20 八月十四日(土)(四日目)

 翌朝、ヨルはちゃっかり部屋に戻っていて、のんびり映画を鑑賞していた。

 工場から帰ってきた僕が、夕方から同窓会に参加することを伝えると、ヨルは「お赤飯炊いておきます!」と少しずれたことを言って送り出してくれた。


 久しぶりにスーツを着込み、僕はハガキに記載されていた会場へと向かった。

 どうやら、同窓会はホテルの広間で行われるようだ。

 緊張で心臓が飛び出しそうになりながら、フロントのホテルマンに名前を告げると、快く三階の会場に案内してくれた。


 階段を登り切ると、広い廊下が続いていて、一番奥の扉の前に、『藤島市立北中学校 同窓会会場』という看板が置いてあった。


 扉は開け放たれていて、部屋の中から男女のざわめきが漏れている。


 それが学校の教室の雰囲気に似ていて、僕の足は途端にズシンと重たくなった。

 勢いで参加してしまったけど、本当に良かったんだろうか。

 中学を卒業してから、クラスメイトの何人が市内に留まり続けているのだろう。


 半分……いや、藤島市は決して都会ではない。


 ほぼ全員が友達化していない可能性もあり得る。

 野本くんと会うのが目的ならば、彼と一対一で食事をする約束を取り付けても良かったかもしれない。


『受付』という看板を観た瞬間、足がすくむ。

 どうしよう、怖い。

 友達が一気に増えて、ちょっと調子に乗りすぎたのだ。

 だが、ここで帰ったら野本くんに迷惑がかかるかもしれない。それはダメだ、

 挨拶だけして、帰ろう。うん、それがいい。

 勇気を奮い立たせて、僕は受付へと近づいていった。


「あの」

「はい。あっ、北村くん、来てくれたんだね!」


 顔をあげたのは、すっかり大人びた野本くんだった。中学の時の印象とはだいぶ変わっているが、大きな眼鏡だけは健在で、むしろ昔よりレンズが厚くなったように思える。

 僕よりも身長が低いのは相変わらずで、親近感を覚えた。


「お久しぶりです。昨日は突然連絡してすみませんでした」

「もう。敬語なんてやめてよ。今日は楽しんで行ってくれよ」

「は、はい……じゃなくて、うん」


 僕が会費の五千円を入れた封筒を野本くんに渡すと、代わりに臨時で用意したのだろう、手書きの名札を渡してくれた。


「ちょっとかっこ悪いけど、勘弁してね」

「むしろ、用意してくれてありがとう」

「へへへ」


 野本くんは、眉を八の字に下げて笑った。それは、クラスの爪弾き同士、ごくたまに交わす雑談の中で垣間見せる笑顔と同じで、懐かしさが蘇る。


 もっと野本くんと話がしたかったが、受付業務を担っている彼の邪魔をするわけにはいかない。僕は後ろ髪を引かれながらも、「またあとで」と言って会場に足を踏み入れた。


 こわごわと中を覗き込むと、きらびやかなシャンデリアに目がくらむ。

 美味しそうな料理が並ぶ長テーブルと、立ち話をしている華やかな元クラスメイトたち。

 見覚えがあるようで、ないような……微妙なメンツだ。


 男女合わせて、すでに十人ぐらいいる。数グループに分かれ、楽しそうに固まって話をしている。中には幼い子供の手を引いている女性もいてびっくりした。

 たしかに二十三歳といえば、子供がいてもおかしくはない。


 僕よりも遥かに早いスピードで人生のコマを進めている人を目の当たりにすると、焦燥感に包まれる。

 自分から話しかけることもできなくて、僕は手書きのネームプレートが置かれている席についた。


 できるだけ気配を消して、誰からも声をかけられないと願いつつ。


 まるで、中学校時代のときのように。


 だが、そんなことをすれば逆に目立つということに気づかなかった。


「あの人、誰?」


 陰口を囁くような声が背中越しに聞こえた。こわごわ振り返ると、みんなが物珍しそうな目で、僕を見つめていた。

