第17話




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 花と緑に溢れたスペンサー家の別邸タウンハウスは、首都アシスで1、2を争う美しい屋敷だと評判だった。



 屋敷の主は『オルガリアの華』と名高い女侯爵で、その夫は元S級冒険者にして『大地の聖印』を持つ、英雄将軍。



 次期侯爵である息子も将来有望で、近頃、養子縁組したのは『闇の聖印』を持つオルガリア最強の特級魔導士である。



 まさに、飛ぶ鳥落とす勢いのスペンサー家が、光を失ったかのように静まり返って早2カ月が過ぎようとしていた。



 広い屋敷の南側、陽当たりのいいバルコニーの窓が開けられた。



 ジオ・ゼアの黒髪が風になびく。



「今日も天気がいいよ。風向きが変わったのがわかる? アンナ、もう初夏だよ。最高に気持ちがいい季節だ」



 寝台のそばにある椅子に腰かけた魔導士は、ピクリとも動かないレティシアの白い手を持ち上げ、自分の額に運んだ。



「アンナはまだ夢の中だっていうのに、あの金髪はすぐに目を醒まして……」



 闇の魔力をそそぎながら、眉を寄せて愚痴る。



「おとなしく皇宮に入ればいいのに、3日に1度は大量の花を抱えてやってくるんだ。本当に、ウザイよ」



 レティシアの部屋は、濃淡のある紫の花で溢れていた。



「でも、この花はキレイだね。アンナの髪と瞳と同じ色だ」



「ジオ・ゼア、もうそのくらいで十分よ」



 背後から声をかけられ、振り向いたジオ・ゼアは首を振る。



「まだ足りませんよ、ローラ様。アンナが目を醒ましたとき、肌が荒れていたら可哀相だ」



「そんなわけないでしょう。聖印持ちふたりが、日に何度も魔力を流しつづけるせいで、レティの髪も肌もピカピカよ」



 ジオ・ゼアの肩に手を添えたローラは、愛娘の顔を覗き込む。



「ありがとう。レティが今も息をしているのは、ふたりのおかげよ」



 皇太子サイラスの命を救うため、トラキア国で魔力の枯渇に陥ったレティシアは、あれからずっと眠りつづけていた。



 特化魔法の使い手にとって、魔力の枯渇は体内の血をすべて失うことに等しい。すなわち死に直結していた。



 レティシアの魔力が底をついたあの日。



 胸騒ぎを覚えたジオ・ゼアが、客室に駆け込んだときには、エディウス、アイリス、マルスの3人が、必死に自分たちの魔力をレティシアに与えている状態だった。



 最悪の状況に、



「嘘だろ……」



 ジオ・ゼアは血の気が引いた。



 仄暗い闇のなかを彷徨いつづけ、やっと出会えた光なのに──



「イヤだ。そんな運命……僕は耐えられない」



 オルガリアへ戻るまでの3日間。



 ジオ・ゼアは自身が持つ最高濃度の魔力を注ぎつづけ、レティシアの命をつなぎ止めていた。



「アンナ、死なないで……僕の魔力を全部あげる。僕が死んでキミが助かるならそれでいい。もしダメでも、キミといっしょに死ねるなら、それも悪くないかな」



 首都アシスに戻っても、意識のないレティシアを絶対に離そうとしないジオ・ゼアを気絶させたのは、ゼキウスだった。



「認めてやる。アンナマリーの命をつないだのは、たしかにオマエだ。光と相性の悪い闇使いのくせに、よくここまで保ったな。あとはまかせろ」



 大地の聖印が輝き、生命力に溢れた魔力が全身全霊で愛娘にそそがれはじめた。



 レティシアの魔力が安定したのは、それから1週間後。



 頬に赤みがもどり、息づかいもおだやかになった。



 あとは目覚めるだけだと、だれもが安堵していたのだが……



 2週間がすぎ、1か月が経っても、レティシアは目覚めなかった。



 人形のように眠りつづけるレティシアに、日々、食事代わりとなる魔力を注いでいるのは、オルガリアが誇るふたりの聖印持ち。



「アンナ、僕の魔力をたくさん食べて。できれば、僕だけの魔力でキミを満たしたい」



「そんなマズイ闇の魔力よりも、父さんの大地の魔力の方が断然美味しいぞ。栄養満点だ!」



「あのさぁ、どんだけ無駄に魔力が余ってるか知らないけど、少しは加減して注いでよ。アンナの綺麗な髪が緑色になったらイヤなんだけど」



「なんだとっ! それをいうなら、オマエみたいな闇色の髪になったらどうするんだ!」



「ああ、それはいいね。アンナとおそろい……」



「ふざけるなあっ!」



 別邸に響くのは、ゼキウスとジオ・ゼアの云い争う声ばかりで、或る日、聞くに堪えかねたローラによって、ふたりとも庭に放り出された。



「うるさいっ! ふたりとも同時に魔力を与え過ぎよ! 食べ合わせが悪くて、レティによくないわ!」



 それ以来、ゼキウスとジオ・ゼアは交互に魔力を注ぐようになったのである。



 供給過多になりがちな『聖印持ち』ふたりに目を光らせるのは、ローラとロイズの役目となっている。



 そうしてレティシアが眠りつづけて2ヶ月あまり。



 初夏の風が吹き込むその日も、いつものように必要以上に魔力を供給しようとするジオ・ゼアにローラが小言を云いかけたときだった。



「レティが息をしているのは、ふたりのおかげよ。でも、今日はそれくらいにして──」



 強い風が、窓から吹き込んだ。



 レースのカーテンが大きく揺れ動き、部屋に飾られた100本以上の紫の花が左右に揺れると、花びらが風に乗って、まるでレティシアを取り囲むように一斉に舞い広がった。



 不自然な動きをする花びらにジオ・ゼアとローラが気を取られた瞬間──



 寝台は紫の閃光に包まれた。