」

「分かるけれど……分かるけれどさ。じゃあ、何か良いアイディアがあるとでも言うのかよ」

「直ぐ思いつく訳がないでしょうよ! ……あー、もう、ああだこうだ言われたって良いアイディアなんて何一つ出てこないし、それっぽいことをのべつ幕なく言うだけでも意味がないって言うのに……」

「何をしているのやら」


 声がした。

 教室の扉は、閉まっているはずだった。

 扉の向こうは、定義されていない空間で、存在しない空間で、意味のない空間のはずだった。

 しかし、扉を開けて誰かがこちらに入ってきていた。

 白髪の少女だった。白いワンピースを着て、見た目は——あの少女と同じだ。


「人をじろじろ見てからに。……アルファは何も言わなかったかな?」


 少女は、アルファと言った。しかし、それは何を指し示すのか、聡には分からなかった。


「アルファ——って?」

「そんなことも分からないのか」


 溜息を吐く少女。


「……あいつ、よもや説明という説明を省いたんじゃなかろうな。そりゃあ、省く説明もあって良いし、一から十まで言ったところで理解されるはずもありはしない。さりとて、こちらとしては説明しておかねばならないこともある——それもまた、事実だ」

「あの少女に似ている——気がする」

「言っただろう」


 少女は言った。


「アルファに——何も聞いていないのか、と」

「いや、だから……」


 堂々巡りだ。

 アルファが何か分からない以上、聡は何も質問出来ないし何も答えられない。

 つまり断定でしか物事を言えなくなってしまう、ということだ。


「ベータ、あんまり意地悪しないであげてよ」


 助け船を出したのは、ほかならない瑞希だった。


「……ベータ?」


 瑞希の言葉を聞いて、首を傾げる聡。


「そう。彼女の名前——最初に言ったの。名前はないけれど、敢えて名付けるならばベータだって。でも、名前の概念は一応言っておいたみたいに言っていたけれど」

「言っていたはずだけれどねえ」


 ベータはそう言うと、教室の中に入ってきた。


「まあ、申し訳ないけれど、わたし達全員って見た目は一緒だけれど、中身——所謂性格って奴? は違うのよね。けれども、やっぱり人間というか動物というか……見た目で判別することが殆どでしょう? だから、こうして名前を定義しているってだけ。あくまでも、便宜上のね」

「便宜上……」


 ベータの言葉を、聡は反芻する。


「それはそれとして」


 聡はさらに考えを思い巡らそうとしたが、ベータの言葉がそれを中断させる。


「アイディアが思いつかないとしたら、かなり面倒な話になってくると思うのだけれど? いい加減、現実を直視した方が良い。この仮想空間と現実の間では、流れる時間の速さは同じであるということに」


 黒板に注目する。

 黒板には、今の世界の情景が描かれている。右側に襲撃者、そして左側には二体のオーディールが描かれている構図だ。周囲のビル等の建物は崩壊しているためか、交差点を示す十字マークは乱れている。

 そして、誰も触れていないはずなのに、襲撃者はゆっくりとオーディールに向けて歩き出していた。

 それは少しずつ加速を続け、やがてオーディールの隣に到達する。

 ミシッ。

 聡の頭が、正確には頭蓋骨が軋む音を立てたのは、ちょうどそんな時だった。

 聡は、一瞬自分に何が起きたのか困惑していて辺りを見渡していると、ベータは深い溜息を吐いたのち、


「やれやれ。どうやらアルファはそういったことでさえも説明を省いたようね? まあ、都合の悪い説明を省くことでスムーズに適格者を選定することは、それはそれで良いことなのかもしれないけれども……」

「何の……ことだ?」


 鈍痛の酷い頭を抑えながら、聡は訊ねる。


「そもそも、この空間はどんな空間だって説明を受けていたかな?」

「確か——確か、自分の心を反映した空間だと……」

「だとすれば、如何してそこにあのようなイラストがあって、それを操作すれば現実世界でもオーディールが動くのだと思う?」

「それは……」


 考えてはいた。

 如何してこんなことが起こり得るのだろうか——ということに。

 それこそ、オーディールと適格者が直接接続されていなければ、有り得ないぐらいに——。

 聡の疑問に答えるように、ベータは話を続けた。


「何故『適格者』と言うのか、答えは簡単。オーディールと精神的に融合が出来る——その素質を持っているかどうか、という話なのだから」



◇◇◇



 オーディールはロボットであることは間違いない。しかしながら、それは動物や人間のそれに近しく、パーツ毎に破壊係数が定められている。この係数をオーバーしたとみなすと、現実でもそのパーツは破壊されたとみなされ、動かすことは叶わない。

 けれども、それを適格者側でも瞬時に判断しなければならない。

 そういう時に、予兆なく破壊されてしまうのは宜しくない——開発者はそう考えて、オーディールに擬似的な痛覚を実装した。

 電気信号のパルスによるものではあるけれど、実際にダメージを受けた部分は、適格者も同じように痛みを感じる。とはいえ、実際に消滅する訳でもないから、例えば腕が破壊されたとして適格者のそれも破壊される——って訳ではないのだけれどね。

 まあ、痛みに耐えきれず気絶したり本当に破壊されたと思い込んで一時期使い物にならなくなったりするケースもあるだろうけれど、それはそれ。

 いずれにせよ、今あなたが感じているそれは、オーディールも感じている痛みだということ。

 説明が遅くなって、何故わたしが謝らなければいけないのかは疑問符を浮かべるしかないのだけれど、同胞がやらかしたことだから一応謝罪はしておきます。申し訳ないね。

 けれど、これが適格者としての——オーディールに乗るということの——重さであることは、理解してほしい。