第4話 ホオズキ 浮気

 結婚式披露宴は高田製薬株式会社の愛娘と医療事務器株式会社オーツカの長男との宴とあり披露宴会場はホテルで一、二を争う大広間のパーテーションを取り外して盛大に行われた。

 きらめくシャンデリア、濃紺の絨毯。騒めきの中「お久しぶりです」「お世話になっております」と親戚や来賓が席次表を片手に挨拶を交わして着座していた。その扉の外には緊張の面持ちの夏帆と洸平が腕を組みその時を待っていた。


「ドキドキしますね」

「プレゼンテーションの前よりも緊張するな」

「そんな、お仕事じゃないんですから」

「夏帆、付いてる」


 洸平が夏帆のヘッドドレスに付いた霞草かすみそうの葉を取り払った。


「綺麗だよ」

「洸平さんも素敵です」


 介添人が耳打ちする。


「さぁ、出番だ」


 夏帆は大きく息を吸って深く吐いた。心臓が口から飛び出しそうだ。


「では、新郎新婦さま、扉が開きます」

「はい」


 チャイコフスキーの花のワルツが大音量で流れ、披露宴会場の扉が大きく開いた。四方八方から照らすサーチライトに目がくらんだ夏帆を洸平が支えた。


「大丈夫か」

「ちょっとびっくりしました」


 夏帆は気を取り直し背筋を伸ばした。洸平と共に披露宴会場の来賓に向かい深々と頭を下げると拍手が湧き起こった。スタッフの誘導に従い円卓の合間を縫い高砂たかさご席へと向かう。介添人がウェディングドレスの裾を整え2人は壇上で再びお辞儀をした。


(・・・・やだ、顔が)


 洸平は慣れているのか平然としているが、この様な公の場に出た事のない夏帆は戸惑いや恥ずかしさが隠せず顔がほてった。

 新郎新婦が着座すると高田製薬株式会社とゆかりのある主賓の挨拶が始まり夏帆と洸平は口角を上げながらお辞儀をしたり頷いたりと忙しない。乾杯となればまた席を立たねばならず眩暈がした。


「あの方はどなたですか?」

「営業部の上司だよ」

「お若いんですね」

「オーツカは年功序列じゃないからな、優秀であれば誰でも昇進出来る」

「そうなんですね」


 夏帆と洸平は、祝辞となれば笑顔で席を立ち、祝辞が終われば会釈をして席に座るを繰り返した。


「疲れてきました」

「笑いたくもないのに笑うのは疲れるな」

「・・・・・はい」


 やがてヴァイオリンがバッハのG線上のアリアを生演奏でかなで歓談や余興が始まった。来賓の円卓にはクリスマスをイメージした装花が彩りを添え、大勢のバンケットサービススタッフが手際よくフレンチのフルコースを配膳した。アミューズに始まり前菜、スープ、魚料理。夏帆の友人や洸平の会社の同僚たちの祝辞が続き、高砂たかさごに配膳されたソルベデザートとろけ始めた。


(・・・・ふぅ)


 するとサービススタッフが足元のバケツを指差した。


「これからご来賓の皆さまがご挨拶に来られます。飲みきれないお飲み物はこちらにどうぞ。溜まりましたら私共が交換に参りますのでご利用下さいませ」

「あ、はい」

「夏帆、ジュースやビールは全部飲まなくても良いんだよ」

「知りませんでした」


 洸平は次々と訪れる来賓からの挨拶に相槌あいづちを打ち、グラスに注がれたビールを次々とバケツに捨てていた。


(簡単に捨てられるのね、なんだか勿体無いわ)


