105話:騒動のあと

 浴衣を着せられ、ランドンに付き添われたメルヴィンは、ベッドにぐったりと横になっていた。


(ミ…ミミズ……)


 初めて股間のモノを、ミミズと表現された。どういう感性で、ミミズに見えたのだろうか。

 恥じらって目を瞑るでもなく、悲鳴を上げるわけでもなく、思いっきり力強く握られ、そして吃驚するほどの力で引っこ抜こうとしてきた。

 以前にもベルトルドに同じことをしていた事実を知らないメルヴィンは、キュッリッキの天然パワーに圧倒されて、頭がぐるぐる渦巻いて激しいショックを受けていた。

 まさか引っこ抜こうとしてくるとは、普通は思わない。

 触られた喜びを感じる以前に、激痛と焦りに支配され、惨めな気持ちに涙が出そうである。30年生きてきて、これは酷い初体験となってしまった。




 天然パワー全開のキュッリッキは、床に正座させられ、ファニーからこっぴどく説教を食らって肩を縮めている。


「あんたはどんだけ天然ボケをやらかすのよ! 人間の身体からミミズが生えてくるわけないでしょ!!」

「だってぇ…」

「だってもへったくれもない!! いい加減オトナになりなさいその天然思考回路!」

「ファニー怖いよぅ」

「当たり前でしょ!! あんたがそこまで天然オバカだとは、さすがのあたしも思わなかったわよ。あんたが特殊な環境で育ってきた背景を忖度しても、正しい知識が足らなさすぎよ!」

「確かに。ヴィヒトリ先生から、そのあたりの講義を受けていたはずなのですが…」


 頬に手を当て、アリサは上目遣いで記憶を遡る。

 そのヴィヒトリが用いた教材――ベルトルド秘蔵の無修正アダルト映像データ――があまりにも過激すぎて、キュッリッキの脳内から綺麗に除去されていることは、アリサも気づいていない。


「と・に・か・く! 今夜はみっちり教育よ! ちゃんと覚えるまで寝かさないからねっ!」

「うっ…うっ…うわーん!」

「ああ、お嬢様ハンカチハンカチ」


 ついに泣き出したキュッリッキをアリサが慰めにかかり、ハドリーがファニーをなだめた。




 キュッリッキ達の様子を尻目に、アルカネットは仁王立ちして、目の前に正座するライオン傭兵団の面々を睥睨した。


「あなた方のくだらない悪戯にも困ったものです」


 ジワリ、ジワリと冷気が這い寄ってきて、ライオン傭兵団はガクブルと震えだす。


「リッキーさんはまだ子供なのですよ? 男女の秘め事は理解などしていません。天然ボケだったことが幸いして、間違いが起こらなかったことは良かったですが」

「アルカネットさんにも天然ボケって言われたあああ」


 更にガン泣きされて、アルカネットはハッとなって慌てる。


「いっいえ、違いますよ、言葉の綾です!」


(やっぱりあんたも天然ボケって思ってるんだな……)


 ライオン傭兵団は異口同音に、心の中でツッコミを入れていた。


「アルカネットさんの意地悪ぅ~~~」

「ごめんなさいリッキーさん、違うのですよ、誤解ですっ」


 説教モードから言い訳モードにチェンジしたアルカネットは、キュッリッキの正面に座して必死に謝った。


「すみません、そんなに泣かないでください。目が腫れてしまいますから」


 ガン泣きモードになると、中々泣き止まないのは皆承知の上だ。


(オレら、風呂にでも行こうぜ。アルカネットの野郎、もう説教してこねーだろうし)

(そうしよっかあ。キューリちゃん暫く泣き止まないし、ファニーちゃんもついてるしね)

(メルヴィンはランドンに任せて、温泉入りましょうか)


 念話ネットワークで会話をかわし、ライオン傭兵団は立ち上がる。そしてそろーりと忍び足で部屋を出ようとすると、


「誰が、勝手に出て行ってもいいと、許可をしましたか?」


 冷ややかな声が、みんなの足を止めた。


「ちゃんと反省するまで、床に正座していなさい」


 ライオン傭兵団に向けた、その美しい笑顔。神々しいまでに輝いている。


「申し訳ございません!!」


 ビシッと姿勢を正して謝ると、素早く正座をして頭を垂れるライオン傭兵団だった。




 1時間泣くに泣いて、ようやくキュッリッキは泣き止んだ。そのあとはファニーとアリサにしょっ引かれて、温泉に向かった。それを見送り、アルカネットは心底疲れたようにため息をつく。


