哀れな女《2》

 短剣を右腕一本で防ぎ続けること十分ほどが経ち、男が挑発した。

「飽きたな」

 ギッシュは左手に構えた刀の向きをくるりと変えて、逆手に持った。

 男とギッシュの攻撃が同時だった。

 男の短剣が腹を刺し貫き、ギッシュの刀は右手首を斬り落とした。

「ぐああああっ! まだ、まだ、これくらいなら! やれる!」

 左手に握られた短剣が迫ってきた。

 口端から鮮血を滴らせるギッシュは、不敵な笑みを崩さない。

 右胸を短剣が貫く鈍い音が響いた。

「諦めろよ」

「これでっ! どうだっ!」

 ぜぇぜぇと息を吐きながら、男が叫んだ。

「大した痛みではない。こんなのは」

 ギッシュは言い放つと、右腕を斬り落とした。

 動かない右腕がごとりと床に落ちた。

「ああああああっ!」

 さらなる痛みに、男が絶叫した。

「ここから、逃げっ……!」

 ギッシュは男の言葉を遮るように、心臓に刀を突き刺した。

 鮮血の滴る刀を引き抜くと、切っ先を茫然としている女に向けた。


「ああああ……。この人なら、守ってくれる。そう思っていたのに。あなたは、守ってくれる?」

「ふざけるな。貴様なんぞ、守る価値がない。貴様は一人で、死ぬしかないんだよ。……これも邪魔か」

 ギッシュは鼻で嗤いながら言い放ち、短剣を右手で引き抜いて捨てた。続いて斬られてボロボロのコートとグレーのシャツをつかんで、右腕の部分を破いて捨て、嵌めていた手袋を外した。

「っ!」

 女はあらわになった義手に目を奪われていた。

「見惚れるほど、なのか」

 ギッシュの一言で、女が我に返り、骸の傍らに落ちていた短剣を拾って構えた。

 その両手はがたがたと震えている。

 ――哀れだな。そして、怯えているのだろう。

 ギッシュはそんなことを思いながら、刀を握り直した。

「ひっ!」

 女が悲鳴を上げた。

「足掻くなら勝手にしろ。貴様は、ここで終いだ」

 ギッシュはあえてゆっくり刀を振り上げた。

「ああああっ!」

 女がその間に突っ込んできた。

 左胸に短剣が突き刺さった。

 ギッシュは咳き込んで、鮮血を吐き出した。

 女はかなり強い力で、突き刺さった短剣で傷を抉った。

「ふっ……ははは」

 ギッシュは恐ろしいほど冷たい目で、女を見下ろした。

「なんで、笑っているの?」

「この程度の傷で、弱ったと思った貴様の浅はかさを、嗤っているだけだ」

「死にたくないのよ! あんたを殺してでも、生きたいのよ!」

「自分のことしか頭にない女が、この国で生きたいと? ふざけるな」

 ギッシュは笑みを消し、低い声で言うと、女の首を刎ねた。

「ごめ……」

「謝罪か。遅すぎるんだよ、このバカ」

 倒れる骸に対して、ギッシュは吐き捨てた。

 骸の現在地をメールしてスマートフォンを仕舞った。

 コートを羽織り、ポケットに手袋を突っ込んで、刀についた鮮血を殺ぎ落とす。

 刀身を一瞥してから、鞘に仕舞うと、ふたつの肉塊を避けながら、家を出ていった。



 ギッシュが向かったのはトサが営んでいるクリニック。煌々と明かりがついていたのを見て、相変わらずだなと思いつつ、ドアを開けた。

「邪魔するぞ」

「君かい。あーあ、また派手にやったねぇ」

 トサの言葉にギッシュは苦笑するしかない。

 診察室に入ると、コートとシャツを脱いだ。

「傷はこれだけ? それにしては、どれも深いよ。なんでこんなに傷ついているのに、表情は変わらないわけ? むしろ辛そうな顔をするのが普通だと思うけれど?」

「顔に出すわけにはいかない」

 ギッシュは吐き捨てた。

「まったく君は。本当にボロボロなんだから」

 ギッシュは無言。トサに言われた言葉に反論ができない。そのとおりなのだから。今回は、腹と両胸に怪我をしている。三か所の傷からは、だらだらと鮮血が流れている。

「抉られてるところもあるね。ガーゼと包帯をしておくから。すぐにはオーダーを受けないで」

「どれくらいだ?」

「せめて、一週間」

「……分かったよ」

 ギッシュは溜息混じりにうなずいた。

 それからしばらくして、トサの手が止まった。

「手当てはこれでお終い」

「そういえば」

「なに?」

 トサが首をかしげた。

「ヴァネッサという女に、家事を任せることにした」

 ギッシュは低い声で言った。

「おや、珍しい。恋人候補?」

「珍しいってな……。そんなわけがないだろうが」

「だよね。じゃ、一週間後にまたきて」

「ああ」

 ギッシュはシャツとコートを着ると、クリニックを後にした。



「ただいま。……寝ていても、よかったんだぞ?」

 リビングに顔を出すと、ヴァネッサがいた。

「お帰りなさい。怪我、したんですか?」

 コートを脱ぐギッシュを見ながら、ヴァネッサが心配そうに尋ねた。

「手当てはしてきたから大丈夫だ」

「あ。これ。とても疲れ切った男性からです」

 ヴァネッサは言いながら、分厚い封筒を差し出した。

「ん。成功報酬の五十万か」

 ずしりと重いそれを受け取りながら、ギッシュが呟いた。

「五十万っ!?」

「多額だよな」

 目を見開いて驚いているヴァネッサを見た、ギッシュが苦笑した。

「いつもそれくらい、もらっているんですか?」

「依頼してくる奴によるな。多いときもあれば、少ないときもある。だがな、ただ働きはしないと決めている」

「そうなんですね」

 へぇ、とヴァネッサが言った。

「俺の帰りはいつも遅くなる。待たなくていいぞ」

「嫌です」

 ギッシュの言葉に、ヴァネッサが即答した。

「どうしてだ?」

「オーダーをこなすたびに怪我をして帰ってくるのであれば、せめて大丈夫か確認したいんです」

「……好きにしろ」

 ギッシュはヴァネッサのまっすぐな視線を受け止めて、溜息を吐きながら言った。