文劇部に春は訪れない。
「今年の新入部員も、ゼロ。また俺たちだけかあ」
鏡花が呟いた。その声色に落胆はない。それどころか、喜んでいるようにも感じられる。私に至っては安心すらあった。
四月の下旬を迎えた。北海道の札幌といえども、既に桜が散っている。八畳の部室には、落書きが目立つ木の机と、それを囲う四つの椅子。
私と鏡花は、隣同士の椅子に座っている。恋人ではない。部員名簿に名前を書くためだ。
「で、俺は引き続き部長なのかね」
私が頷くと、彼は苦笑しながら「神崎鏡花」と署名した。汗の混じった男子の匂いが、彼の袖から漂ってくる。よく誤解されるのだが、鏡花は男子だ。
「さて。俺が部長なら、今年も副部長は――」
「はいはい、分かってます」
奪うように、鏡花から鉛筆を受け取る。ほのかな温かみを感じた。それが彼の体温だと気付いた途端に、ぽろりと鉛筆を落としてしまった。
「落ち着け。ゆっくりでいいから」
笑いながら額の汗を拭う鏡花。それから学ランを椅子にかけて、すっと立ち上がる。中学三年生になった彼の身長は、もはや私の背伸びでは届かない。瞬きする間に、時間は私を置き去りにしてしまったのだ。
鏡花が窓を開けた。カーテンはなびかない。涼しくも暑くもならない。春風の吹かない文劇部こそが、今の私には心地良かった。
鉛筆を拾い上げた私は、髪を左耳にかけながら、名簿に「桜井宇野」と書き記した。