β 閑章Ⅰ 14 マイ・アークライト・ヴェガ《私の彦星》

 ――クレイ様。あなたは私にとっての彦星でした。今迄も、これからも……。



「お前にはこれから、此処、ラピス教会の密偵として働いて貰う」


 アルシューン公国にて成人の儀を終えたあの日、いつも優しかった司祭は今迄一度も見せた事のない老獪な笑みを浮かべた。そして、シスタージスと共に紹介された透き通るような美しく蒼い髪の青年――それがクレイ様だった。


「闇に潜む者を裏から探り、教会にとって都合が悪い・・・・・事象を排除するの。あなたとクレイにはそれをやって貰うわ」


「僕はクレイ・アクエリアス。よろしくね、マイちゃん」

「よろしくお願いします」


 この世界が歪んでいる事は私が一番よく知っていた。だって、私はこの腐敗した世界から抜け出そうとした人間だから……。


「へぇーー。じゃあ君はその国で、〝疑似星イミテーション〟の実験体にされたって訳か」

「ええ、だから人として扱われた事は今迄なかったの」


 疑似星創造実験イミテーションクリエイター――――


 世界にたった十二名しか居ないとされる創星の加護者。しかし、願星ギフトという特別な力が存在する中、数多の星には創星の加護へ匹敵する力があるとされていた。私が住んでいた国で行われていた実験。それは、強制的に星々の加護を得るための人体実験。


 身体中に管のようなものを何本も刺され、強制的に過剰な星屑スターマナ邪素ダークマター、魔力を流し込まれる日々。汗なのか涎なのか、身体の穴という穴から体液が噴出する。人間の尊厳なんてものは存在しない。痛みと苦しみはうに限界を超え、最早自分が誰なのかすら忘れてしまっていた。


「そうか。じゃあ君のアークライト・ヴェガという名前もその時に」

「そう。偶発的に私は力を得たの。そうでなければ他の子みたく棄てられていたかもしれない。かつての名前はとうに忘れてしまった。自分が誰なのか、何のために生きているのか分からない中、私はとある方の手引で実験施設を抜け出した」


 その後、この大陸へ向かう船へ忍び込み、アルシューン公国へ密国した私は、スラムを放浪していた際、司祭に拾われた。


 クレイ様は真剣な眼差しで私の話を聞いてくれた。そして、彼が凄絶な過去を持った転生者であり、あの国・・・が求める加護者である事を知る。


「僕も君も、どうやら人間として扱われなかった過去を持つ似た者同士らしい。だが、これからは自分の意思で生きて行く権利がある。もう君は一人じゃないさ」

「クレイ様……ありがとう」


 私達がひとつになるまでそう時間はかからなかった。最初はどこか掴み所のない人だと思っていた彼。教会の駒として使われる事を苦にせず、あくまで自由にこの世界を渡り歩く彼の信念と生き様に惹かれていった。


 喫茶ショコラはそんな折、アルシューン公国、セントラリアのメイン通りに開店した喫茶店だった。表での活動先を探していた私はウエイトレスとして、開店より携わる事となる。


 メイ・ペリドッドとは此処で出逢う。


 メイド服のようなゴスロリっぽい綺麗な衣装を纏った美しい銀髪を靡かせた女性。黒猫と一緒に来店する彼女は、いつもケーキと珈琲を注文し、それはそれは美味しいそうに食べていた。


「ん……」

「いつも美味しそうに食べますね」


 話しかけたのは監視目的ではなく、あくまで興味本位だった。


「んんっ!? ケホッ、コホッ」

「あわわ、すいません、あまりに食べ方が上品で素敵だったものでつい……」


 最初は神秘的ミステリアスで取っ付きにくい印象だった彼女も次第に打ち解けてくれるようになった。いつも彼女の肩にちょこんと乗っている黒猫も、温めのホットミルクをペロペロ舐める姿が愛らしかった。


