34 八月三十一日(二十一日後)

 今日で仕事を辞めた。


 エージェントは渋っていたが、入院してからずっと体調が悪いのだと伝えると、

「そもそも来月末までの契約でしたしね。先方も、早く辞めてほしいみたいでしたし」


 と、嫌味が返ってきた。無断欠勤もしてしまったので当然の評価だと言えよう。

 おそらく、この派遣会社が僕に仕事を紹介することは二度とないだろう。

 だけど不思議と怒りは湧いてこなかった。失望もない。


 僕は電話口で「そうですか」とだけ言うと、彼女はちょっと意外そうだった。

 退院してから、あれこれ理由をつけて結局三日しか出勤しなかったが、主任は以前にもまして僕を嫌い、ときには殴られることもあった。


 だが、僕にとってはすべてがどうでもいいことだ。

 どんなに人から疎まれたり、嫌われようと、もう過ぎたること。

 宮越くんから「お世話になりました」という簡素なメールだけが届いたが、それを確認すると、すぐに削除した。グループチャットからも、追い出される前に自分から退室した。


 がらんどうになった部屋に、僕は一人ぽつんと立ち尽くした。

 今日でこの部屋も立ち退く。


 ここから眺める海も見納めだ。僕は窓辺に近づく。

 ふと、ベランダに小さな塊が縮こまっていた。


 コパンだ。


 声をかけると、彼はぴくんと頭をあげる。その首には真新しい首輪がついていた。

 誰かに飼われることになったのだろう。

 窓を開けてみたが、コパンは近づいてこない。

 大きくて丸い目が、品定めでもするかのように僕を見つめているだけだ。

 僕が犯した罪を見透かされているみたいで、無性に気に入らない。コパンの餌入れを掴み、思い切りぶん投げた。


「あっちいけ、クソ猫!」


 餌入れは、彼の目の前に落下する。驚いて飛び退いたコパンは、僕を振り返ることなく、軽やかな鈴の音を響かせて去っていってしまった。


 忌々しい猫め、と毒づきながら僕はカーテンを閉じ、部屋を後にした。


 さよなら、コパン。

 僕にはもう、友達はいらない。