第8話 ボイスレコーダー

 エンドランスのインターフォンが鳴った。菜月が応答通話ボタンを押すと黒縁眼鏡に屈強な身体付きのスーツ姿の男性が映し出された。視線は菜月を凝視している。見覚えのない面差しに思わず目を逸らした。


「どちら様でしょうか?」

「警察です」

「警察?」


 緊張で心臓が跳ねた。その男性はカメラに向かい警察手帳を開いて見せた。


警視 竹村 誠一たけむらせいいち


「あの、どういったご用件でしょうか?」

「こういうご用件だよ」


 横からケーキの箱が差し出され、湊 がその男性を横に押し遣った。何やら揉めているようだ。


「菜月、防犯対策は上出来!自分から名乗らなかったね!」

「君のお姉さんは名乗るんですか」

「そうなんだよ」

「危ないですね」


 菜月は褒められているのはけなされているのか微妙だったがエントランスの扉を開錠した。


(お客様と、湊 と私、と)


 菜月は三客のティーカップとソーサーを準備した。


ピンポーン


 玄関ポーチのインターフォンが鳴った。今度もちゃんと確認してから鍵を開けた。笑顔の湊とやや上背のある竹村誠一が両手で(マル)を作ってケーキの箱を手渡した。


「上出来でした」

「どうもありがとう」

「お姉さん、初めまして竹村誠一です」

「はじめまして」


 握手を求められ手を差し出すと厚くて頼もしい手をしていた。


「誠一は柔道の有段者、黒帯なんだ」

「すごいですね!」

「いや、それ程でもありませんよ。警察官ですから当然です」

「そうなんですね、立ち話もなんですからどうぞお入り下さい」


 賢治は「湊を入れるな」「綾野の家に行くな」とは言ったが警察官を部屋に入れるなとは言っていない。菜月は自分に都合良く解釈する事にした。


「これ、僕と誠一から」

「ありがとう!」


 ケーキの箱にはイチゴのショートケーキが四個詰められていた。最後の一個は賢治の分なのだろう。


「美味しそう、今、お茶淹れるね」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「竹村さん、紅茶でもよろしいですか?」

「はい、紅茶は大好きです」

「お砂糖はどうされますか」

「あ、大丈夫です。必要ありません」


 ダージリンの香りが漂うリビングテーブルには一枚の名刺が置かれていた。


「・・・・石川県警捜査一課」


 「付きまといやストーカーは基本、生活安全課に届け出るんだけど如月倫子は少し異常な気配を感じるんだ」

「そうなの?」

「それに誠一は大学時代からの友だちだから相談に乗ってもらったんだ」

「そうだったの」

「はい」


 甘いものを好むのだろうか、竹村誠一は言葉少なにショートケーキを食べていた。


「ケーキ、私の分も召し上がりますか?」

「いえ、大丈夫です」

「あぁ、菜月、誠一は緊張しているんだよ。25歳になって一度も女性と付き合った事がないんだ」

「うるさいですね」

「そうなんですね」

「はい」


 湊 はスーツのポケットから平たい手のひらに収まるサイズの機械を取り出した。


「それはなに?」

「ボイスレコーダーだよ、もし如月倫子が訪ねて来たり外で声を掛けられたら録音して」

「すぐに録音出来るよう服のポケットに入れておく事をお勧めします」

「・・・分かりました」


 ケーキを食べ終え片付けようとした湊はゴミ箱の中にタッパーウェアと多摩さんが作った煮物が散乱している事に気が付いた。菜月が慌ててそれを隠そうとしたが遅かった。


「なに、これ」

「・・・・昨夜、賢治さんが」

「賢治さんが捨てたの?なんで?」


 竹村誠一の目前でありながらも菜月の目から涙が溢れ落ちた。


「どうしたの、いつもこんな事をするの?」

「もう綾野の家に行っちゃ駄目だって、湊をマンションに入れるなって怒鳴ったの」

「怒鳴った?」

「それからダスターを投げつけられたの」


 竹村誠一の手が止まった。


「雑巾を投げつけられたんですか?」

「はい」

「今までこんな事はありましたか?」

「い、いいえ」


 湊と竹村誠一は顔を見合わせ、そして居直った。


「綾野さん」

「はい」

「もしかしたらご主人の行動がエスカレートするかもしれません」

「エスカレート」

「攻撃的になり暴言や暴力を受けた時はそれも録音する事をお勧めします」

「録音、ですか?」

「はい。ドメスティックバイオレンス、モラルハラスメントの予兆が考えられます」

「・・・・まさか」


 菜月は顔色を変え、湊 を振り向いた。


「菜月、離婚を考えているならそうした方が良いよ」

「分かった」

「綾野さん、その不倫相手やご主人様から酷い暴力を受ける様な事があればいつでもご連絡下さい。近隣の交番から警察官を向かわせます」

「ありがとうございます」


 竹村誠一は名刺の裏に「私、個人の番号です」と携帯電話番号を書き込み菜月に手渡した。

 ドメスティックバイオレンスにモラルハラスメント、これまでの優しい賢治からは想像も付かない菜月だったが思い当たる節もある。


(三ヶ月前から、少し言葉遣いが荒くなったかも・・・)


 やはりそれは如月倫子と付き合い始めた時期と重なる。不倫をして賢治は変わってしまったのだろうか?そんな事を考えながら後片付けをしていると不意に肩を叩かれ飛び上がった。


「キャッ!」


 そこには眉間にシワを寄せた賢治が立っていた。ただならぬ気配を感じた。それにこんな時間帯に会社から戻る事は今まで一度もなかった。


「ど、どうしたの」

「お前は約束を守れないのか」


 菜月はエプロンに入れてあったボイスレコーダーのスイッチを押した。


「なに、何の事?」

「その洗い物は何だ!誰が来た!湊 だな!」

「・・・・見張ってたの!?」

「あの男は誰だ!」

「それは」

「お前、男二人と何やってたんだ!」


 賢治は菜月の寝室の扉に向かってクッションを投げ付けた。チェストに置かれていた雑誌が乱雑に床に落ちた。


「キャッ!」

「気持ちいい事でもしてたのか!?」

「なに馬鹿な事を言ってるの!賢治さん、昨日からおかしいよ!」

「うるさい!」


 賢治はリビングテーブルを足で蹴り倒すと菜月の肩を激しく揺さぶり鬼気迫る表情で睨みつけた。


「菜月!今日から外に出るな!」

「え、どういう事!」

「部屋から一歩も外に出るな!誰も入れるな!」

「ゆ、郵便物は」

「俺が持ってくる!」

「湊とはLINEもするな!毎日チェックするからな!」


 賢治は自分の愚かさをかえりみる事なく、また自身の”不倫行為”が露呈する事を恐れ菜月の意思と自由を奪った。

 ボイスレコーダーの赤いランプは点滅し続けた。