第65話 猫田の記憶 其の弐

 ざぁざぁと降り出した雨は、瞬く間に勢いを増し、人の気配と足音を、完全に隠してしまっている。


 ただでさえ暗い山の中で、しかも、雨雲が月を遮っている為に、辺りは暗闇に包まれていて視界は全くと言っていい程ない。そんな中、凍えないように囲炉裏の火は落とされていないが、それが逆に、悪意を招くしるべとなってしまったようだ。


「おい、こんな所に灯りだ。家があるぞ…?」


「こんな場所だ、木こりでも住んでるんだろう。そういや、さっきの村で家があると聞いたな。ちょうどいい、


 20人ほどの野盗の男達は、へへへ…と野卑た笑いを口々に浮かべて、ミツ達の家を取り囲んだ。よく見ると彼らは血塗れで、興奮しきった瞳はギラギラとした異常な眼光を放っている。

 村で一稼ぎをしたというのは、つまり、そういうことなのだろう。彼らの悪意は更なる獲物を求めていた。


 そんな異常な気配の接近に、最初に気付いたのは猫田である。

 布団から顔を出し、危険な存在が訪れた事を感じ、フゥゥと唸り声を上げた。


「ん…どうした?猫。お前が唸るなんて珍しいな…」


 ミツの父親が目を覚まして猫田に声を掛けると、猫田は玄関の扉を向いてより強く唸り声を上げている所だった。その異様な気配に、思わず息を飲む。

 するとその時、ドンドンと扉を叩く音がした。こんな夜更け、しかも嵐の中で人が来るなんてありえない。ミツの父親は、家族をそっと起こし、警戒するように言いつけると、その音に返事をした。


「誰だ?!こんな夜更けに何の用だ!」


「俺は村のもんだ!庄屋の息子が大変なことになった!すぐに出てきてくれ!」


 庄屋の息子と聞いて、ミツの父親はハッとした。庄屋の息子はミツの旦那になる男だ、きっと彼に何かがあって急な報せを持ってきたに違いない、そう思った。だが、彼がこの時、普段滅多に唸ったりしない猫田の様子に気を配っていれば、結果は違ったかもしれない。


 「解った!ちょっと待ってくれ!」


 ミツの父親は、慌てて起き出して嵐に備えて頑丈に抑えていた扉を開けてしまう。その瞬間、暗闇からいくつもの刀や槍が伸びてきて、ミツの父親を刺し貫いていった。玄関の壁に血飛沫が飛び散り、鮮血は水玉模様のような痕をつけた。


「きゃああああああ!?あ、あんたぁッ!」


「ぎゃははは!間抜けめ!大変な事になるのはお前らだ!」


 突然の乱入者に、ミツの母親が叫び声を上げるが、山間の一軒家、しかも嵐の最中ではそれが助けを呼ぶ声にはならなかった。ミツの父親が無惨にも刺殺されると、その勢いで大勢の男達が家の中に入ってくる。男達はあっという間にミツの母親とミツを捕らえ、続けてミツの弟の首をはね、げらげらと笑い声をあげた。


「食い物はどこだ?残ってるのはお前と娘だけか?」


 野盗の頭領と思しき男がミツの母親に顔を近づけて問いかけたその時、猫田は全身をバネのようにしならせて、布団の陰からその顔に飛び掛かった。


「シャーッ!!」


「うわっ!?な、なんだコイツは!?ぎゃああ!」


「ねこ、ダメ!逃げてっ!!」


 その爪は、見事に男の目玉に刺さり、そのまま渾身の力でひっかいて、猫田は男に手傷を負わせる。だが、男達は他にもいるのだ。ミツは猫田を逃がそうと叫んだが、怒りに我を失っている猫田はそれを振り切り、ミツやその母親だけでも守ろうと、男達に飛び掛かっていった。


