第61話 不意の一薙ぎ

「第二ターミナルに敵だと?戦力を三分割するほどの余裕があったのか、この国の連中も中々やるな」


 部下からの報告を受けているのは、ギンザの部下、サハルである。ギンザは管制塔の屋上でずっと術の発動に掛かり切りの為、今は彼女が指揮をしているようだ。


 槐達が掴んだ、地獄を呼び出すというおぞましい魔法は、やはりそう簡単には発動できないようで、術者であるギンザはこの場から動く事が出来ないらしい。冥界の一部を現世に無理矢理出現させるわけだから、当然と言えば当然ではある。

 絶えず呪文を詠唱し続けているギンザの背中を見つめ、サハルは独り言ちる。


「魔法が完全に発動するまでに、まだあと数時間は必要だ。その間、ギンザ様をお守りしながら、国王をこの空港に押し留めておけば我々の勝利だが…」


 サハル達の当初の予定では、地獄を召喚する魔法の情報を敢えて流す事で、それを食い止める為に自衛隊を始めとするこの国の戦力が第一ターミナルと第三ターミナルに集中するだろうと考えていた。事実、狛達が居なければその通りの展開になっていただろう。ギンザやサハル達は狛と猫田の存在を知らないが故に、作戦に狂いが生じていると考える事ができなかった。


「入り込んだ敵は少数か、精鋭と考える事も出来るが…まぁいい、いざとなれば、私が出向く。マキ達には国王とその侵入者を決して合流させるなと伝えろ。後ほんの数時間で我らの願いが叶うのだ。いいな?」


 命令を受けた部下は頷いたあと、小さな宝石のような石を砕いて姿を消した。これも彼らの使う魔法の一つなのだろう。それを見送って、サハルはギンザの背中と空を仰いだ。天に渦巻く悪霊達は、おびただしい数に膨れ上がり身の毛もよだつ笑い声を上げている。



「…これで何人目だ?」


「26人です。まだまだ残っていそうな雰囲気ですがね」


 マキと呼ばれる魔法使いをまた一人無力化した後、猫田が呟いた言葉に弧乃木が答える。カメリア王国にどれほどのマキが存在するのかは解らないが、日本にはかなりの数のマキが入り込んでいたようだ。弧乃木が言ったように、5人が第二ターミナルに入ってから2時間程の間に、既にそれなりの数のマキと交戦している。だが、それでもまだ氷山の一角という所だろう。ただのテロリストと違って、ほとんど身一つで行動できる魔法使いは、容易に他国へ入り込めるのだから、これほど恐ろしい兵器はない。

 しかも、厄介な事にこちらの銃は通用しないし、マキ達の魔法を防ぐ手段など通常の装備にはないのだ。


 今は狛が一緒にいて、魔法を防ぐ結界を提供してくれるからいいものの、これが自衛隊単独での任務であれば、間違いなく成す術もなく全滅していることだろう。

 弧乃木もその部下である畦井と十畝も、まさか悪霊や魔法だなどというオカルトが現実にあるなんて今日まで考えもしなかった。自分達のというものがあるその恐怖を、戦いながら嫌という程痛感させられていた。


「この通路もダメ。やっぱり意図的に道を潰されてるみたい」


 狛が地図を見ながら溜息を吐く。第二ターミナルに入ってすぐの案内板では、目的地である特別ラウンジまでそう遠くはないと思っていたのだが、その考えは甘かった。なにしろ、建物のあちこちは破壊されており、ラウンジに向かう通路が寸断されているのだ。

 狛達も初めは案内板の地図を覚えて移動しようとしたのだが、余りに通れない通路が多かったので一旦入口のエントランスに戻り、地図の記されたパンフレットを探し、今はそれを頼りに移動している。


 第二ターミナル自体、大きく広い建物ではある為、階段やエレベータなどは複数用意されている。だが、こうも通行不能になっている通路が多いと、これは明らかに罠であると思わざるを得ない。通路の大半を潰す事で、救援が入るルートを潰し、同時にこの第二ターミナルの中から逃がさないようにしている、そんな気がする。


「あえて籠城させて閉じ込めている、と言った所か。しかし、持久戦とは、悠長な…」


「槐の言ってた、地獄を呼び出すってのが成功すれば、それでいいんだろ。いくらなんでも、生きたまま地獄に落とされたらどうにもならねーからな」


 弧乃木の呟きに、今度は猫田が答えた。言葉は投げやりに聞こえるが、それだけ苛立っている証拠である。それを聞いた弧乃木も「なるほど」と溜め息交じりに応えて口を閉ざしてしまった。テロリストの考えなど、理解するものではないと思っているのかもしれない。