 ああ、やっぱりここに来たのは間違っていた。一気に後悔が膨らむ。

 すると、彼らの中で一番派手な髪色をした男が大股で僕に近寄ってきた。


「よお。北村も来たんだな」


 彼が右胸につけている名札には『尾瀬』という名が書かれていた。

 その瞬間、僕の心臓はドクンと跳ねた。首筋に、冷たい汗が垂れる。

 彼は隣の席へどっかりと腰を下ろすと、


「久しぶりじゃん。なんで成人式は来なかったんだよ」


 短い会話ではあるが、彼が『友達化』しているのだとすぐに悟った。僕は曖昧にうなずいて、精一杯の作り笑顔を浮かべた。


「ちょっと、用事があって」

「へえ。成人式より大事な用事なんてあるんだ?」

「まあね」


 上手く笑えているだろうか。

 尾瀬。

 君が作ろうと言い出した友達ランキングのせいで、僕は学校に行けなくなったんだぞ。

 友達化している今なら、嫌味の一つぐらい言ってやろうか。

 いや、僕を遠巻きに見つめる大勢の元クラスメイトたちの視線が刺さって、とてもじゃないがそんなことを言える空気ではなかった。

 尾瀬は僕の心中に気づいた様子もなく、へらへらと笑いながら続けた。


「俺、ずっと留学してたんだけど、北村はどこの大学行ったんだっけ?」

「大学?」

「あ、これ名刺」


 尾瀬は手慣れた仕草で、名刺入れから一枚抜き出すと僕に手渡してきた。

 会社名を見て驚いた。県で一番有名な企業だ。僕の反応を見た尾瀬は、満足そうに口元を歪める。


 彼にとっての友達というのは、こうして自分の地位をアピールするためのものなのかもしれない。

 きっと「すごい会社に勤めているんだね」と言われるのを期待しているのだろうが、僕は自分が思っているより彼が嫌いなようだった。そのまま出来る限りの愛想笑いを浮かべ、


「ごめん。僕、名刺忘れちゃった」


 と言って流した。


 尾瀬は少しだけアテが外れたようにキョトンとしていたが、あからさまに唇を尖らせる。


「ふうん。同窓会なんて、社会人にとっては格好の営業先なのに、相変わらず抜けてんな」

「僕は、別に営業職じゃないから」

「なんの仕事だよ」


 しがない工場の派遣社員。とは言いたくなかった。僕にもちっぽけなプライドは残っていたみたいだ。


 僕が口を開かないのを見て、尾瀬は「自分のほうが上っぽい」と判断したのだろう。満足げにフンと鼻を鳴らす。


「まあ、いいや。じゃあ今度、遊ぼうぜ。久しぶりに会ったんだし」

「機会があればね」


 ああ、だめだ。ヨルの魔術のおかげで、今までいろんな人と話して、それなりに人付き合いには慣れたように思えたのに。

 尾瀬と話していると、学生時代の自分が蘇ってきて、呼吸するのさえ苦しい。

 今にも叫び出したい衝動が、腹の底から突き上げてくる。


 僕らの会話が一区切りついたのを見計らって、遠巻きに眺めていた他の元クラスメイトたちが遠慮がちに近づいてくる。


「やっぱり北村だ。久しぶり」という、定型文みたいな挨拶を皮切りに、友達化している人たちは馴れ馴れしく接してくる。


 まだ一滴もお酒を飲んでいないはずなのに、ひどく目眩がする。むらむらと吐き気に似た苛立ちに体が震える。テーブルの下で、きつく握りしめた拳が痛い。

 それなのに、顔には笑みを貼り付けている。


 本当に中学時代に戻ったみたいだ。


「そういえば、なんで学校来なかったんだ?」


 唐突に、尾瀬が言った。


「え?」

「たしかずっと不登校だっただろ。担任は家庭の事情とか言ってたけど」

「私は入院してたって聞いたよ」


 尾瀬と、周りにいた元クラスメイトたちが、興味深そうに僕の顔を覗き込んでくる。


「覚えて、ないの?」

「何を?」


 あ、だめだ。


 この人達は、『友達ランキング』のことなどすっかり忘れているのだ。

 自分の呼吸が、だんだん浅くなっていく。

