「まきにゃー? その人はー?」
「お客さんにゃしよ!」
「おきゃくさんー? それよりもまきにゃ! きょうのは? きょうのはー!?」
「にゃはは。そうだにゃ、先にそっちにゃしね。仁ー? ちょっとだけ待っててほしいにゃ!」
呆然としてしまって声が出ない。
いや、先に言われてしまったけどここは地下だ。俺は確かに階段を降りたはずだ。
だっていうのに、どうなってるんだ?
「仁?」
「え、ぁ? あ、あぁ、悪い。大丈夫、待ってるよ」
「……にゃふふ。やっぱり止めにゃ! 仁もこっちに来るにゃしよっ!」
「あ? えちょ、うおっ!?」
ぐいと引かれた力に抵抗できない。
身体に力が入ってなかったこともあったけど、そう言えば猫って何かを持ち上げたり運んだりするのは得意だって聞いたことがあったような? いや、俺は荷物じゃないけども。
「あちきはここの食料集め役をやってるにゃ」
「食料集め役?」
「さっきも言ったけど、ここは地下にゃ。当たり前に野菜だとかは育たないにゃしよ。だったら普通に外で手に入れてくる必要があるにゃし」
「まぁ、そうかもだけど。ってそうだよ、ここ、どうなってるんだ? なんで太陽がある? なんで作物が育たないくせに緑がこんなに生えているんだよ?」
当たり前の疑問を口にしたはずの俺に向かって、真紀奈は少しだけ悲しそうな顔を浮かべた後に。
「あとでわかるにゃしよ」
「あとで、って」
「それより仁、おみゃあ料理はできるかにゃ? だったら手伝って欲しいにゃし」
「……わ、わかった」
問答無用加減の力が増した。
どうにも大人しくついて行く他に無いらしい。
「え、っとー?」
「あー……初めまして、長野仁って言うんだ。よろしくな」
「じんー? うんー! はじめまして! よろしくねー!」
「よろしく! じんっ!」
見た感じ二人とも小学生くらいの人間? だろうか。
真紀奈はここをマレビトムラと言っていたし、この二人も稀人のはずだが……少なくとも外見上からは稀人であることを確認できない。
「どしたー? 仁? おれの顔になんかついてるかー?」
「あぁいや、ごめん。食い物、何が好きかなって思ってな」
「そうかー! おれはなー! 唐揚げが好きだぞー!」
「あ、わたし! わたしはイチゴが好きー!」
ただ、なんだろう? 違和感がある。
二人とも俺たちとは同じのようで、同じじゃないというか。
いや、そうだ、それもあるが、それよりも。
「そんにゃ笑顔に面食らうにゃしよ」
「……あぁ、そうか」
苦笑いを浮かべた真紀奈のセリフでわかった。
「子供の笑顔なんて、向けられたことなかったから」
「気持ちはわかるにゃしが。ここでそれは御法度にゃ。以後、気をつけるよーに、にゃっ!」
人間だろうが稀人だろうが関係ない。
俺を、稀人見て、子供が笑ってくれる。
「うっし。真紀奈、今は何があるんだ? 言っとくが、俺は料理ができる、じゃあない。得意なんだ。なんでも作ってやる」
「お? 言うにゃしねぇ! それじゃ、期待してあげるにゃしよ!」
あぁ、俺ってやつはどうにもチョロすぎるらしい。
こんな簡単に絆されてしまうなんて、思ってもみなかったけれど。
悪くない。
そう思いながら、思っていた以上に広かったキッチンで料理を作った。
「悪かったにゃしね、急に手伝ってもらって」
「いや、構わない。どころか楽しかったよ」
ご飯を食べ終わった瞬間に二人の子供は船をこぎ始めた。
当たり前だろう、時刻はもう日が変わる寸前で、子供が起きているにはよろしくない時間だったのだし。
いまいちこうも明るいと実感がないけれど――って。
「――あぁ、あの二人が最後だったにゃしか」
「最後、って?」
「起きてる子供がって話にゃ」
いきなり太陽が消えた。
同時に、あれだけ生い茂っていた草木も消えた。
改めて見渡した
「地下、って。言ったにゃしよ」
「嫌って程に、わかったよ」
どういうことなのかって、そりゃあもう稀人はこんなこともできるのかって話だし、それ以外に納得できる理由もない。
「そして、ここからは大人の時間にゃ」
暗くなって、常夜灯に照らされた室内で真紀奈の目が妖しく光る。
「……先生に会わせてくれるって?」
「にゃふふ。もうちょっとドギマギしてくれてもいいはずだにゃ? こーんな可愛いにゃんこに誘われてるっていうのににゃあ」
「可愛いは否定しないよ。中年オヤジ受けは特に良さそうだ」
「ひにゃっ!? そそっ、そういう意味で言ったんじゃないにゃっ!! もー! 乙女心がわかってにゃいにゃあ」
生憎乙女心は共生会で教えてもらえないもんでな。
「こっちにゃ」
「あぁ」
色々。
そうだ、真紀奈にだって色々聞きたいことはあったし、ここに来たことで増えもした。
ただ、それはきっと。
「
この無骨な扉の先にいる人が、教えてくれるんだろう。
「仁」
「あぁ。案内、ありがとう。また、一緒に料理を作ろうな」
「ん。楽しみにしてるにゃ」
真紀奈が扉を開いたその先に。
「先生」
「ようこそマレビトムラへ。そして初めましてだ、長野仁君。ここの管理者であるタカミという」
机も椅子もあるって言うのにもかかわらず。
「はぁ……気取りたいなら、その恰好はないんじゃないですかね? アラサー男がするもんじゃないと思いますよ」