「あなた方も、もういいですよ」


 おとなしく正座していたライオン傭兵団にお許しを与え、アルカネットは鳳凰の間を出た。


「夜風にでもあたってきましょうか…」


 サンダルに履き替え外へ出る。外はだいぶ冷たくなっていて、ぶるっと震えた。

 見上げると、満天の星空が煌めいている。


「イララクスから見る星空よりも、綺麗ですね」


 光り方が全然違う。それは幼い頃、実家から見上げた星空と同じだ。

 そんなことを考え、舗装された小さな道を歩きながら、アルカネットはひっそりとため息をつく。

 キュッリッキの天然なところは、彼女の魅力の一つと言ってもいいほど愛らしい。しかし、男性のピーをミミズと言って、素手で引っ張るのは些か問題が大有りである。

「ベルトルドもメルヴィンも、触ってもらえて良かったですね」というイヤミを吐く気にはなれないレベルだ。自分が同じ目に遭った時、平常心でいられるかは自信がない。

 今頃はファニーたちに、色々と正しい知識を教えてもらっているだろう。少なくとも、マリオンやルーファスに任せるよりは安心できる。

 様々な知識が欠けているキュッリッキは、ようやく心許せる仲間たちができて、知らなかったことを必死で吸収している真っ最中だ。

 知識が身に付けば、仰天するほどの天然っぷりも収まるだろう。

 そんなことを真顔で考え込んでいたら、思い切り人とぶつかり顔をしかめる。


「すみません、考え事をしていて…」

「おや、アルカネットか」

「シ・アティウスでしたか」


 アルカネットは肩で一息つくと、顔を前に向けて目を見張った。


「……これは、ネモフィラですか」

「ああ、そうだ」


 一面に咲き誇るネモフィラの花畑。月明かりを受け、闇夜に燦々と青く煌めいている。


「このような場所があったのですね」

「ベルトルド様と同じように、あなたも青色が好きなのだろう?」

「ええ、青は大好きな色です。この花も、青色だから好きですよ」


 2人は横に並び、暫し花畑に魅入る。

 宿の喧騒は、ここまでは届いていない。時折そよぐ風が、花びらや周囲の樹木の葉音を立てるくらいだ。

 アルカネットとシ・アティウスは、あまり会話はしないほうだ。仲が悪いわけではなく、とくにお互い関心を持たない。

 一緒に仕事に出ていても、雑談はほぼないし、それで空気が重くなることもない。ベルトルドやリュリュがいると会話も多くなるが、共にそのことを気にしたことはないのだ。

 今も普段通り会話のない時間が過ぎていくが、シ・アティウスから会話をもちかけてきた。


「この花畑を見て、なにか感じるものなどあるか?」


 あまりに唐突な質問に、アルカネットは軽く首をかしげ、シ・アティウスの横顔を見つめる。


「いえ、とくになにも?」

「そうなのか」

「なにか、曰く有りげなところなのですか?」

「うん。アイオン族の始祖アウリスが降り立った場所が、ここなんだそうだ」

「ほほう…」

「俺はただの記憶〈才能〉スキルだが、あなたは魔法使いだろう。なにか視えるんじゃないかと思ったのだが」

「ベルトルド様の超能力サイとは違いますから、透視は出来ませんよ」

「そうか」


 頓着せず頷くシ・アティウスに、アルカネットは苦笑する。


「ハーメンリンナと違って、ここは冷えますね。どうです、いいお酒もありますし、温泉にでも行きましょうか」

「そうだな」


 アルカネットに続いて踵を返したとき、シ・アティウスはふと「ん?」という表情になった。


「そういえば、ベルトルド様はどうした?」

「ああ」


 と言って、アルカネットは爽やかな笑顔をシ・アティウスに向ける。


「今頃リュリュと、しっぽり、ぐっちょり、ねっとりしているでしょうね」

「……そうか」



* * *



「へっくちゅ」


 廊下を歩きながら、キュッリッキはクシャミを連発する。


「温泉入ってきたばっかりなのに、風邪でもひいちゃったのかな」


 足元でフェンリルが見上げてくる。


「うーん、また後で、温泉入ろっか」


 キュッリッキは鳳凰の間の前に立つと、深呼吸をした。

 コンコンッとノックをして、ドアを開ける。

 部屋に入り、衝立にしがみついてそっと部屋の中を覗いた。

 広い室内はガランとして、ベッドの上にはメルヴィンしか寝ていない。ランドンはもういなかった。


「メルヴィン…」


 小さな声で呼びかけると、メルヴィンは頭だけ上げてこちらを見た。


「リッキー」

「あ、あのね、大丈夫…?」


 おっかなびっくり問いかけると、優しい笑顔が向けられた。


「こっちへ来ませんか?」


 クスッと笑って、メルヴィンは手を差し伸べる。怒っていないその様子に、キュッリッキは安堵したように笑顔を浮かべると、喜々として駆け寄り、ベッドの傍らに膝をついた。

 ベッドに顔を乗せ、キュッリッキは上目遣いでメルヴィンを見る。


「ごめんね、メルヴィン…。アタシ、何も知らなくって」

「もういいですよ。――さすがに吃驚したけど」


 苦笑するメルヴィンに、キュッリッキはしょんぼりため息をつく。


「女の子と男の子じゃ、股間が全然違うって、ファニーに教えてもらったの」


 股間だけじゃないですよ、とメルヴィンは言いそうになったが、黙って苦笑するにとどめた。


「でね、……その……」


 急にモジモジして、キュッリッキは顔をちょっと赤らめた。


「アタシのことを、気持ちよくしてくれるモノなんだって」


 メルヴィンも顔をボッと赤くすると、明後日の方向へ視線を泳がせた。


「え、ええ…その、いつか…」


 そう、いつの日か、キュッリッキと結ばれる日は来るだろう。その時、期待通り気持ちよくしてあげられるだろうか。メルヴィンはちょっぴり緊張してしまう。


「リッキー、一緒に寝ませんか?」


 キュッリッキはパッと嬉しそうに顔を輝かせ、大きく頷いた。


「あ、みんな入ってこれないように、カギしめなくっちゃ」


 スクッと立ち上がってドアへ駆け寄ると、カギをしめてすぐベッドに潜り込んだ。これでお邪魔虫は大丈夫だろう。

 メルヴィンはキュッリッキを抱き寄せると、額に優しくキスをした。


「おやすみなさい、リッキー」

「おやすみ、メルヴィン」