「い、痛ぇっ!猫だと!?この畜生が!!」


 牙を剥く猫田に、苛立つ男は刀を振り回すが、猫田はそれをひらりひらりと避けてみせる。だが、何度目かの攻撃を避けた所で、別の男が猫田の腹を思いきり蹴り上げた。猫田は吹き飛び、ダンッ!という激しい音と共に壁に叩きつけられてしまった。


「ふぎゃっ!」


「はははっ!なにやってんだ、こんなちっちぇ畜生如きに!」


「畜生!このクソッタレの獣が!ぶっ殺してやる!」


「だめ!止めてぇっ!!」


 目を突かれた男は、壁際に落ちた猫田を何度も踏みつけ、その怒りをぶつけていた。ミツは涙を流しながら、なんとかそれを止めようともがくが、数人の男に体を抑えられて身動きが取れない。やがてボキボキと骨の折れる音がして、猫田は口から血を流し、全く動かなくなってしまった。


「あああああ!ねこ、父さん、仁太っ!やだああああああ!」


 ミツは殺されてしまった父と弟、そして猫田を呼ぶが、その声は届かない。逆に、その悲痛な叫びは興奮した男達の加虐心を煽り、やがて、その身に宿した獣心と欲求を呼び覚ますきっかけになってしまっていた。


「おい!そのうるせぇ女を黙らせろ!」


「へっ!なら村でありつけなかった奴らにくれてやるか。お前ら、好きにしていいぞ!」


「ひっ!?いや!いやああああああああっっ!!」


 おおおおお!という怒号にも似た歓声が上がり、興奮した男達は我先にと、ミツやその母親に群がっていく。特にミツの母親が孕んでいる事に気付いた男達の一部は、より劣情を滾らせていったようだ。悍ましいその猛った情欲は留まる事を知らず、嵐の中、狂乱は一晩中続いた。


 そうして、夜が明ける頃、嵐が小康状態になってきたのを見計らって、男達はミツの家を後にする。証拠が残らないよう、家に火を点ける念の入りようだ。

 ミツとその母親は全身を弄ばれた挙句に、首を裂かれて絶命していた。焼け落ちていく家の中で、かろうじて生きていた猫田が意識を取り戻し、フラフラと立ち上がりミツの元に近づいていく。


「ニャア…」


 事切れたミツの隣に倒れ込み、猫田は小さく鳴いて、流れ落ちるミツの血を舐めとった。

 その途端、壮絶な恨みと憎しみに支配されたミツの心が猫田の体の中に流れ込んでくる。筆舌に尽くしがたいその感情が猫田の心を塗り潰し、その身を妖へと造り替えていく。

 音を立てて燃え落ちる家から、怒りの籠った身の毛もよだつ鳴き声が聞こえ、それは山中に木霊していった。



 それから、20年以上の月日が流れた。


 恨みから化け猫へと変化した猫田は、一人、また一人と、野盗だった者達を探し出してはその手にかけていた。


 野盗共は、ミツ達が暮らしていた領地の大名とは敵対する大名が放った者達であったようで、飢饉に喘ぐ農民を殺し、それにより年貢の総量を減らして大名の力を削ぐのが目的であったらしい。彼らはミツ達を殺す前に、近くの村を襲い、皆殺しにしていたのだ。

 そして、今の彼らは、その狼藉を功績として出世した者達ばかりであった。


 そんな者達が、次々に殺されていくのだ。しかも、現場に居合わせた者は、口々に猫の鳴き声を聞いたという。当時は珍しかった猫という生き物だが、その領地ではおそろしの獣としてその名を轟かせていった。


「ひぃ!?よ、よせ、やめろ!お、おお俺が悪かった…!た、たたた頼む、殺さないでくれ!」


「…お前達はそうやって命乞いをした人間を殺さずにおいたのか?違うだろう?なら、死ね。その命を持って償え!」


 最後に残った片目の男は、恐るべき妖怪と化した猫田に恐れをなし、命乞いをしてみせた。元野盗共は誰も彼もがこうだ。侍として出世したというのに、一人として戦う気概を見せず、ただ伏して命乞いをするばかりである。猫田は彼らに一切の同情や憐れみも持たず、男を文字通り八つ裂きにして殺害し、その身体を通りに投げ捨てた。


