第〇七話 アルマトゥーラ 〇三

 ——やられる……! 意思に反してまるで動かない体をなんとか動かそうとするが、ヴィランの拳は目前に迫っていた。


「これで終いだっ!」

 ヴィラン「アルマトゥーラ」の拳が目前に迫るが、私の意思には反して体はまるで言うことを聞かない……先ほどの一撃、あの拳の威力が凄まじく体が動かなくなっている。

 走馬灯と言うのだろうか? 私の脳内に今までの人生と言ってもった一九年しか生きてないんだけど、スキル発現時の両親の顔や、家を出るときにこちらを悲しそうに見つめていた妹の顔、そして……事務所のみんなの笑顔が脳内に溢れ出す。

 死にたくない……ッ! 咄嗟に私はスキルを発動させて一瞬にしてアルマトゥーラの背後へと超加速で移動して見せる。

「ひぃッ!」


「ぬっ……この逃げ足だけ早いヒーローが!」

 ドゴン! と言う音を立ててそれまで私がいた場所に拳をめり込ませるヴィランだが、まだ私の視界はチカチカしてうまく焦点が合わない状態だ。

 ふらつく体をなんとか立て直して前に出る……エスパーダ所長にさんざんしごかれた時に、彼からは口を酸っぱくして言われた「危ない時こそ前に出ろ」と言う言葉。

 思考は混乱しているにもかかわらず訓練で散々に叩き込まれた動きを私の体は取っている……そのままアルマトゥーラの顔面に右拳を叩き込むと、こっちの行動は完全に予想外だったのだろう、この戦いで初めて手応えのようなものを感じた。

「ぐぬっ……この……ッ!」


「うあああああっ!」

 そのまま右左のラッシュを顔面へと叩き込んでいく……岩を直接殴りつけているような感触はまるで変わらない、だがほんの少しだけ左右の連打を繰り出す中に微妙な手応えを感じ、私は無我夢中で拳を叩きつける。

 だがその連打を喰らってもほんの少しのダメージにしかならなかったのだろう……連打を繰り出していた私の感覚が危険を感じて咄嗟にヴィランの胸辺りを蹴り飛ばして後方へと飛ぶと、それまで私がいた場所をまるで巨大な鉄柱を振り抜いたかのようなアルマトゥーラの拳が轟音をあげて通過する。

 あまりの迫力と疲労に着地したまま私は一歩も動けなくなる……なんて拳を繰り出すんだ。

「……やってくれる、一発一発は大した威力じゃねえくせにダメージだけはちゃんと与えてきやがる……」


「はあっ……はあっ……!」


「だが俺と戦うには根本的に訓練不足だな、お前が成長する前に出会えてよかった……確実にお前はここで殺す」

 その言葉と同時にアルマトゥーラの全身より放たれた殺気……凄まじい威圧感により、私の体が本能的に危険を察知したのか前に出ようと思ってもうまく足が動かなくなる。

 まずい、まずい、まずい……こう言う時に歴戦のヒーローであればそういった本能とかを咄嗟に騙して動き出せるのだろう。

 だがしかし、私は本格的なデビューから一年程度の新米も新米であり、戦闘経験は大したレベルではないのだ。

 殺意を持った拳が眼前まで迫る……目を見開いたままの私はその攻撃が迫るのを見ながらまるでその光景には現実感がないもののように思えた。

「あ、あ……」


「くは……ぐあああああああッ!」


「……女性に手をあげるのはよろしくないね」

 だが、その拳がいきなり違う方向へとぶっ飛んでいく……一瞬遅れてドゴオッ! という音が遅れて届くが、先ほどの体勢のまま私が動けなくなっていると、肩に大きな手が触れる。

 顔を上げるとそこにはテレビの中でしか見たことのないヒーロー……黒髪に緑色の瞳を持ったイケメン、ランキングトップテン入りを果たした若手最強ヒーロー「ヘラクレス」が立っていた。