 僕はどこかで、彼らが謝ってくれるのではないかと期待していたのかもしれない。

 これは。この感情は。怒りだと気づいた。

 ちらりと会場の入り口を見やると、続々と元クラスメイトたちが入室してくるのが見えた。

 心がさざなみ立つ。もうだめだ。これ以上は耐えられない。


「ごめん、トイレ」


 僕はそっけなく言い、鞄を抱えるようにして席を立った。

 不審に思った尾瀬たちの声を無視して、僕は足早に会場から飛び出した。

 限界だ。帰ろう。このままここにいたら、どうにかなってしまう。

 やっぱり同窓会に来たこと自体が間違っていたのだ。

 僕は一階に続く階段を駆け下りた。


 その時。


「北村くん!」


 背後から名前を呼ばれ、驚いて足を止める。

 振り仰ぐと、血相を変えて追いかけてくる野本くんがいた。


「北村くん、どうしたの? もう始まるよ?」

「あ。その」


 情けないが、こうして真正面から問いただされると言葉に詰まる。


「なんかあったの?」


 過去の思い出が脳裏をよぎる。

 そうだ。野本くんは、いつだって僕の味方だった。

 ひとりぼっちの僕に、学校へ行こうと誘ってくれた。

 彼なら……僕の本当の友達になってくれるかもしれない。

 僕は鞄を胸の前で抱きしめ、野本くんに向き直る。


「野本くん。友達がいなかった僕と仲良くしてくれてありがとう」

「どうしたんだよ、いきなり?」

「いつも宿題を届けてくれたでしょ? 今日はそのお礼が言いたくて来たんだ。野本くんだけが、僕の……その……唯一の友達だったから」


 野本くんの表情が、なぜか強ばる。


「そう思ってたんなら、学校に来てくれたらよかったのに」

「え?」

「だって……北村くんが学校に来ないから、ぼくが尾瀬の標的になってたんだよ」


 キン、と耳鳴りがした。

 何だ? 野本くんは、僕に何を言おうとしている?


「いじめられてたの?」

「いじめっていうと大げさだけど。学校では散々だったよ」

「僕が、代わりになればよかったのにって言いたいの?」

「そういう意味じゃないよ。ただ……友達なら、君と仲良くしていたぼくが、どんな目に遭ってるか分からなかったのかなって」


 謝ればいいのか、反論すればいいのか、判断がつかなかった。

 何度も僕の家にやって来ては、一緒に学校へ行こうと誘ってくれたのは……自分のため?

 生贄を、引きずりだそうとするため?

 なるほど。

 そういう真意があったのか。


 その瞬間、膝の力が抜けるような思いがした。


「じゃあ、なんで幹事なんてしてるの? みんなを恨んでるんじゃないの?」

「ぼく、尾瀬くんよりいい会社入ったんだよね」


 野本くんは、丸レンズの眼鏡の縁を指で押し上げ、左手に巻いた腕時計を僕の前でかざした。

 僕にその時計の価値はわからないが、きっととても高価な物なのだろう。

 それだけで、彼がこの同窓会を開いた理由がすべてわかったような気がした。


「でも、今日は北村くんと話せてよかった。学生時代は色々あったけど、改めてこれから仲良くしようよ」


 野本くんはそう言って、ゆっくり階段を降りてくる。

 張り付くような笑みの下に、一体どんな感情が押し殺されているのだろう。

 きっと、復讐の対象は僕にも向けられていたはずだ。

 でも、ヨルとの契約によって、彼は僕を友達として好意を抱くよう仕向けられている。


 本当の友達?


 そんな思いを抱いてた自分が、あまりにも滑稽で嫌気がさした。


 彼は、僕のことをずっと憎んでいたというのに。


 一段一段、噛みしめるように階段を降りてくる野本くんに、背筋がぞっとする。

 やっぱり、僕には最初から友達なんていなかったようだ。

 僕は素早く階段を駆け下り、逃げるようにホテルをあとにした。

 初めて、友達化をした人間が怖いと感じた。