キュッリッキがベルトルド邸につくと、すでにベルトルドとアルカネットは帰宅しており、部屋着に着替えて出迎えてくれた。
「おいでリッキー、寒くなかったか?」
ベルトルドはキュッリッキをギュッと抱きしめると、待ちかねたように額にキスの雨を降らせた。
「独り占めしないでください! 早くリッキーさんを放しなさい」
「ダガコトワル」
「いい加減に離れろや」
来ればすぐこれだ、と、キュッリッキは疲れたようにため息をついた。何のかんのと抱きついてきては、キスをしていくのは止めない。なのでもう言うのを諦めていた。
「お嬢様、早くお部屋へ行かないと、番組が始まってしまいますよ」
やんわりとハウスキーパーのリトヴァが助け舟を出してくれて、キュッリッキはベルトルドの腕からスルッと抜け出した。そして、テレビのある自分の部屋へ、一目散に駆け出す。
「早く行かないと始まっちゃう!」
「リッキー待ってくれ」
「リッキーさん」
駆けていくキュッリッキを、ベルトルドとアルカネットは慌てて追いかけた。
「全く、お嬢様も旦那様方も、お
リトヴァは呆れたように肩で息をついた。
「リッキー、今日は泊まっていけるんだろう?」
金糸のようなキュッリッキの柔らかな髪を指でいじりながら、ベルトルドはテレビに見入っているキュッリッキの顔を覗き込む。
「うん。外暗いし、めんどいから泊まっていく」
画面から目を離さずキュッリッキが言うと、ベルトルドとアルカネットの顔がパッと明るく輝いた。
「なら、一緒に寝ような」
にっこりとベルトルドに言われて、キュッリッキは「えー」と不満そうに眉を顰めた。
「私と寝ましょうね」
優しく微笑むアルカネットにも、キュッリッキは「えー」と不満そうな顔を向けた。
「最近ずっとリッキーと寝られないから、欲求不…いや、寝不足が溜まってて、身体の調子が悪いんだ……」
「え!? ベルトルドさんどっか悪いの?」
キュッリッキはびっくりして飛び上がった。
以前自分のせいで、過労で倒されさせてしまったことを思い出したのだ。あのことは今でも罪悪を感じている。
「何を言っているんですかしらじらしい。毎朝起こす苦労を強いられる、私の身にもなっていただきたいものですね、ぐっすり爆睡しておいて」
シラーっとアルカネットに言われて、ベルトルドは口をへの字に曲げた。
「まあ、たまにはいっか」
「!」
「!」
ベルトルドとアルカネットは、思わずびっくりしてキュッリッキを見る。メルヴィンとくっついてからというもの、何を言っても拝み倒しても、Yesとは言ってもらえなかったのだ。
「だけど、2人とも、もうちょっと離れて寝てよ。せっかく広いベッドなのに、狭くなっちゃう」
「もちろんだリッキー!!」
「もちろんですよリッキーさん!!」
2人同時に抱きつかれ、キュッリッキは疲れたように小さく笑った。
(やっぱ、後悔したかも……)
夕食を終えたあと、キュッリッキはフェンリルとフローズヴィトニルと一緒にお風呂に入った。
フェンリルはバスタブのへりに顎と前脚でつかまって、目を閉じ気持ちよさそうに湯船に浸かっている。フローズヴィトニルは犬かきで泳ぎながら、時折キュッリッキにじゃれついていた。
アジトのお風呂は5人一緒に入れるほど広いが、いつも誰かと一緒なので、こうしてのんびりと浸かることはない。フェンリルはオスだからという理由でマリオンに追い出され、最近ではガエルたちと一緒に入っている。フローズヴィトニルはちゃっかりキュッリッキと一緒だ。
「さて、そろそろ出よっか。のぼせちゃう」
2匹を腕で掬うようにして湯から上げると、バスタブを出て床に下ろしてやる。2匹は身体を勢いよく振るって、水気を飛ばした。
キュッリッキは身体を拭いてナイティドレスに着替えると、ドライヤーで髪を乾かす。そして、洗面台の上で待機する2匹の毛も乾かしてやった。とくにフェンリルはドライヤーがお気に入りである。熱風を浴びながら、気持ちよさそうに目を細めていた。その表情を見ていると、
(なんだか疲れたオッサンみたい…)
とキュッリッキは思っていたが、口には出していない。言えば絶対怒る。
身奇麗になって部屋に戻ると、フェンリルとフローズヴィトニルは、長椅子のクッションへ駆けていって丸くなった。以前はフェンリルが独り占めしていたクッションも、今ではフローズヴィトニルが加わって狭くなってしまっている。それでもフローズヴィトニルはフェンリルにピッタリと身を寄せて丸くなっていた。
キュッリッキがベッドの上に乗っかって座り込んだとき、寝間着に着替えたベルトルドとアルカネットが部屋へ入ってきた。そしてベッドに腰を掛けると、手にしていた書類に目を通し始める。