 フレンチは肉料理、サラダと続きチーズやデザートが配膳された。


 親戚の挨拶が終わり一息吐いていると今度は華道の師範が烏龍茶の小瓶を持って高砂たかさごに挨拶に訪れた。


「先生、本日はお忙しい中ありがとうございます」

「立派なお式よねぇ、それでこちらが夏帆さんのご主人様。素敵な方ね、どこでお知り合いになられたの?」

「幼馴染なんです」

「まぁ、素敵じゃない!ロマンチックねぇ!」


 すると洸平も和かに微笑みながら会釈をし会話に入って来た。


「いえ、しばらく縁がなくて1年前に見合いで再会したんです」

「あら、お見合いなの?」


 師範の顔付きが変わり加賀友禅の色留袖の袖で口元を隠した。


「あらあらあら、お見合いならまだまだこれからね」

「これから、ですか?」

「まだまだが沢山あるんじゃないかしら?ねぇ?」


 意味深な言葉を残した師範の背中に洸平は苦々しい面持ちになった。


「こっ、洸平さん!先生には悪気はないの!いつもあんな感じなの!」

「そうなのか」

「ごめんなさい!」


 普段は聞き流せるような嫌味に洸平は過剰に反応した。


(やっぱり洸平さん、いつもと違うわ)


 夏帆は隣で来賓に愛想笑いをする洸平の横顔を見た。


(そう、私はまだ洸平さんの事を知らない)


 光り輝く披露宴で、夏帆は有り得ない疑念に囚われた。


(もしかしたら私が二番目、とか)


 洸平には本命の恋人がいて自分は政略結婚の駒のひとつに過ぎないのではないか?もしかしたらあのスクリーンショットの女性が洸平の望む結婚相手なのだとしたら?


(私もこの烏龍茶みたいに捨てられてしまうのかしら)


 グズグズと溶けてしまったカシスのソルベデザートの様に夏帆は自信を失いそうになっていた。



 夏帆が高砂たかさごで鬱々とした面持ちでいるとエルメスのワンピースに赤いハイヒールの若い女性がオレンジジュースの瓶を片手に詰め寄って来た。


「幼馴染!未開拓!そこが良いのよ!」

寿ことぶきさん!」

「しかも次期社長!そしてイケメン!あんた幸せ者よ!」



村瀬 寿むらせことぶき(25歳)


 夏帆が以前勤務していた保険会社の同僚だ。部署内では遣り手のチームリーダーで頼り甲斐がある。寿は底抜けに明るいポジティブな思考回路の持ち主で、物静かで大人しい夏帆にとっては良き相談相手だった。


「でも、こんな三拍子揃ったご主人様だと気苦労も多そうね」

「三拍子、ですか?」


 寿は手のひらをバッと広げると一本、二本と折りながら眉間にシワを寄せた。


「高学歴」

「はい、金沢大学です」

「高身長」

「はい、186cmです」

「高収入」

「収入はまだ、そんなに・・・課長だから」


 夏帆がチラリと横目で洸平を伺い見ると困った顔をしていた。


「課長だろうがなんだろうが、それでも社長確約!この贅沢者!」

「そうでしょうか?」

「このお嬢さまがー!」


 そして寿はチョイチョイと指を動かし夏帆に「ちょっと」と耳を貸すように促した。


「夏帆、もし」

「もし・・・もし、何ですか」

「もし浮気の気配があったら相談して」

「う、うわ・・・」

「しっ、静かに!」


「あんな三拍子揃った良い男に女がいないなんて都市伝説よ」

「都市伝説」

「そ!都市伝説!」

「何かあったらいつでも連絡して」

「はい、ありがとうございます」


 夏帆はこの場であのLINEについて相談したい衝動に駆られた。然し乍らそんな事が出来る筈もなく「新婚旅行から帰ったらお茶でも飲もうよ」と約束をした。そこへ介添人が声を掛けた。


「新婦さま、お色直しでございます」

「はい」

「いってらっしゃい」

「はい」


 優しい笑みを浮かべ手を振る洸平。


(洸平さんが浮気をするなんて、でも・・・・・)


 夏帆の心に疑惑が一滴、二滴と落ちて輪を作った。