惑星ヒイシにある5つの自由都市の一つコケマキ・カウプンキ。ワイ・メア大陸の東の果てにある島一つを、そう総称する。
交通の便も悪く、コケマキ・カウプンキ最大の観光資源、温泉保養地ケウルーレは入場規制を行っている。都市自体は鎖国も入場規制もしていないが、そのせいかコケマキ・カウプンキがどのようなところなのか、流布する情報は極めて少ない。
船が港に入ると、そこには旅人を歓迎する雰囲気に満ち溢れていた。
「というより、お土産買って買って~の、逞しい商売人根性に満ち溢れてるよねえ」
そうルーファスが言うと、ベルトルドが愉快そうに笑った。
港は扇のように陸地に広がっていて、松の大木がいたるところに植えられている。その周辺に露天がチラチラと並び、綺麗な柄の服を着た人々が、明るい笑顔で声を張り上げていた。
「この都市独特の文化でしょうか、デザインが変わっていますが綺麗な服ですね」
「そうだな、あまり他所では見かけない感じだな」
アルカネットの呟きに、シ・アティウスも同意する。
「ケウルーレまでは汽車で行くんですって。みんな、行くわよ」
先に奥へ進んでいたリュリュが声を張り上げると、好奇の目を振りまく一同は、荷物を持って慌てて駆け寄っていった。
オカマを怒らせると怖いことを、キリ夫妻とファニーとハドリーを抜かし、皆身にしみて判っている。とくにベルトルドは、股間の髄までイヤでも染み付いていた。
港から徒歩10分ほどでステーションに到着すると、ケウルーレ行きの3両編成の汽車は既に待機していた。
「指定席はないそうだから、さっさと乗ンなさい」
一人一人切符を手渡され、ぞろぞろと汽車へ乗り込んでいく。
他に乗客はいないのか、御一行様が汽車におさまると、ステーション内はシンと静まり返っていた。
「2時間ほどでケウルーレに到着するそうよ」
「エグザイル・システムがないと、ホント遠いな…」
トホホと薄く笑うギャリーに、同意のため息がちらほらあがる。そんなギャリーにリュリュはにっこりと笑う。
「まあ、そういう不便の先に、至高の温泉が待っているのよン」
「そうっすよね…。ああー、早く温泉入りてー」
「アタシも早くお風呂入りた~い。昨夜入れてないから、なんか気持ち悪いの」
「リッキーはお風呂大好きだよね」
「うん」
「あたしも早く入りたーい! お肌つるつるになる温泉もあるんだって」
「ファニーのお肌、まだつるつるしてるよ?」
「今以上によっ」
「オレは肩こりに効く温泉に入りたい…」
「なーによハドリー、ジジくさいわね」
対面に座るハドリーを、呆れたようにファニーは見つめた。
「最近傭兵業よりも、副業の荷運び業がキツくってな。肉体労働は堪える」
「ハドリー大変なんだね…」
労わるようにキュッリッキが言うと、ハドリーは情けない顔で息をついた。
各々ガヤガヤと盛り上がり出した頃、汽笛がステーションに鳴り響き、汽車はゆっくりと走り出した。
大陸鉄道よりも若干緩慢な速度で走る汽車は、車窓にのどかな風景を映し出しながら走る。雑談にわいていると2時間などあっという間で、気が付けばケウルーレに到着していた。
「景色がなんか、やったら田んぼばっか多かったな」
率直な感想をザカリーが言うと、
「実は意外に知られていないが、市場を占める米の80%は、ここコケマキ・カウプンキ産のものだぞ。米大国でもあるな」
汽車を降りながら、副宰相らしい表情でベルトルドが答える。そういう情報がスラッと出てくるあたりは、さすが国政を担っているだけのことはあるようだとザカリーは感心する。
「ほほー、そうなんっすね」
「一つ賢くなったな」
「うぃー…」
御一行様はステーションを出ると、目の前の光景に目を真ん丸くした。
対岸が霞んで見えるほどの巨大な穴が広がり、穴の規模からは小さく見える島が中心に浮いている。その島には一本の橋が繋がり、橋の手前には詰所と役人が立ち塞がっていた。
「うわあ…なにあれ~、凄いんだあ」
感嘆した表情でキュッリッキは走り出し、穴の手前で柵に掴まり覗き込む。うっかり穴に落ちないように、高さ2メートルくらいの格子の柵が張り巡らされている。
どのくらいの深さか判らないほど、穴の底は暗くて見えない。
「煙がちょっと、下からのぼってきてるかも」
視界が遮られるほどではなかったが、うっすらとくゆるようにして、白い煙がちょこちょこ漂っていた。
「これは、噴火口かな」
キュッリッキの横に並び穴を覗き込むと、のっそりとした口調でシ・アティウスが呟いた。
「ふんかこう?」
「火山の口だな。この底からマグマが噴き出してくる」
「噴火口の上に浮いてるんですか、ユリハルシラのあるあの島は!!」
尻尾をピーンと立てて、シビルが仰天する。
「いきなり噴火しないでしょうね!?」
「だ、大丈夫じゃね?」
「ふーん、凄いところにあるんだね、ユリハルシラって」
「でもさ、そうするとヘンじゃね? 温泉って地中から湧き出るもんだろ。どう見てもあの島、宙に浮いてるようにしか見えねんだけど」