「お仕事終わってからくればいいのに」
やや呆れ気味にキュッリッキが言うと、
「1秒でもリッキーのそばにいたいんだ!」
「そうです。たかが仕事ごときに邪魔されませんよ!」
書類から顔を上げず、2人はきっぱりと言い切った。
「ぶー」
せっかく一緒に寝るのだから、少しは楽しい話でもしたかった。しかし2人共書類に見入って、すっかり仕事モードである。
暫く背中を見つめていたが、焦れて2人の間に移動して、交互に顔を覗き込む。でも少しも振り向いてくれない。
「もお、つまんなーーーーい!」
キュッリッキは2人の手にしている書類をワシャッと掴むと、ひったくるように奪い取り、ポイッと宙に放り投げた。
「リ、リッキ~~~」
「あわわ……」
ベルトルドとアルカネットは、ヒラヒラと宙を舞って落ちる書類を慌てて拾い始めた。
「これ、アルカネットのだな」
「ベルトルド様のはこっちのですね」
拾った書類の中身を確認しながら、交換しつつ再度確認する。
「この、イタズラっ子め!」
ベルトルドはキュッリッキに飛びかかると、そのままベッドへ押し倒した。
「キャッ」
「悪い子はオシオキだぞ~」
「えへへ、だって2人共かまってくれないから、つまんないんだもーん」
「しょがないですね、リッキーさん」
アルカネットは苦笑しながら、ベルトルドのぶんの書類もテーブルの上に乗せに行く。
「さて、どうしてくれよう、この小悪魔」
ベルトルドが芝居がかった口調で言うと、キュッリッキはくすくすと笑った。
「今すぐ子持ちの父親になれますね」
2人の様子を見て、アルカネットが嫌味な笑顔を浮かべてベルトルドに言う。
「たわけ、愛し合う恋人同士のようじゃないか。なあ、リッキー」
「いえいえ、どう見ても仲のいい
「がるるる」
「アタシとベルトルドさん、親娘みたいに見えるんだ~」
妙に感心したようにキュッリッキが言うと、
「ええ、とっても親娘のように見えますよ」
アルカネットが畳み掛けに出る。
「私とは恋人同士にしか見えませんが」
いつまでも抱きしめているベルトルドの腕から、キュッリッキを強引に奪い取ると、アルカネットは自分の腕に抱き抱えなおす。
「リッキーさんは、永遠に私のものです」
心の底からアルカネットは言うと、キュッリッキの頬に優しくキスをした。
「寝言は寝てから言え。もう寝るぞ寝るぞ!」
キュッリッキを奪われて面白くないベルトルドは、声を荒らげてシーツをめくった。
ベッドに戻されたキュッリッキは、横になりながら、ベルトルドと親娘のように見えると言われたことが、嬉しいと思っていた。
いつも優しく包みこでくれるベルトルド。メルヴィンとのことで怖い態度を見せはしたが、それ以外はいつだって優しい。そのうち、メルヴィンとのことも心から認めて祝福してくれる。キュッリッキはそう信じていた。
ベルトルドに対してはそう思えた。しかしアルカネットはそうじゃない。きっと、一生認めてはくれないと思っている。それでもアルカネットのことも大好きだ。過剰なまでに自分を愛してくれ、いつだって優しい。
血は繋がっていなくても、キュッリッキにとって、2人は大切な父親たちなのだ。
3人が横になると、キュッリッキは2人の手をとって、ギュッと握った。大好きと感謝の気持ちを込めて。
「おやすみなさーい」
ベルトルドとアルカネットは顔を見合わせ、そして苦笑した。2人は同時にキュッリッキの頬にキスをすると、ぴったりとキュッリッキに身を寄せて目を閉じた。
目を覚まして身を起こすと、アルカネットは小さく息をつく。時計を見ると、まだ朝の4時を少しばかり回った頃だ。
隣を見ると、キュッリッキとベルトルドがぐっすりと眠っている。
キュッリッキの無防備で愛らしい寝顔に、アルカネットは自然と笑みが漏れた。
毎日でも見ていたいこの寝顔。しかし今では週に一度しか拝めない。
キュッリッキはエルダー街の、ライオン傭兵団のアジトに帰ってしまい、テレビを見に水曜日にしか戻ってきてくれないのだ。
ベルトルドの
それでも久しぶりにこうして一緒に寝ることができて――ベルトルドが非常に邪魔――嬉しいが、昨夜の寝る前の会話を思い出して、アルカネットはズキリと痛んだ胸を押さえた。
「アタシとベルトルドさん、親娘みたいに見えるんだ~」
キュッリッキの言葉を思い出し、再び胸が痛む。
感心したように言い、嬉しそうな表情をしていた。
親娘の関係を求めているのなら、それをベルトルドに感じてくれているなら幸いだ。自分とは男女の関係になれる。なのに何故、親娘を求めるような感情がベルトルドに向いたことに、こんなにも心が痛むのだろうか。
アルカネットは急に目眩を感じた。そして静かにベッドを出ると、ふらつく足で急いで部屋を出た。