Ⅸ 悪意侵攻 33 ハルキ・アーレス 直接対決①

 甘く優しい香りが周囲に漂う湖の畔。際限なく続くかに視えた邪素との対峙は、此処に来て思わぬ展開を迎えていた。


「グリエル様! 邪素が……邪素が薄れて来ました!」

「皆、もうひと踏ん張りだ!」


 グリエルがエルフ達の士気を上げる。既にガーネットの香りを過剰摂取した事で倒れてしまったエルフは退場している。このままでは結界が持たない、極限状況の中、邪素の減少は朗報であった。


「これで……なんとかなりそうね……」

「ちょっとガーネット……無理しすぎだって……」


 ふらついたお姉さんガーネットを支えてあげる。彼女の触れる頬が熱い。いつも余裕の表情だった彼女からは想像もつかない姿に俺も思わず目を見開く。


「ガーネット……!? 身体が熱いよ?」

「魔力を無理矢理回復させ続けて星屑スターマナを取り込んだ代償ね。でも、もうちょっとだから……」

「駄目だって! ガーネットは休んでて、後は俺とグリエルさん達でなんとかするから!」


 凭れ掛かる彼女を肩で担ぎ、湖畔へ寝かせる俺。結界外の邪素は薄れて来ている。もしかしたらメイちゃん達が元凶をなんとかしたのかもしれない。


「後は我々でなんとか出来る危険度だ。湖の南にフォルトゥナの神殿地下へ通じる緊急転移用の魔法陣を配置した祠がある。神殿の豊穣の泉で回復させるといい!」


「グリエルさん、ありがとうございます。行くよガーネット!」

「この程度の事で助けを借りる事になるなんて……情けないわね……」


 いや、むしろガーネットが居なければ結界の威力も足りず、エルフ達の魔力も尽き、一瞬にしてエルフの国は魔物に襲われていただろう。ここまで結界を持たせ、邪素から国を護った彼女の功績は大きい。


「後は俺に任せてゆっくり休んでよ」

「頼もしい事言うじゃない……ありがとうハルキ」


 そのまま俺はガーネットを背負い、祠へ移動。転移用の魔法陣よりフォルトゥナの神殿へと向かう。地中には創星樹の大地に張った巨大な根が張り巡らされ、空間は清浄な空気で満ちていた。豊穣の泉は転移魔法陣がある部屋のすぐ近くに位置しており、比較的すぐに見つかった。


「ガーネット、すぐに回復させてあげるから」


 創星樹の根に囲まれた部屋中央、生命力に満ち溢れた円形の泉が俺達を出迎える。背負っていた彼女を下ろし、泉へそのまま彼女を入れてあげようとすると、彼女が火照った身体をそのままに俺へ視線を送る。


「……服、着たままじゃ回復しないでしょ?」

「え……ちょっと……ガーネットっ!?」


 俺の前で突然脱ぎ始める彼女。火照った表情が煽情的に見えて、俺は慌てて目を逸らす。ワンピースを脱いでそっと大理石の上へ畳んでおく彼女。赤い下着を脱ぎ捨て、産まれたての姿になった彼女の美しい背中が俺の視界に滑り込んで来る。


「私の背中見て、興奮してるんでしょ、ハルキ」

「じょ、冗談言ってないで、早く入りなよ!」


 ブロンズヘアーを靡かせつつ、ふらつきながらも泉の中へと入る彼女。肩まで浸かった瞬間、彼女の身体が淡い光に包まれる。豊穣の生命力により、彼女は生気を取り戻していく。


「はぁ……生き返るわ……ハルキも一緒に入る?」

「いや、遠慮しておきます……」


 俺が泉に入る見返り美人を横目に困った表情をしていると、突然大地に激震が奔り、上階より轟音が唸る。天井より粉塵が舞い、土砂が落ち、明らかな異常事態を伝えていた。


「なっ、何だっ!? 邪素は収まったんじゃなかったのか!?」

「えっ、ちょっと何なの!?」


 どういう事だ。邪素による侵攻が収まったのなら、この大地の震動は何だ。創星樹の根が小刻みに震え、泣いているように見える。


「ガーネットはまだ回復していないだろうから此処に居て!」

「もぅ……せっかく今からハルキと混浴を愉しむ予定だったのに……!?」


 ガーネットの目的が自身の回復から欲情を満たす手段と変わる前に、俺は槍を持ち、神殿上階へ向かう準備をするも、彼女の細い腕が俺の腕を掴む。


「待ってハルキ!」

「ごめんな、傷ついたガーネットの傍に居てやれなくて」


 背を向けた俺を呼び止めるお姉さん。背を向けたまま俺は彼女へそう告げる。


「そうじゃないわ……。くれぐれも気をつけてね……援助力・タイムオドル!」


 両手で俺の左手を握ったまま、彼女の清潔感のある清浄な香りが俺を包む。僅かに回復した魔力を使い、彼女は俺を送り出す。ガーネット……君には頭があがらないな。


「ありがとうガーネット。行ってくるよ」

「回復したなら、私もすぐに向かうわ」


 そして俺は、地上へ向け走り出す。巨大な大樹の根が振動と共に揺れている。地上へ続く透明な水晶で出来た螺旋階段を上っていくと、美しく輝いていた豊穣を讃える神殿は、変わり果てた姿となってしまっていた。


「なんだ……これは……」


 蒼い炎が大樹を燃やしている。生き残ったエルフ達が水属性の魔法で消火しようにも消える事がない炎。燃え移った炎に一人の銀髪エルフの身体が無残にも溶けていく……。


「あの炎……触れては駄目だ」


 本能がそう告げる。邪素に満ちた炎。触れた瞬間、対象を溶かす蒼いゆらめき。大樹に移った炎が燃え広がらないのは、恐らく大樹そのものの生命力によるものか、豊穣の女神が護っているからか、いずれかだろう。しかし、このままではエルフの国が危ない。


「敵の目的は……恐らく女王様か……」


 蒼き炎を掻い潜り、広い神殿の上階を目指していく。エルフの国所々で煙があがっている。あれも敵による侵攻か。こんなの一人の力じゃあ止められない。せめて女王様だけでも護らないと! そう思っていた矢先、正面から猛烈な風が襲いかかり、俺の両腕を引き裂いた。


「一体なんだ……!?」

「ヤァ。俺ノ風ェ~、気持ちいいだろ? 俺ノ風デェ~八つ裂きになってくれよっ!」


 白髪で全身褐色肌のエルフ……否、ダークエルフ・・・・・・が俺の前に立ち塞がっていた。