夜中、二人が通りを歩いていると、正体不明の男に襲われた。先に歩いていたギッシュに向かって、男が突っ込んできた。
「ここは俺がなんとかする! 走れ!」
「わわ、分かりました!」
ヴァネッサはなにが起こったのか分からないまま、駆け出した。
その背を見送ったギッシュは、目の前にいる殺気を放つ敵を睨みつけた。
「俺を殺す、か。こんなところで死ぬ気はないぞ」
ギッシュは言いながら、刀を抜いた。
その切っ先が右手の手袋を斬り裂いた。
ギッシュは、使えなくなったそれを外し、ポケットに突っ込んだ。あらわれたのは、義手。赤銅色をしている。人の手の形をしていて、ちゃんと動かせる。戦闘用ということもあり、かなり丈夫に作られているが、重いのが難点だ。
「余計なことをしてくれたな」
ギッシュは吐き捨てると、男の心臓を刺し貫いた。
どさりと、骸が倒れた。
今の時間であれば、骸を蒐集する連中〝回収屋〟が殺した形跡を消し、骸を持ち去るだろう。彼らが動く時間帯は夜。ギッシュが〝冷酷な鬼神〟として動くのも同じ時間帯だ。
ギッシュは殺しの依頼のことを〝オーダー〟と呼んでいる。オーダー内容を聞き、対象者を死に追いやる。ギッシュが行っている裏稼業だ。その中で出た骸を〝回収屋〟が持っていき、それぞれのマニアに分配する。たまに、昼間からの暗殺をしなければならないときもあるが、文句ひとつ言わずに回収していくから、時間帯は問わないのかもしれないと、ギッシュは思っていた。
そんなことを考えながら、ギッシュはスマートフォンを取り出して、左手に持った。すらりと長い指を画面に滑らせながら、骸の現在地を送った。
隠しようのない右手と返り血を一瞥して、ギッシュはなにごともなかったかのように、歩き出した。
「あのっ!」
曲がり角で突然声をかけられた。
驚きながら視線を向けると、ヴァネッサがいた。
「今の、見ていたのか。全部?」
「は、はい」
ヴァネッサがうなずいた。
「お前の家、どっちだ?」
「あっちです」
ヴァネッサについていくギッシュ。
「聞きたいことはいろいろあるだろうが、明日にしてくれ」
「え? またいってもいいんですか?」
「こうなってしまった以上、隠しきれるものでもないからな」
ギッシュはあえて、右手で頭を掻いた。
初めて義手を目にしたのだろう、かなり驚いていた。
「じゃあ、また明日」
淋しくも見えたその背中を見送ったヴァネッサは、アパートの中に向かった。
「今の、彼氏?」
聞いてきたのは、ここの管理人の女性。
「違いますよ。ただの知り合い……とも言いがたい人ですが」
「気になってるんだ?」
「恋愛感情はないです。ただ、とても淋しい人だなと思っただけです。失礼します」
ヴァネッサはこれ以上聞かれるのが嫌で、話を切り上げると、部屋へ続く階段を上った。
ワンルームに入ると、ヴァネッサは溜息を吐いた。
見慣れたものに囲まれながら、布団に寝た。
――ギッシュ・キルロール。義手の男。なんであんなにも、淋しそうな、哀しげな雰囲気を放っていたのだろう。殺すことにも慣れているようだった。〝冷酷な鬼神〟が義手で、暗殺者だったなんて。平和な世の中になったのに、平然と人を殺し続けているのだとしたら。辛くて、苦しくて。どうにもならない葛藤だってあるはずなのに。分からないことが、なによりも恐ろしい。なんでもいいから、あの人のことを知りたい。
ヴァネッサはそんなことを思っていた。
ギッシュは歩きながら、突然あらわれたヴァネッサの様子を振り返った。
――どんな人なのか知りたくて会いにきた。変わっているとしか言いようがない。俺に興味を抱いた人間は、初めてだった。料理以外の家事しかできないしな。料理をする必要もなければ、自分のためだけに作るというのもバカらしい。食べられればなんだっていいしな。
ギッシュは思わず苦笑した。
翌朝、ギッシュが目を覚ました。ガラにもなく緊張しているのか、目覚めが早かった。
グレーの半袖と紺の長ズボンという、部屋着からいつもの
昼ごろに玄関のチャイムが鳴った。
ヴァネッサを招き入れると、ギッシュは椅子に座った。
「昨日見たなら分かると思うが、俺は人殺しだ。関わっていると、ろくなことがないぞ」
ギッシュは突き放すように言った。
「それでも、知りたいんです。その右手について」
ギッシュは溜息を吐くと、コートを脱いで、グレーのシャツを右肩から破いた。
「っ!?」
あらわれたのは、ザサリル輝石製の赤銅色の上腕義手である。
ヴァネッサは驚愕した。手だけ義手なのかもしれないと思っていたのが、違ったからだ。
「見てのとおり、ザサリル輝石という金属で作られた上腕義手だ。俺は前に右腕を失ってな。代わりにつけられたのが、これだ。使いこなせるようになるまで、大分かかった。慣れると便利だぞ……というのは、半分冗談だが。見慣れていない人間には、少し酷かもしれないな」