 狭い通路は瓦礫で埋まってしまっているので、仕方なく通れそうな大きな通路を使う。ただ、そうなると厄介なのは待ち構えているマキ達の存在だ。

 敵は拍達を逃がさないようにしているだけでなく、わざと使えそうな道を罠として残しているのである。もし、籠城から焦れて飛び出して来たとしても、逃がさず確実に仕留められるように、そういう寸法だろう。

 そのため、狛達が逆にその道を辿れば、真っ正面から敵とぶつかる羽目になるのだ。

 それは裏を返せば、後顧の憂いを絶てることにもなるが、その分だけ戦闘は多くなる。それでなくとも、力が出ない狛を連れていることはかなりの負担であった。


 そんな中をさらに進んで、また10人近くのマキ達を倒した頃、狛たちはようやく三階に到着し、ラウンジに繋がる少し広い通路へと差し掛かった。

 連戦が続き、さすがの弧乃木達にも疲れの色が見える。そもそも自衛官は格闘家ではないのだから仕方ない。仮に格闘家であっても、重装備を身に着けたまま、これだけの戦闘をこなすのは厳しいはずだ。


「この先に見えてる、あの入り口の先がラウンジみたい。お兄ちゃんの張ってる結界がここからでも見えるわ」


 通路前の曲がり角から顔を覘かせて確認すると、狛の言う通り、ラウンジ前のゲートから先には光の幕のようなものがはっきりと見えていた。あれだけの結界を維持できているからには、少なくとも拍は無事でいるのだろう。そして、無事なのに脱出してこないのは、やはりカメリア国王が一緒にいるからだ。

 さすがの拍も、彼を連れて強引に脱出するのは難しいのかもしれない。なにしろ外には大量の悪霊がいて、それに加えてマキ達が待ち構えているのだから。

 或いは、どちらかが多少の手傷を負っている可能性も考えられる。どちらにしても早く合流したい所である。


「へっ、ずいぶん殺気まみれで待ち構えてやがるぜ。俺達がここまで来たのがよっぽど頭に来たらしいな」


 猫田の視線の先、ゲート前には、更に数人のマキ達が立ち塞がっていた。誰も彼も殺気立ち、絶対に通すまいという強い意思が感じられる。

 彼らが手にした杖には、強い魔力が込められているのが離れていても解るほどで、もう少し身体を通路に出せば即座に打ち込んでくるだろう。彼らもなりふり構っていられないという雰囲気である。


「さて、どーする?ああして構えられてちゃ、あっという間に蜂の巣だぜ」


 今いる場所から敵まで、およそ30mほどはあるだろうか。通路は直線で右手側はガラス張りの為、身を隠す場所もない。横幅はやや広い造りだが、それでも魔法を連発されれば、避けるのも難しそうだ。


「…私が行く。あとお願い!」


「あっ!?おい狛、待て!」


 そう言うと、狛は猫田の制止を振り切って走り出し、ありったけの結界符をツールバッグから取り出して繋ぎ合わせ、自らの前方に結界で壁を作った。壁が出来上がるのとマキ達の放った魔法が着弾するのはほぼ同時で、ギリギリのタイミングである。


「…っの、バカ!行くぞ、弧乃木!」


「了解!」


 壁を作ったまま走る狛の後ろから、猫田と弧乃木が続けて走る。結界に魔法がぶつかる激しい音と共に、結界符はどんどんと破られていくが、狛は少しも恐れていないのか、走る速度を緩めはしなかった。そして、あと僅かの距離まで来た所で、猫田は結界を飛び越えてマキ達の背後に降り立ち、彼らを強襲する。

 背後を取られて動揺するマキ達の正面から、さらに弧乃木が飛び掛かり、二人は次々にマキ達を打ち倒していった。


「…へへっ、やったね」


「このバカ!無茶するなって言ってんだろーが!」


 猫田は咄嗟に狛を叱りつけたが、霊力を消耗し青い顔をして笑っている彼女の表情を見ると、それ以上は何も言えなかった。狛がここまでずっと何も出来なかった事を悔やんでいたのは解っている。彼女は守られているばかりでは黙っていられない性分なのだ、それは猫田も今日までの付き合いで知っているから、あまり強く責められないのである。


「…たいしたお嬢さんだ。度胸の良さは我々以上かもしれないな」


 弧乃木は思わず近づいてきた二人の部下と顔を見合わせて苦笑していた。


 戦場に赴く自衛官にはそれなりの覚悟や気概は必要だが、いざという時、仲間の前に飛び出す勇気を出すのは難しい。少々無鉄砲な所はあるが、素人の女子高生である狛がそれをやってのけたというのは、頼もしい反面、少し危なっかしくもある。

 そんな、敵を制圧し終えて一段落ついたそのほんの一瞬、猫田と弧乃木の背後、何もなく誰もいなかったはずの空間に、突如一人の女が現れた。


 誰もが反応出来ないその瞬間に、女は強烈な魔法の一撃を放ち、狛達を薙ぎ払うのだった。