「ようやく町が見えてきたね、狼さん」
深い深い森をようやく出て、肉眼で辛うじて見える尖った屋根たちを目指し、広大過ぎる湖の側を歩き続けた。
似たような景色のなかで何度か夜を過ごし、時折馬車に先を越されながらもマイペースに行けば湖畔のコテージが見えてきた。
尖った屋根に細長い3階建ての家々がハッキリ分かる。
『相変わらずデカい湖だ』
振り返ると、通り抜けてきた深い深い森は、景色と化していた。
弱々しい足取りでコテージに向かう。
「さすがに疲れたや」
『まぁ……そうだな。どうせ町には入れないんだ、無人なら休憩に使わせてもらおう』
赤ずきんは45口径のダブルアクションリボルバーを抜き、窓から覗く。
少し埃がかぶっている程度の家具と、荒らされた形跡もない綺麗な室内を見て、
「誰もいないみたい」
リボルバーを収める。
キャンプ一式と食料が入ったリュックを外してもらった狼は、軽く体を左右に振った。
軽くなっても、ふらふらとよろけ、湖が臨めるベッドに乗る。
伏せて、ゆっくり波紋を描く湖面を眺めた。
『じゃあ行ってこい。シャーロットに伝えなきゃいけないことがあるだろ、ついでに鹿肉をたらふく買ってきてくれ……腹が減った』
「はいはい」
呆れながら町へ。
人通りが多く、背広や華やかな服を着た人々ばかり。
武器を纏い、よれた赤いコートに、ふかくフードをかぶる姿、自然と注目を集めた。
軍の支配を批判するポスターが所々に貼られ『人民のために、新たな組織を作ろう』と人員募集がいくつも貼られている。
町の中心地、噴水の前に人だかり。
真ん中で台に乗ったひと際目立つ男がいた。
「軍なんていらない! あいつらが戦争を引き起こしたんだ、クーデター、内戦、人食い狼の放置、苦しめられるのはいつも俺達だ!!」
高らかに訴えている。
「俺達は新しい組織を立ち上げる。軍に頼らない、もう軍に正義など存在しない、自分達で一から制度を作り、解決していく! そのためにはみんなの力が必要だ!!」
力強い演説を、教会の壁に凭れて眺めている軍人。特に何をするわけでもない。
特に興味なく、赤ずきんは通り過ぎていく。
食料品店の看板を見つけ、ガラス扉を開ける。
いつもの干し肉と赤ワイン、それから鹿肉を多めに購入。
「観光ですか?」
店主の爽やかな声と笑顔。
穏やかな碧眼で微笑み返す。
「何でも屋をしながら旅しています」
「外は大変でしょう。ここら辺は森が多くても狼が守ってくれているので安全なんです」
「人食い狼じゃなくて?」
「えぇ、本物の狼です。『彼らが森の守護者である、彼らが消えた時、秩序が崩壊するだろう』、と祖父たちから教わりました」
「なるほど、神秘的ですね。ところで、シャーロットという女性を探しているのですが、知ってます?」
シャーロットという名前に首を傾げた。
「常連さんじゃない限りなかなか名前までは……どんな方です?」
「えーと、金髪に青い目をした綺麗な方です。最近引っ越してきたはずです」
「最近引っ越してきた綺麗な方……あぁ! 挨拶に来てました。とっても美しい方でしたから覚えてますとも、つい先ほど湖畔に行くのを見かけましたよ」
店主にお礼を言った後、ボート乗り場に足を運んだ。
町の端は無人で、寂れた桟橋の傍には小舟が湖に浮かんでいる。
桟橋の先、ブロンドヘアの長い髪と黒い控えめな服で佇む人物。
桟橋の手前には、コテージで休憩しているはずの狼が座っていた。
「あれ、狼さん?」
『来たか、オレの方が先に見つけたな』
声に気付き、悲哀に満ちた表情で振り返った美しい少女。
細く尖った顎、鼻は高く目立たない、目元の周囲は薄く赤く腫れている。
「だね。で、シャーロットさん、でよかったですか?」
