幼き紳士淑女達の門出を祝うかのように雲ひとつなく晴れわたる空。
いつもは静かな朝を迎えているはずのシューンベルグ公爵邸では事件が起きていた。
「お、お嬢様が!エリザベータお嬢様がご自分で起床されるなんて!!」
「それだけでなくご自身だけで身支度を…!?」
「一体何が起きたの!?そうだわ、体調がまだよろしくないんだわっ、きっとそうよ!」
「医者だっ!医者を呼ぶんだ!エリィがこんなっ…、きっと何か重い病気にかかったに違いない。なに、心配することはないよ。お父様が必ず治してあげるからね!」
病気でもないのに使用人達と父の異常な反応に頭が痛くなってきた…。
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昨夜のカモミールティーのおかげか私はスッキリと朝を迎えることが出来、気分よく身支度を整えていた。
前世では侍女数名に手伝ってもらいながら常に豪奢なドレスに身を纏っていたが、300年経った今では当時と比べ衣服はだいぶ簡略化されており一人での着脱が可能になっている。
今日から通う学校の制服に袖を通し、鏡に映る自身を見る。制服はシックなワインレッド色で、柔らかで上品な手触りと深い光沢感のあるベルベット仕立てのワンピースだ。その上にふんわりと袖が広がっている黒のボレロを羽織る。そして胸元にシフォンのリボンを結び終わった頃、コンコンコンとノック音が部屋に響いた。
「おはようございます、お嬢様。今日は気持ちの良い青空です、…よ?」
ガチャリと扉を開けて中に入ってきたのは、いつも起こしに来てくれる侍女のベルだ。パチッと目が合うとベルは目を見開いた。
「おはよう、ベル。そんな顔してどうし…」
「きゃああああああ!!!??」
たの。
私の声は彼女の叫び声によって掻き消される。そしてベルは転がるように部屋を飛び出していった。
「え、べ、ベル?」
「お、お嬢様が一人で起床されているぅぅぅぅっ!?誰かーっ!誰か来てー!お嬢様がっ!!」
そう叫びながら走り去る背中を私は呆然と見送ることしか出来なかった。
そして話は冒頭へと戻る。
「…大丈夫よ、お父様。どこも悪い所なんてないの。」
今にも医者を連れてきそうな勢いの父を落ち着かせる。
シューンベルグ公爵の称号を持つ父、カール= アシェンブレーデルは広大な領地を治めあげている実力者なのだが、娘のこととなるとその視野は一気に狭くなる。
「でも、別人みたいじゃないか。」
「昨日の社交界で眠っていた淑女の自覚が一気に目覚めたのよ。」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのよ。…さ、朝食にしましょう。私、ユーリを呼んでくるわ。」
「あ、こら、エリィ話はまだ…」
父から逃げるようにしてユリウスの部屋に向かう。向かいながら深くため息をついた。
―まさかこんなにも騒がれるなんて…。
それほど記憶が戻る前の私が酷かった、ということなんだろう。…だいぶ周りに甘えていた自覚はある。そんなことを考えているとユリウスの部屋の前まで辿り着いた。
扉をノックすると中から「はい。」と、返事が聞こえた。
「ユーリ、私よ。朝食の準備が出来たから呼びに来たの。」
「えっ、姉上?」
中から少し驚いた声がする。…貴方もそんな反応するのね。と、また溜息をつきそうになった。
「…入るわよ。」
ユリウスの了承を得る前に中に入る。部屋の中には学校の制服である燕尾服を身に纏い、シトリンの瞳を大きく見開いている義弟がいた。その手には今から結ぼうとしていたのであろうネクタイが握られている。その姿にあることを閃く。
「おはよう、ユーリ。」
「お、おはようございます。その、まだ身支度が終わってなくてですね…せっかく呼びに来てくれたところ申し訳ないのですが先に食堂に行っててください。」
「あとはネクタイを結ぶだけでしょう?それぐらいだったら私がやってあげる。」
「えっ」
驚くユリウスにつかつかと近づき手元にあるネクタイを奪い取る。
まずはこういう所から姉としての尊厳を取り戻していきましょう。…元から無かったかもしれないが…。
ネクタイを首にかけて結ぼうとすると固まっていたユリウスが慌て出す。
「姉上、大丈夫です。自分でやりますから。」
「ここまでやっておいて何を言ってるのよ。いいからお姉様に任せなさい。」
「…。」
じっと見つめるとユリウスは観念したのか大人しくなった。それに気を良くした私は手早くしゅるしゅるとネクタイを結び始める。そこで義弟の目線が私より高い位置になっていたことに気づいた。
「背、伸びたわね。」
頭1個分、とまではいかないが、頭の半分ほどユリウスの方が高い。ついこの間まで同じ身長だったのに驚きだ。
「そうですか?」
「えぇ。きっと、まだまだ伸びるわよ。」
まだ幼さが残る彼の顎を見てそう思う。ユリウスは私と同じでまだ16歳なのだ。身体の成長が止まった私と違って男の子の成長はきっとこれからだろう。義弟の成長が嬉しい反面、少し寂しい気持ちもある。
そんなことを考えながらネクタイを結び終え、仕上げに結び目をポンッと軽く叩いた。
「これで良し。うん、いい感じね。」
「………ありがとうございます。」
ユリウスが私の支度を手伝うことはあっても、その逆は無かった。
恥ずかしそうに目を伏せる可愛い義弟に満足気に微笑む。とてもお姉様らしいなと思いながら。
「さ、行きましょう。お父様が待っているわ。」
「…はい。」
少し戸惑った様子のユリウスと一緒に食堂へ向かう。足取りは不思議と軽かった。