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そして忙しい公務の間を、本当に縫う様にして彼は、ゲオルギイの家庭に関して、もう少し突っ込んだ調査をしてみた。ただし時間が無いことから、それはさすがに自分でする訳にはいかなかった。
「……はい、これだけの資料を収集すればいいのですね」
「ああ。俺の名を出せば、中央図書館の司書は通してくれる」
「判りました」
テルミンの部下の一人は、言われるままに、幾つかの調査対象を手にし、図書館へと向かうことが多くなった。テルミンは重要度Bくらいまでの調査をこうやって下請けに出す様になっていた。
ただ、その場合、部下の人選には気を配った。できるだけ情報の内容には興味を持たず、なおかつ収集の速い者。ちょうど良く、テンペウ少尉という士官が、それに相当した。彼女は内容について一言も触れたことは無かった。
もっとも、内容について詮索したところで、彼のすることの真意は掴めないだろう。下請けに出すのは、見事なまでにばらばらの情報でしかない。
情報は、情報だ。それはあくまで独立したものでしかない。それが意味を持つのは、それを手にした人間に、何らかの目的がある時だけなのだ。
テンペウ少尉は、彼よりやや若い、黒い真っ直ぐな髪を短く切りそろえた女性で、口元をいつもくっと引き締めている様な、硬質で、変化の無い表情をしていた。
「少佐」
ところがある日、彼女は資料を手渡しながら彼に声をかけた。返事と報告以外の声を耳にしたことが無い様な気がしたので、溜まっていたデスクワークにいそしんでいた彼は、はっと顔を上げた。しかし彼女は相変わらずの無表情だった。
「実は先程、図書館から出た時に、アンハルト大佐に資料の中身を訊ねられました」
「それで君は、答えたのか?」
「はい」
彼女は短く答えた。それは仕方の無いことだ。アンハルト大佐は、彼の上官でもある。別に聞かれて困る程の情報ではない。確かにその中に「首相の家族」の情報もあるのだが、それは彼の職務上、調べた所でおかしくはないことだった。むしろ今頃調べるなど遅い、と言われてもおかしくないことだった。
「何か他に、聞かれたか?」
「いいえ」
彼女はまた短く答える。そして失礼します、と言ってテルミンの前から立ち去った。
無論テルミンも、家族構成くらいは知っていた。首府郊外の都市、エレに首相の実家はある。そして両親・妻・息子がそこに居るはずだった。
しかしそれ以上のことは公には流されることはなかった。すなわちそれは、首相自身が、家族をマスコミの矢面に立たせたくない、という姿勢の現れでもある。
そしておそらく、その失踪した息子に関しては、首相がその情報を押さえさせたのだろう。この公式な記録にも、そのことは記されていない。
彼はとりあえずその情報を取り置いた。情報は使いようによって、武器にも盾にもなる。
そしてその一方で、別の資料に目を通す。それは辺境武装地帯における部隊構成員に関するものだった。
正直、この資料を手にするのは彼にとってひどく憂鬱なものがあった。彼は決して、ヘラ以外のもう一人について、考えない訳ではなかったのだ。
25人の逮捕者の中で、23人しか処刑されていない、というなら、残るは二人に決まっているではないか。一人はヘラだ。それは本人という大きなヒントがあるから、該当する人物を探すことはそう難しいことではなかった。だがもう一人については、特定どころか、何のヒントも無かったのだ。ヘラに聞けば一番早いのだろうが、テルミンは、それだけはためらった。
そもそも何故「もう一人」が存在するのか。ヘラは判る。会話の調子からして、ゲオルギイ首相にとって、ヘラは元々目をつけていた兵士なのだ。たまたまタイミングが悪くて、官邸警備に引き抜く前に、下手な事件に巻き込まれてしまっただけなのだ。ただ、それを逆手にとって、身の安全と引き替えにその身体を要求したのはさすがと言えようが……
ではもう一人は。テルミンはそれを考えるとひどく憂鬱になる自分に気付く。気付くから、そのことは強いて考えないようにしてきた。
だが、あの会話は、否応無しに、彼に「もう一人」の人物を割り出させるきっかけとなってしまった。自分をごまかしている理由が無くなってしまったのである。
彼は最新の構成員資料を端末に掛けた。日付を見る。ごく最近のものに更新されていた。あの水晶街の騒乱の年に転籍となった兵士のリストを取り出した。そして思ったより少ないことに、彼は安堵する。
確かに抹消される籍は多い。しかしその籍が消える原因は、ことごとく「戦死」だった。「転籍」はそう多く無い。
「辺境」はテルミンにとっては、想像のしにくい場所だった。そもそも彼の頭には「辺境」はむしろ全星域の中のこのレーゲンボーゲン自体のことしかなかったのだ。だがその中にまた、辺境がある。その向こうで、異なる何かを掲げて戦っている何かが、いつも存在するというのは。
戦争がなければ、騒乱がある。
あちこちで、騒乱は起きているのだ。結局それは首府だけではない。首府に起きていることは、この惑星上のあちこちで起きていることなのだ。
彼は考える。これを何かに利用できないか?
そして利用するならするで、更に大量の情報が必要となるだろう。…… 足りないな。彼は内心つぶやく。情報を一手に扱う権限が欲しかった。しかし無論そんなものは自分には無い。自分が現在出来るのは、入手できうる情報を最大限に利用して、出来るだけ良い効果を上げることだけだった。
そして「仮想敵」としての帝都政府。
このあたりを利用できないだろうか?
