一学期の終業式を終え、夏休みに入った。
成績はまずまずだと思ったのだが、海外在住の親には良い顔をされなかった。
なので最近俺は、高嶺さんに勉強を教わっている。
高嶺さんは期末テストでも学年一位の成績優秀者、正直なんでこの学校に進学してきたのかもわからない。高嶺さんならもっと良い学校にも進学できただろうに。
「うちは共働きだったから、わーちゃんの送り迎えを手伝おうと思って」
だから家に近い学校を選んだのだという。
勉強をしながらの雑談は、俺の興味を大いに満たしてくれた。
「……おそといきたい」
近くで寝転んでお絵かきしていた和音ちゃんが、突然言い出した。
「あまり遠くにいっちゃだめだよ? わーちゃん」
「いいんじゃない、和音ちゃん。そろそろ夕方だから、少しは涼しそうだし」
テーブルで勉強中の俺たちは、参考書に目を落としながら和音ちゃんに応える。
「ここどうすればいいの? 高嶺さん」
「あーここはね……」
勉強中。勉強中。勉強中。
ときおり雑談を混ぜていたとしても、基本的に俺たちは勉強に夢中だった。
「おそといきたいです」
「え、だから遠くにいっちゃだめって……」
「わーちゃんはみんなでおそといきたいですよ?」
和音ちゃんの言葉に、高嶺さんが俺の方を見る。
俺たちは目を合わせて納得した。
そうか和音ちゃんは三人で外に遊びに行きたかったのだ。
「あーね、なるほどそうだな……」
俺は参考書を見た。まあ、概ねキリのいいところまではやった気がする。
そう考えて参考書を閉じると、和音ちゃんの目が輝いた。
「いいですか!?」
「いいよ、みんなで外いこうか」
俺は笑ってみせた。
高嶺さんが困り顔で俺に謝罪する。
「ごめんなさいわーちゃんがワガママ言っちゃって」
「ちょうどキリだったしね。どうしよう、アイスでも買って公園で食べようか?」
「アイス!」
和音ちゃんがまた目を輝かす。
「アイスは大好きです!」
「俺も好きだ。よしそうしよっかー」
こうして俺たちは、散歩に出ることにしたのだった。
◇◆◇◆
マンションの外に出ると、ムワっとした暑い外気が俺の身体に絡んできた。
蝉の声がうるさい。夕方が近いから涼しいなんて甘かった、こりゃ暑い。
「おおお、身体の温度がいきなり上がってきた。やっぱり夏だなぁ」
「今日は私たち、ずっと部屋の中にいたから。暑さに身体が驚いちゃってるのかも」
夏の暑さに俺たちのテンションも上がり気味だった。
そうだよな、夏はこうでなきゃ。
吹き出てきた汗を肯定するように、俺は頷いてみせる。
「はやくいきましょう!」
暑さに立ちすくんでいた俺の背後で声がした。
振り向く間もなく先頭に立った和音ちゃんが、元気に一人で先を走り始める。
「うわっ、元気」」
「わーちゃん走ると危ないからー!」
「だいじょうぶー」
和音ちゃんは走りながら戻ってくる。
そして、もう少しで俺たちにタッチ、というところで見事つまづいた。
つんのめって高嶺さんに寄り掛かる。
「キャッ! わーちゃん!?」
慌てて和音ちゃんを支える高嶺さん。
バランスを失っている和音ちゃんは、高嶺さんに抱きつきながら引っ張った。
なにをって、彼女のスカートを。
「もー、だから言ってるのに。走っちゃダメだからね?」
「ごめんなさいー」
「ね、天堂くん。わーちゃんたら危ないん――天堂くん?」
思わず俺は凝視してしまっている。
水色のパンツが、ズリ下がったスカートの下から覗いている。というかあの水色パンツ、もしかして先日ミオンで買ったものなのじゃないか?
だとすると高嶺さんは、俺が選んだパンツを穿いているのではないか? 俺はあのパンツをじっくり見た。今も詳細に思い出せる。なるほどあのパンツ……。うお!? なんというか、これはとってもエッチなことなんじゃないか?