 常連のお客様も増え、上級貴族のお客様も訪れるようになり、喫茶ショコラは巷で噂の人気店となっていく。


「マイ、よくぞ喫茶ショコラの店員として打ち解けてくれた。後は貴族達・・・加護者・・・の監視を続けるように」

「え……?」


 司祭に言われた言葉を理解するまでそう時間はかからなかった。所詮私は教会の駒。そっかぁ、私の動きは始めから監視されていたのね。


「君が仲良くしていたあのメイって子、僕と同じ加護持ち・・・・だよ」

「え、メイさんが!?」


 貴族達の怪しい動きは察していたが、あのメイさんが加護者という事実には気づいていなかった。


「そろそろ僕も動くよ。マイ、君は巻き込まれないよう、舞台上であくまでウエイトレスを演じ続けるんだ」

「私はクレイ様を信じるわ」


 そして、事件は起き、クーデターの首謀者であったマスターは粛正された。喫茶ショコラは閉店となり、店員であった私や他の従業員達も自然解散となる。


 ラピス教会北に位置する居住区、月明かりのみが照らす路地裏で、私は呼び止められる。


「貴女、新しい仕事先、探してるんじゃない?」

「……どちら様ですか?」


 月夜の晩に日傘を差す貴婦人。そして、隣に可愛らしい花柄のワンピースを着た幼女。上流階級らしき親子連れが、月光の照らす路地裏、私達庶民が住まう居住区を徘徊する光景は、あまりにも異質で。


「貴女に新しいお仕事を紹介してあげようと思って」

「にひひ。気に入ってくれると嬉しいんだけどなぁ~」

「すいません、急いでますので」


 近づく貴婦人と幼女を背に私は駆け出した。しかし、路地裏の角を曲がった先、さっきまで背後に居た筈の女と幼女は、悠然と私の眼前に立ち、妖しく嗤っていた。


「そんな逃げなくてもよくってよ? 貴女を取って喰うつもりはないのだから」

「よかったね。君はルルーシュに選ばれたんだよ、マイちゃん・・・・・!」

「……どうして私の名前を?」


 (こいつらは危険だ。空気に触れる私の皮膚が、脳が危険信号を発している)


「ジュークから報告を受けていたの。お店に優秀なウエイトレスが居るってね」

「にひひ。ウエイトレスとしても密偵スパイとしても有能だってね」

「あなた達……もしかして……マスターの……」


 私は掌を背後へ廻し、力を籠める。そして、空間に創り出した星の輝きを集めた竪琴を指先で弾き、旋律・・を奏でる。


「あら……ワタクシと戦おうというの? 矮小な人間の女子おなごが一人で? 滑稽ね」

「すご~い。綺麗な音だね~~耳を塞ぎたくなっちゃうよ~~」

「私は紡ぐ、浄化の歌を。魔よ、旋律の檻へ還り給え! 琴座の加護――星屑の旋律スターマナレコード、退魔の詩」


 光の旋律が金糸きんしとなり、音の五線譜が空間を紡ぐ。星の旋律が魔族を包み、光の檻へと閉じ込める。こいつらが上級魔族だとしても、魔を浄化する旋律ならば、時間稼ぎ位出来る筈。クーデターの首謀者ジュークを裏で操っていた者がこの国へ来ていた。すぐに教会へ戻ってクレイ様へ知らせなければ!


「何処へ行こうと言うのかしら、仔猫ちゃん」

「にひひ~。今の疑似星イミテーションだよね。面白いもの持ってるね、ますます気に入ったよ!」


 既に私の身体は動かなくなっていた。月光に照らされた影が捕縛されてしまったかのよう。背後からの声へ振り返る事も出来ず。だんだんと近づいて来る声に戦慄を覚えた。


「ワタクシの名はルルーシュ・プルート。よろしくね、仔猫ちゃん」


「……クレイ……様……」


 私の視界は真っ暗になった――――