「はい……あの、どこかで会いましたか?」
「いえ、初めまして。私は赤ずきんと申します、何でも屋をしながら旅をしてます」
自己紹介に対し、シャーロットは静かに首を振る。
「せっかくお尋ねくださったのに申し訳ありません。わたし、今は誰かと話す気分じゃないんです……」
「すみません、でもシャーロットさんに用事があります」
「…………」
「グレタさんから伝言を」
グレタ、その名前に目を大きく開けた。
両肩に手を添え、赤ずきんに迫る。
「どうしてグレタのことを!? 会ったことがあるんですか? いつ町に!」
「落ち着いてください。数日前に町へ寄ったことがありまして、グレタさんと話す機会がありました」
「グレタが……わたしに、な、なにを」
不安そうに喉を震わせたシャーロットに、
「愛している、また会いたい、と」
優しく伝えた。
青い瞳はどんどん潤み、震える喉は何も言えなくなり、皺くちゃな手紙を差し出す。
「手紙?」
受け取った手紙の封を開けると、走り書きの文字で短くまとめられていた。
「……今朝、届きました。2日前の夜に容体が急変したと……」
シャーロットは声を絞り出す。
無言の時間が過ぎて、詰まる呼吸を整えたシャーロットは続けた。
「きっとあなたに厚い信頼を寄せたのでしょう……手紙だと、両親が先に読み、捨てるでしょうから」
すすり泣く声に、穏やかな瞳のまま耳を傾ける。
「わたしはグレタを、愛していました。両親が気付いて……引っ越すことに」
『……』
「引っ越す前夜、想いを伝えたくて会いに行ったのに…………怖くて、このままの方が、と、竦んで……なのにっ」
堪えられず、頬を濡らし、両手で覆う。
涙で滲ませながら手紙を受け取り、唇を震わせる。
呼吸を整えて、前を向く。
「本当に……ありがとうございました。おかげで両想いだったことを知ることができました……愛する気持ちはこれからも変わりません……誰になんと言われようとも」
頭を下げ、再びシャーロットは遠い故郷に祈りを捧げた。
立ち去る1人と1匹。
「あの、大きな狼さん」
『なんだ?』
「胸が締め付けられるほど苦しいですが、満たされるものだと思います」
『そう、か』
コテージに向かう途中、夫婦が悲しみと不安に挟まれた表情で赤ずきんを待っていた。
狼は赤ずきんの足元で伏せる。
「お嬢さん、うちの娘と何の話を?」
グレーのスーツを着たシャーロットの父親。
隣で俯いている青と白の服を着たシャーロットの母親。
「伝言を頼まれたので、伝えに来ただけですよ」
赤ずきんは簡潔に答えた。
夫婦は突然、硬い金属ケースを差し出す。
束となった紙幣が敷き詰められている。
「……グレタのことは残念に思う。だが、どうかお願いだ、娘の異常を黙っていてくれないか」
「……」
「周りに知られたらもう、どこにも暮らせない」
『このやろっ』
「受け取れません。言いふらすこともしません。失礼します」
怒りに満ちた狼の言葉を遮り、離れた湖畔のコテージに戻った。
尻尾を時折揺らし、再びベッドに伏せた狼は湖を眺める。
「そうそう、お望みの物を買ってきたよ、狼さん」
『そうか』
赤ずきんは荷物を下ろし、狼の傍へ。
ふわふわのクッション、触り心地のいいシーツに手を添えて、赤ずきんは小さく頷く。
「ここが気に入った?」
『あぁ、まだまだ居座っていたい気分だな……』
狼の呟きに、赤ずきんは微笑む。
「それで、シャーロットさんに何を訊いたの?」
『…………忘れた』
「なんだそりゃ」
『近いうちにちゃんと言うさ……今は待ってくれ』
「はいはい、良いところだねぇ」
『あぁ』
1人と1匹は静かに湖畔を眺めてゆっくり時間を過ごした……――。