「きゃあもう! 天堂くん見ちゃダメだから!」
「うわわ! ご、ごめ!」
俺は目を逸らした。
つい魅入ってしまったことを恥じる。いやでも仕方ないよな、高校生男子なんだから。
高嶺さんは和音ちゃんの頭を軽く小突いた。
「もぅ、わーちゃん悪い子! めっ!」
「ふしぎです! なぜかカズオミお兄ちゃんのせいで怒られてる気がします!」
その通りだよ和音ちゃん、和音ちゃんは本当にカシコイね。
俺はとばっちりな和音ちゃんに謝罪することにした。
「アイス、三つ乗せでいいからね和音ちゃん」
「ほんとうですか!? ヤッター!」
謝罪だよこれは。決してお礼じゃないから。
◇◆◇◆
アイスを買い(ちなみに高嶺さんにも奢った。普段遠慮がちな彼女が、今日はにこやかにオゴリに応じてくれたのは何故だろうか)、駅から少し離れたところにある大公園に。
ここは総面積が学校のグラウンド五枚分ほどの広さを誇る、市民の憩いの場だった。
近くに湖沼があり、カップルがボートで遊ぶ姿もよく見受けられる地元の名所なのだ。
「アイスおいしい!」
「おいしいねーわーちゃん」
和音ちゃんはトリプル、高嶺さんはダブル。
それぞれのアイスを舐めながら、ベンチに座っている。
「あのー高嶺さん」
「なんですか天堂くん?」
「怒っておられますか?」
「怒られるようなことをしたのですか?」
「いえあの」
高嶺さんはにこやかだ。一点の曇りもない顔でにこやかだ。ただ、なんか怖い。
「座ってもよろしいでしょうか」
「自分の胸にお聞きください?」
「怒っておられますか?」
「どうでしょう?」
自分の胸に聞いてしまうと、俺はどうにも座ることができない。
俺は立ったままアイスを舐めて、小さくなっていた。宿題を忘れて先生に立たされるというのは、こういう気持ちなんだろうか。
「ふふふ」
と、高嶺さんが悪戯っぽく笑う。
「いいですよ天堂くん、座ってください。今日は私、少し怒ってみました。どうですか? 私はちゃんと怒れてましたか?」
俺は立ちながらも上目遣いで高嶺さんを見る。
「……怖かったよ? 高嶺さん結構迫力あるんだね」
「よかった。ちゃんと怒れたみたいで嬉しい」
「お姉ちゃん、なんでカズオミお兄ちゃんを怒ってたのー?」
「お兄ちゃんねー、お姉ちゃんのことをエッチな目で見てたの。だから、ちょっとね」
うふふ、と笑う高嶺さんはすごく嬉しそう。
俺は和音ちゃんを高嶺さんと挟み込む形で、椅子に座った。
「カズオミお兄ちゃんはエッチなの!?」
「そう、エッチなんだよー?」
「カズオミお兄ちゃん、エッチってなんですか!?」
俺は舐めてたアイスを崩しそうになった。これは説明しにくい。
「えっとな? うーんと」
俺はしどろもどろに。
「俺が高嶺さんのパンツをじっと見てしまった、って……こと。――かな?」
なんて説明していいのかすらわからない。
たぶん和音ちゃんには、こういっても意味がわからないだろう。
「パンツ見るのがエッチなんですか!?」
「うん、まあ、そうかな?」
「なるほど! カズオミお兄ちゃんはエッチさん!」
喜ぶ和音ちゃん。意味わかってないんだろうなぁ。
「あ、ワンワン!」
そういうと和音ちゃんは、近くで犬の散歩をしていたご婦人の方へと走っていってしまった。「ワンワーン」と和音ちゃんが近づいていくと、ご婦人は笑顔で立ち止まった。
「もう、わーちゃんたらまた走って」
「元気だねぇ、和音ちゃんは」
俺たちは横並びに座ったまま、クスクス笑いあった。
よかった、いつもの高嶺さんだ。
「……今ね、私、怒る練習をしてるんです」
「怒る、練習?」
「はい。自然に怒れるようになったら、自然に笑えるようにもなるかな、と思って」
彼女は笑う。
「そうなれたら人見知りも治る気がするの」
「笑う練習じゃ、ダメなの?」
「笑うのは……天堂くんの前なら普通にできますから……」
うおっと! しまった、なんかこれは恥ずかしい。不意打ちを食らった気分だ。
俺は立ち上がると、和音ちゃんの方を指差した。
「ほ、ほら! 和音ちゃんが犬と遊んでる。行ってみない?」
「そうですね」
和音ちゃんは自分の身体くらいある大きさの犬と戯れていた。
飼い主のおばさんは良さそうな人で、俺たちが近づいて挨拶をすると、穏やかに会釈を返してくれる。
「かわいいワンちゃんですねぇ」
俺が言うと、おばさんはクスクスと笑い、
「いいえぇ、お兄さんの彼女さんには敵わないわぁ。ほんと可愛くて、綺麗なお嬢さん」
俺と高嶺さんは目を合わせた。
俺は笑う。やぁ、本当に良い人そうだ。
「舐めないでください! 舐めないでください!」
和音ちゃんは犬にペロペロ舐められまくって笑っている。楽しそう。
そんな和音ちゃんを見てる俺も、つい顔が綻んでしまう。
「お嬢さんの妹さん?」
「えっ、あっ? ……はい」
「そうよね、とても似てるわ、可愛らしい」
「あのっ、その……、ありがとう……ございます」
人見知りの高嶺さん。――だけど今日は。
「うふふ、貴女も可愛らしい笑顔ねぇ」
頑張って笑顔になってみせたのだった。