考えながら、それでも目はリストを追っていた。そしてその中に、同年同日に転籍した者の名を見つけた。予想通り、その一つはアルンヘルムだった。そしてもう一人は、S・ザクセンとあった。
彼は判明したその名前を、今度は第35連隊の当時の名簿に照らし合わせた。その作業は簡単なはず、だったのだ。
だが。
おかしい、と彼は思った。何処をどう検索しても、S・ザクセンの資料に関して、端末は「存在しません」を彼に伝えてくるのだ。
そんな訳は、無いだろう?
彼は思わぬ展開に眉を寄せた。アルンヘルム/ヘラに関する資料は、そのまま残してあったというのに、ザクセンに関する資料が無い。
……まさか。
彼はふと思い立って、あのスノウから受け取った資料の一枚を取り出した。そこには、第35連隊の全在籍数と、その中の25人の名前が明記されていたのだ。
彼は、アルンヘルム/ヘラを見つけた時に、その後のメンバーについて検索していなかったことを後悔した。無論その時の目的は、ヘラを過去の資料から探すことだったから、行動自体間違いではない。
紙の上に、ザクセンの名はあった。連隊人数48人という数字も、その中の25人が参加した、ということもきちんと記入されている。
そしてもう一度、当時の連隊の総人数を上げてみる。彼はちっ、と舌打ちをした。
47人。
ザクセンという一人の人物は、登録を抹消されている。
更に思い立ち、彼は首府の役所の端末につなぎ、一般にも解放されている住民リストから水晶街の年に転籍したきたS・ザクセンを検索した。首府勤務の軍人は、転籍の際に、戸籍を移動させるのが決まりだった。
S・ザクセンという名前は結構ありふれたものだったらしく、彼はその並んだ名前と住所と生年月日の量に一瞬眩暈がした。しかし気を取り直して彼はその中から、なるべくヘラと近い年齢のものを抜き出した。それでも五人ほど、そこには残った。
だがその五人は、皆きちんとした住所が存在している。死亡届けは出されていない。
消されたな、と彼は確信した。ヘラがそうである様に。
しかしヘラの場合、アルンヘルムとしての記録は、残されたままだった。その違いは何だろう、と彼は考える。
ヘラの抹消の仕方に、漏れがあるというのだろうか。だとしたら、この「もう一人」ザクセンは、「公的に」抹消されたとでも。
だとしたら、説明がつくのだ。
そして「公的に」IDの全てを剥奪される者。それは一つしかない。流刑者だ。決して戻らない、刑期の無い囚人。今すぐ処刑される訳ではなくとも、「いつか・確実に」死を期待される流刑者。
S・ザクセンは、流刑惑星ライへ送られたのだ。
自分の中で出た結論が、重くのしかかるのを彼は感じる。ヘラの様な、露骨なまでの例外ではなく、これは「罪一等減じ」の手続きをしている。では何故。
しかしそんなことは、裏付けを取る前から自分が気付いていたことを、テルミンは知っていた。
ヘラはあの時、一体何処を見ていたのか。決して好いてはいないゲオルギイに抱かれながら、あの目は一体、誰を探していたのだろう?
テルミンは唇を噛む。
……流刑者を、戻す様に画策すべきだろうか?
彼は自問する。そして即座に彼は首を横に振る。
NOだ。断じてNOなのだ。
そしていくつも理由を考える。だってそうだろう、この計画にはヘラが必要なのだ。日々その考えはテルミンの中で大きくなる。ヘラは覚悟を据えて表舞台に出る様になってから、その存在感を増していた。自分の中だけではなく、ゲオルギイをとりまく者達の中でも、何か一線を画するものを感じさせる雰囲気すら漂わせはじめていた。
元々、首相にすら同等の口をきくことに何のためらいも無いヘラだった。どんな部門の大臣クラスの人間にも気圧されることなく、あの綺麗な顔で、時には微笑をたたえながら、職務を鮮やかにこなしていく姿は、直接ヘラと言葉を交わす閣僚だけでなく、その部下に至るまで、ひどく印象的なものに映るようだった。
特に。テルミンは知っていた。首相の公式発表をヘラが代理人として読み上げることがある。すると、その場の雰囲気ががらりと変わるのだ。マイクを通して草稿を読み上げるその姿に声に、視線が耳が、集中するのだ。
ヘラの声は決して大きくもなく、また言い回しも「演説の名手」特有のはっきりした口調ではない。だがマイクを通した時、その声質そのものが、何か奇妙な威力を発揮するのだ。
それが何故なのか、テルミンにも判らない。ただゾフィーから、そういう人間は居るものだ、と聞いたことはあった。それは訓練で得られるものじゃないのよ、と。それは天性のものなのよ、と。
決して大きくもはっきりもしないその声に、人々は集中する。いや、大きくもはっきりもしないからこそ、集中するのか。内容を聞き取ろうとするのか。いずれにせよ、そうまでしてその声を聞き取りたい、という気持ちにさせるものなのだ、とテルミンは気付いていた。
だからテルミンは、ヘラを通して、首相自身のニュース出演回数を増やす様に進言していた。首相を映す機会が増えれば、ヘラがその視界に入る機会も多くなる。そして「代行」の発表。次第にヘラという新しい名前の人間が、人々の目に耳に焼き付き初めていたのだ。
計画の骨子はひどく単純なものだった。ヘラという人間を前に出し、邪魔者は消す。どう言いつくろったって、贅肉をそぎ落としてしまえば、それに尽きるのだ。自分にもヘラにも、主義主張があってそうする訳ではない。もしこれから掲げるとしても、それは方便でしかないことを、テルミンは知っている。
そして邪魔者は順調に消えつつある。ヘラ自身の押し出しも順調だった。それ故、ザクセンを探す訳にはいかない。
だがしかし、テルミンは一つ、重要なことを自分が忘れていることには気付いていなかった。