「はっはっは。いいじゃないか、特別感? いやいや、昨日の今日でここまで辿り着いたキミへのサービスだよ」
深いスリットの赤いチャイナドレスを着て、これ見よがしに机の上で足を組んだ先生がいた。
「どうだったかな? 僕のマレビトムラは」
「そりゃあもう、色々と突っ込みたいことが多くて困りますね」
当然の疑問だろう、聞きたいことなんて山ほどある。
地下に青空やら太陽やら、緑に溢れた場所に見せかける、なんてのはもちろん。そもそもどうしてこんなことをってのは特に。
「狸は化けるが、狐は化かすのだよ」
「それが突っ込みへの答えですか?」
「いやなに。これが僕の裏の顔、あるいは稀人としての本当の顔とでも言うのかな。裏口という門戸を叩く資格を有したキミだが、全てに応えてあげるほど今の僕は優しくない」
今更ながらに、だったけど。
久しぶりに先生が狐耳と尾っぽを隠さない姿を見た。
いつもの雰囲気で、いつもと違う顔をしている先生には違和感ばかりが募ってしまうけれど、飲まれている場合でもない。
「それでも、俺は先生を……いえ、タカミさんを見つけました」
「あぁ、その通りだね。試験が易しすぎたのかそれともキミが優秀すぎたのか。どちらでも構わないが、そのご褒美として一つ明かそう。僕は黒雨会に所属する情報屋だ」
黒雨会? 確か向田組と昔バチバチにやり合って潰れた組織だって聞いたことあるけれど。
いやそれよりも先生が情報屋だって? 一体、なんで。
「正確には、このマレビトムラを守ってもらうために黒雨会が望む情報を提供するって契約を結んだ稀人というだけで、所属したとは言い切れないけれどね。知っての通り稀人はこの世界で生きづらい。大きな後ろ盾や強力な力を手に入れないと、マシな生き方は得られないんだよ」
「先生は、ここ稀人を、マレビトムラを守るために?」
「そこまで心の美しい僕じゃないさ。あぁ、もちろん見目は麗しいけれどね?」
「そういうのは良いです」
残念だと眉尻を落とす先生は本当にいつもの調子で、隠されていた顔を見せつけてくる。
平静を取り持っているように見せられているだろうか? 正直頭の中は大混乱もいいところだ。
「……ここにいる稀人達はお互いを生かし合っているのさ。たとえば真紀奈なんか表向きは食料集め役なんて言っているが、実際には僕の耳であり目になってくれている。他の稀人たちもそうだ。金を、食べ物を、情報を手に入れようとしてくれていて、手に入れるために必要なら、ヒトに身体を捧げることであっても自ら進んでやってくれている、自分にはこんなことしかできないからってね」
「っ……」
「わからない話じゃないのだよ。稀人は人間からすれば脅威だ、簡単に人間の命なんて手折ることが出来る。そんな存在を自分の欲望のままに好き勝手出来るなんて、これ以上ない悦楽だろう。心が裸になる場でしか聞けないことなんて山ほどにある」
なんでそんな話をされるのか。
いや、わかっている、わからないフリは止めるべきだ。
俺は、普通じゃあなくなるためにここに来たのだから。普通じゃないことを知るべきなんだ。
「……うん、そうだね。よくわかっている。そうとも、キミはこれからそんな世界に足を踏み入れようとしているんだ」
「……はい」
「けど、今ならまだ戻ることが出来る。素子君が目を覚ますまでの時間は耐え難いものだろうが、こんな世界に踏み入って、自分の心を殺す必要はない。辛くなったらいつだってここに来て心を休めてくれていい、なんなら素子君が目を覚ます情報が手に入ったのならイの一番に教えてもいい。それでも、キミは、こっちの世界に来るのかい?」
目を瞑って、チューブに繋がれた素子を想う。
結局のところ、冷静になって考えれば俺は素子を救うことで自分が助かりたいだけなんだ。
病室で先生が言った、素子が俺の復讐を望むはずが無いって言うのはそういうこと。
自分を理由にして、楽をしようとするなっていう意味だろう。
……まったく、自分はずぼらの自堕落女のくせに。俺には厳しい姉だよ。
「はい。俺は、誓った復讐を果たすためになら、何でもします」
「……そうかい」
それでも、俺は。
許せない気持ちがある、壊された幸せを取り戻したいと願う心がある。
たった一人の大切な人を奪われた俺自身に、ケリをつけたいと期す願いがある。
「じゃあ、仁君?」
「はい?」
「キミ、お金は持っているのかな? 僕の情報は高いよ?」
「……ちなみにおいくらほどでしょう?」
シリアスぶち壊されて思うところはあるけれど。
やべぇ、素子の治療費もあるし、金なんて全然ねぇよ……?
「ひゃくま――」
「あーあー! 聞きたくないです! っていうかぼったくりじゃないですか!」
「とんでもない、至って真面目かつ良心的なお値段だ。裏社会で巡る金を考えればはした金とすら言って良い」
「ぐぅ」
ぐぅの音しかでないとはまさにこのことか。
そうなのかもしれないと一瞬でも思ってしまった時点で負けだろう。
「まぁ? もちろんキミに払えるとは元から思ってないよ。そこで、だ」
「……いつか絶対殴りますから」
「ははっ! その時はベッドの上が望ましいね。ともあれ、金を用意してもらうためにも――一つキミに仕事を任せたい」
先生は、ニヤリと口元を歪ませて。俺の初仕事を提供してくれた。