――そうして喫茶店で働き始めて、2週間経った頃。
私は大体のことを覚えていました。一日4時間という時短勤務でしたが、10時~14時までなのでまかないも貰えて、仕事量も歯科助手の時と比べれば半分以下の仕事量で非常に楽でした。お給料も悪くなく、私の呑み込みが早いということで「一週間で研修充分だね、うんうん、今日で研修おしまいにするから、今日から時給100円UPの計算でやるね」と言っていただけました。なんていい人なのでしょう、と私はビックリしていましたが、横で楓さんが「研修の間は学生さんと同じ800円程度に設定してたからね。美愛ちゃんの仕事量だったら遅いくらいだよ」と耳元でこっそり教えてくれました。
何はともあれ、私にとってはとてもありがたい話です。
「2週間経ったことだし、今日は一人でレジとかお願いしてもいいかな?」
「はい、頑張ります」
「フフ、頼りにしてるわよ、後輩ちゃん」
「はい、先輩」
こそばゆいやり取りを冗談交じりに交わして、ホールの仕事へと行く楓さんを見送り、私はそろそろ会計に来るだろうお客様を待ち構えるためにレジに立ちました。
すると、新しいお客様がドアについている鈴を鳴らしながら入ってこられました。
「平日休みとか最高―っ」
「マジそれなー。まるで暇な主婦みてぇに喫茶店入るのサイコー」
「ギャハハ! 俺ら主婦ってか!」
「そうそう。ごつい主婦っ」
とても、楽しそうに笑いながら入店されたのは明るい髪色をした若い男の子二人組でした。どうやら明るい時間から酒盛りでもしていたのでしょうか。赤ら顔で、ボリュームが壊れた口を大きく開けてお話をされておりました。その二人組を見て、穏やかに談笑していたおば様たちがぎょっと目を見開いて、私に会計ぴったりのお金を渡すとそのままそそくさと退店されました。その背中にぴったりとくっついてついていきたい衝動に駆られましたが、残念ながら私はお客様ではなく店員です。
ぎゅっと目を閉じて一度深く深呼吸してから、私はお2人に「いらっしゃいませ」と笑顔で声をかけました。レジに立ったままでしたので軽くいなされる程度でお2人は勝手にいい席に座るだろうと思っていたのですが、どうやら私の声は私自身が思っていたより大きかったようです。
「お、綺麗なお姉さんいんじゃんっ」
「へー、バイト? なんか人妻っぽいけど、空いた時間にバイトしてるとか?」
「じゃあ時間持て余してる感じ?」
「え……」
怒涛のように話しながら近づいてくる2人の若者に、私の身体は固まりました。まさか、目を細め、上から下まで舐めるように私を眺めながら目前まで近づいてくるとは思わなかったのです。片方は明るい茶髪で刈り上げていて、片方は赤茶色系の髪でマッシュパーマで、2人とも一重で顔はそこそこ整っているという印象で……と、彼らの容姿を逆に品定めすることで一生懸命気を紛らわそうとしましたが、やはりレジを挟んでいるとはいえ手が簡単に届く距離の目前に来られると威圧感がありました。悲しいことに、2人とも180cmはありそうな背丈でしたから、猶更圧があったのです。
「あ、困ってる。かーわい」
「暇そうな可愛い子探しに行こうと思ってたけどまさかこんなところにいるなんてなー。探す手間省けたっつーか、年上って全然ありな」
「思った。昼間はもっとおばさんばっかりかと思ってたのにな」
「あ、あの……メニューはテーブルにありますので、どうぞお好きな席にお座りください。ご注文お決まりでしたら、お伺いいたしますので」
相手は年下。
遥かに年下の、子どものような存在。
男であっても、何も怖くない。
息子のような、男の子なのだから。
呪文のように心の中で唱えながら、私は笑顔の仮面をかぶり店員として正しい言葉を絞り出しました。その選択は、私としては間違っていないと思っています。多分、もう、何を言ってもどうしようもない状況になっていただけだったのでしょう。
目をつけられてしまった、瞬間から。
「じゃあ、お姉さん注文します」
「え?」
顔が整っているからか、口角を上げてさらりと告げる姿はサマになっていました。私がもっと若い年齢でしたら、ドキリとしたのでしょうか。実際、今、心臓は跳ね上がりました。
嫌な震え方で。
「やっば、お前超キザ。ナンパとかする奴だっけ?」
「えー? いやー、なんかビビっときたってゆーか。このお姉さんマジ好みだし」
「あの……すみません、私、旦那も子どももいますので」
震える手指をレジの後ろに隠しながら、私はなんとか笑顔を保ちました。ただ、事実を伝えただけなのですが、目の前の2人は囃すように「ヒュゥ」と口笛を吹きました。
「マジ? 人妻なんだ」
「やっば、ドラマみてぇ」
「じゃあ俺がお姉さん連れてったら不倫?」
「うわー、お前慰謝料払わなきゃじゃん。ギャハハ、犯罪者っ」
「えー? でも、お金払って人妻ゲットできるとか、いいかも」
「はー? お前マジ? ヤバー、最高のネタじゃん」
「俺金は結構あるんだよなー。フハ、悪くて良い男と言って」
彼らは
何を
話しているのでしょうか
「他のお客様にもご迷惑になりますので、ご注文がないのでしたら」
「俺ら以外他に客いねぇけど?」
言われて、私はハッと周りを見渡しました。