「終わった…ミツ、仇は取ったぞ」


 全てを終えた猫田の身体から、フッと力が抜けていき、その場に倒れ込んだ。きっとこのまま自分は死ぬのだ、あの時死んでいたはずのこの身は、恨みを晴らす為だけに永らえてきたのだと、そう思った。だが、そうして目を閉じようとする猫田の前に、どこからか一匹の猫が姿を見せた。

 真っ白い毛に覆われた猫は、首に鈴を着け、青い瞳で猫田をじっと覗き込んでいる。


「なんだ?お前…あっちに行けよ。俺はもう、ここで死ぬんだ」


 猫田が声をかけても、白猫はその場に座って、じっと猫田を見つめていた。しばらくそのままでいたと思うと、ちりんと鈴を鳴らして首を傾げた。


「…お前はまだ死なない。この先もずっと生き続ける、お前にはまだ、やる事があるから」


「なに…?」


 そこで初めて、猫田はその白猫がであることに気付いた。よく見ると、白猫は尻尾が二つに分かれている。自分が化け猫になってから、妖怪という存在が世の中にいることを知ったが、まさか自分の他にも、猫の妖怪がいるとは思ってもみなかった。

 猫田は思わず白猫に興味を示し、起き上がった。


「俺にやる事があるだと?それは一体なんだ?仇ならもう取ったぞ」


「仇じゃない。お前はこの先、たくさんの人を救う。そういう未来が視える」


 バカなことを、と猫田は白猫の言葉を一笑に付した。


「はっ、俺は人に仇なす妖怪…化け猫だ、その俺が人を救うだと?俺はもう20人もの人間を殺してきたんだ。その俺が、どうして」


「確かにそれはお前の罪。けれど、お前の中には人を好いて、人と共に生きようという心がある。罪を償って生きろ、そうすれば、必ず出会う。お前が共に生きるべき人間が、お前を待っている」


 白猫の言葉は、何故だか猫田の心に染み入るようだった。そして、そこで猫田は己の心から、恨みが消えている事に気付いた。あれだけ身を焦がし、引き裂かんばかりに貫いてきた恨みの炎が、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。もはや、人を傷つけようという気持ちは、これっぽっちも無くなっていた。


「お前…一体何者だ?」


「…いつか、また会った時に教えてやる。お前がそのを持った時に、また会える」


 猫田の問いかけに白猫はそう答えると、首の鈴を鳴らして身を翻し、タタタと、走るように歩いていずこかへと去って行った。



「んん…?夢、か」


 狛の寝ているベッドの横で、猫田は椅子に座ったまま眠っていたようだ。ずいぶんと懐かしい夢だったが、あの時の白猫にはまだ再会できていない。いずれ資格を持った時にと言っていたが、あれから600年近くの時が経つと言うのに、猫田はまだその資格とやらを持ちえていないらしい。

 きっと、戯れについた嘘だったのだろう。今では化け猫から猫又になったが、自分も猫妖怪の端くれとして、いかに同類が人を煙に巻く存在かはよく理解しているつもりだ。


 それでもあの時、命を終わらせなくてよかったと、猫田は思えた。【ささえ】隊での暮らしと、今の狛との暮らしは、かつてただの猫だったあの頃と同じくらい、或いはそれ以上に幸せを感じられるものだからだ。


「おはよう、猫田さん。…やっと起きたね」


 気づけば、いつの間にか狛はベッドの上で目を覚まし、猫田の寝顔を眺めていたようだ。猫田は呆れたようにフッと笑みを浮かべて言った。


「…バカ野郎、そりゃこっちの台詞だ。何日寝てやがる、この寝坊助め」