その一瞬の変わりように私は動揺しそうになりましたが、悪女の仮面をかぶった私は見事なほど不思議そうに首を傾げて「え……?」とよくわからないといった表情を浮かべてくれました。
心臓は、ずっと嫌な音を立てて酸素を奪ってくるのに。
「だって、久しぶりのメッセージで『あの時』て言うぐらいだよ。それって、結構直近のことを指していると思うんだよね。だって私、大智とはもう何年もの付き合いだもの。どういう頃を指して言ってるのか、文字だけでもわかるよ」
「え、それじゃあ……いつのことだろう。……直近だったら……二人で飲みに行ったこと?」
「うん、多分、それ。私も疑わしいなって思う時は何度もあった。でも、2人を信じたかったから何も言わなかった……けど、ちょっと、改めて聞いていいかな?」
楓さんの真摯な瞳が、悪女の仮面をかぶった私を射抜く。
私は、その視線を――真正面から受け止め、頷きました。
だって、悪女の仮面をかぶった私は、何もしていないと思い込んでいますから。
「2人で飲んだ最後の日。大智の髪、濡れてたの。ちょっと石鹸の香りもした。……今思えば、あの日以来、2人で飲むことがなくなったよね?……ねぇ、本当に、ナニもしてない?」
「何も……て、いつも通り飲んで食べて、次に楓さんと行くお店のリサーチのために昼のお店を2人で相談しましたから、何もしていないわけではないですね」
「いや、そうじゃなくて……あーもー直球で言うね」
楓さんは言いにくそうに頭をがしがしかいた後、ずいっと身を乗り出しました。
「してないよね? セックス」
「セ……」
悪女の私は絶句します。
そして目を見開き、言葉を発そうとして――
「きゃあ! て、店員さん! すみません、連れが嘔吐して!」
咳き込む私に驚いて立ち上がったものの、楓さんはすぐに店員さんを呼び冷静に対処してくれました。汚いものを床にぶちまけてしまいましたが、タオルで抑えていたので少量で済んだこと、席同士が離れていたこと、通路が広めにとられていたこと、店内のお客さんが数名しかおらず店員さんが雑巾や消毒液など素早い対応をしてくれたことにより、大騒ぎにはならず、10分後には別の席に移動して腰を落ち着けれるぐらいの状態になりました。タオルは捨てることとなりましたが、タオル一つの犠牲で済むなら安いものです。新しいおしぼりを数枚貰って口を拭き、幸い服を汚さずに済んだ私は、清潔なおしぼりを口元に当てながら背もたれにもたれかかりました。
「ごめんなさいごめんなさい、到底その対象としては見れません。人の旦那さんに対してごめんなさいごめんなさい……」
呪文のように何度も呟き、何もない一点を見つめ涙を零す私に、楓さんはみるみる青ざめました。
「ごめん、こちらこそごめん! もう言わない、もう疑わない、本当にごめんなさい。美愛ちゃんが男性恐怖症だとわかっていたのに……本当にごめんなさい……!」
楓さんは、ぼんやりと一点を見つめ続けぶつぶつ呟く私の腕に縋りつき、そして、震えながらさすり、何度も謝りました。後悔とショックの色に染まった楓さんの姿を視界の端に捉えながら、私は、崩壊した涙腺をそのままに、涙をとめどなく流しました。
楓さん。
こちらこそごめんなさい。
一度だけとはいえ、裏切ってしまってごめんなさい。
それを隠すために、こんな演技をしている私でごめんなさい。
暫く、私と楓さんはお互い泣き、そして。
最初に落ち着いた楓さんは言いました。
「もう二度と、疑わないわ」
ああ、私の大好きな楓さん。
純粋で優しくて、あったかい楓さん。
私は、見事、悪女の仮面を綺麗にかぶり、楓さんの信頼を勝ち取ることが出来ました。
我ながら、完璧な
私は何度も深呼吸を繰り返し、漸くまともに喋れるまでに息を整えてから、楓さんとしっかり目を合わせました。じわりと目に涙がにじむように、目を細め、何度も瞬きをしました。目尻から一滴涙が伝うのを感じてから、私は口を開きました。
「すみません……私も、こんなにダメだとは思わなくて……このままじゃ……私、本当に働きたくなっても、ダメなのかな……」
言葉尻が、自然と涙で濡れました。