 直後に私の背中にどっと冷たい汗が流れた……危なかった、一瞬彼が遅れていれば死んでいたかもしれないと言う恐怖が後から遅れてやってきた。

「……あ……い、生きてる?」


「ああ、大丈夫さ……シルバーライトニングだったね、よく頑張った」

 見上げている私を見てにっこりと微笑むヘラクレス……その優しい笑顔を見て思わず心臓が大きく高鳴った気がして、私は思わず手をバタバタさせながら蹈鞴を踏んで彼との距離をとる。

 顔が熱い……なんだこれ? ヘラクレスの顔を見れない、いや見たいと思う気持ちと恥ずかしくて見たくないと言う気持ちが同居しているのだ。

 なんだこれ……私は自分がなぜこんなに緊張しているのか、ドキドキしているのかを理解できずにその場に立ち尽くす。

 だが、ガラガラ……と言う音を立てて瓦礫の中に叩き込まれたアルマトゥーラが姿を現したことで、一気に緊張感に包まれる。

「な……あの攻撃で……」


「おー、いてて……なんてヤツだ、俺のスキルでの減衰がほとんど効いていねえじゃねえか……」


「結構本気で殴ったんだけどね、君すごいね」

 ヘラクレスは私を守るように前に出ると、感心したように手を叩いて小さく拍手した。

 そんな彼を見てヴィランは憎々しげな表情を浮かべているが、確かにダメージが凄まじいのか口元の血を手で拭うと、悔しさからなのか歯をぎりりと鳴らしている。

 だがそんなアルマトゥーラを見てもヘラクレスはまるで楽しそうな声で話しかけ始めた。

「スキルで減衰……つまりその肉体を硬化することで打撃のダメージを減らすという仕組みか」


「……だが打撃をメインにする限り俺は倒れねえぜ?」


「そうだねえ……どうしようかな」

 ヘラクレス……圧倒的な力を持つ超高レアリティスキルであり、過去にスキル所持者は数人いたと言われており、現代では今目の前にいる彼のみが所持しているスキルだ。

 スキル所持者に与える恩恵は凄まじく、ほとんど訓練などをしなくても圧倒的な筋力と加速力を活かした戦闘能力向上と、銃弾すら防ぐ防御能力。

 そして人間の限界を超える反射神経などチートと言っても差し支えないレベルのスキルとなっている。

 あまりに高い能力向上と、人間を超えた戦闘能力を発揮できることからヘラクレス、ギリシャ神話に登場する人間の英雄の名前を与えられたと言われる最も有名なスキルの一つでもある。

「はっ……最強の英雄様だとか言ってもまだ若造だ、ここで俺がお前を倒してやるぜ」


「……やれるものならやってみなよ」

 ちなみにスキル所持者は例外なく英雄的な活動をすることに喜びを覚え、命を投げ出すような危険に身を投じるようになる。

 いわゆる英雄症候群ヒーローシンドロームに取り憑かれてしまうケースが非常に多い……過去の所持者も最後はギリシャ神話の元ネタがそうだったように総じて不幸だったと言われる。

 そうだよなあ神話のヘラクレスの最後は身内に裏切られて生きたまま焼き殺されてるわけだし……不幸としか言いようがないんだよね。

「澄ました顔しやがって……気に食わねええッ!」


「あ、危ないッ!」


「大丈夫〜」

 飛びかかってきたアルマトゥーラ……その巨体をまるでサッカーボールでも蹴飛ばすかのようにその場でくるりと体を回転させた回し蹴り一発で吹き飛ばす。

 凄まじい速度と威力……再び凄まじい打撃で大きく宙を舞うヴィランは地面へと叩きつけられて動かなくなる。

 え? 死んでないよね? 私は思わずヴィランのそばに駆け寄ると口元に手を当てて息をしているか確認するが、気絶はしているもののちゃんと呼吸をしていることがわかってホッと息を吐く。

 この人殺す気で蹴り飛ばしたんだろうか? そんな不安を感じてヘラクレスをじっと見るが、当の本人はそんな私やヴィランに興味を持っていないのかまるでこちらの様子を見ようともしていない。

 なんだか複雑な気分だな……胸の奥がまだドキドキしているけど、それ以上にヴィランに対しての措置があまりに苛烈でちょっと近寄りたくない、とさえ思った。


「終わったよ、エスパーダさんところの新人ちゃんも無事……ヴィランを移送したいから人を寄越して」