ザカリーの指摘に、皆首をかしげた。
「どっかから、汲み上げてんじゃ?」
「んなモン見えねえけどなあ」
「運んでたりしてな」
「手間暇かかってますね…」
「それで入場規制してたりな」
「あんたたちー! 手続き終わったから行くわよ!」
詰所で手続きをしていたリュリュが、柵に群がっている一同に怒鳴る。
「オカマが怒ってる」と胸中でボヤきながら、荷物を手にとり皆橋の前に駆け寄った。
「ようこそケウルーレへ」
橋を守る役人の一人が、一歩前に出てにこやかに言った。身なりからして、ここの責任者だろう。
「皆様のお荷物は、一時こちらで預からせていただきます。宿までお運びいたしますので、貴重品だけは抜いておいてください」
役人の示す先に、綺麗な布が貼られた手押し車がある。金銀様々な絹糸の刺繍が美しい布で、花や草木の柄を模していた。
皆は言われたとおり貴重品を抜いて、荷物を手押し車に乗せていく。乗せ終わると運び手の役人が、同じように美しい布を荷物に被せた。
「では、宿までご案内致します」
役人は小さく会釈すると、先頭に立って橋を渡り始めた。そのあとを皆ついていく。
橋は大人3人が並んで歩ける程度の幅で、黒い瓦屋根のついている木橋である。
歪み無く渡された木橋の手摺は朱で塗られ、吹きさらされているにもかかわらず、橋は見事に清められていた。
「落ちないように、手摺の外に身を乗り出さないでくださいね」
今にも身を乗り出そうとしていたキュッリッキに向けて、役人から注意が飛ぶ。
「あっ、はいなのっ」
横を歩くメルヴィンに赤面しながらしがみつく。そんな様子に、くすくすと笑いが起こった。
島に近づくにつれ、それが結構大きな島だと判ってくると、感嘆のつぶやきがチラホラ上がり始める。
「ステーションの方から見ると、やけに小さな島に見えたが、結構大きいな」
「ハーメンリンナの一区画くらいの広さはありそうねえ」
「それだと、随分と広いじゃないですか」
意外にも大きい島の様子に、おっさんトリオは息を呑む。
進むにつれ段々と会話も減り、あまりの長さにうんざりムードが漂い始める。橋を渡り始めて、すでに30分が経過しているのだ。
「ちょっと疲れちゃったかも……」
キュッリッキがひっそりと愚痴をこぼすと、
「さあリッキー、俺が抱っこしてやろう」
「いいえ、私が抱っこして差し上げますから」
ベルトルドとアルカネットが鼻息荒く両腕を差し伸べてくる。しかし、
「フェンリル、ちょっと乗っけてなの」
2人の腕をチラっと見て、キュッリッキは足元を歩くフェンリルにお願いした。
フェンリルはすぐさまキュッリッキが乗れるくらいの大きさになり、キュッリッキはフェンリルの背に跨る。ぐったりとするキュッリッキに、メルヴィンが労わるように頭を撫でた。
「怪我が治って間もないし、今のキューリは疲れやすくなっているから」
ベソかくおっさん2人に、ランドンがボソリとツッコんだ。
「そうですね。お嬢様にあまり無理をさせないようにと、ヴィヒトリ先生からもご注意をいただいています」
更にセヴェリがツッコミ混ざり、アリサが大きく頷いた。
数ヶ月前にナルバ山で瀕死の重傷を負い、今ではすっかり元気になっているが、まだ身体は本調子ではないと判り、ベルトルドとアルカネットはしょんぼり俯く。
「怪我の後遺症や虚弱によく効く温泉もありますので、ご滞在の間、ゆっくり身体を癒してください」
先頭を歩く役人が、優しい口調で場を和ませるように言ってくれた。
「あの島には、神が降り立ったとされる場所があります。そのため乗り物のような無粋なもので入らないように、こうして徒歩で移動することになっているのです」
「そんな神聖な場所に、温泉宿を開いたのですか…」
シ・アティウスが興味深そうに言うと、
「その神の妻が創業者なのだそうです。ユリハルシラの」
マジっすか!? と声なきどよめきが橋の上に広がる。宿の名前ユリハルシラとは、その神の妻の名だという。
「なんだか、人間臭い夫婦?なんだな、その神様って」
胡乱げに言うザカリーに、役人は面白そうに笑って頷いた。
「事の真偽は、我々地元民も知らないことなんですよ」
40分かかってようやく橋を渡りきった御一行様は、口々に「疲れた、早く座りたい」と文句を垂れ流していた。
目の前には大きな朱塗りの門があり、役人がコンコンとノックをすると、ゆっくりと内側に扉が開いていった。門を開けた人の姿は見えない。
「では、皆様行きましょう。あともう少しですから」
門をくぐった先には、目にも鮮やかな
淡い若草色から、ほんのりと赤みを帯びていて、陽の光に照らされて煌めいて見える。歩道は全て黒御影石で敷き詰められ、緩やかな勾配で奥へと続いていた。
どこかしっとりとした雰囲気に、自然と皆の口は黙する。辺は靴音と葉の擦れ合う音のみが響きあっていた。
門から5分ほど進むと、大きな建物が姿を現した。
「大変お疲れ様でございました。ケウルーレが誇る温泉宿、ユルハルシラでございます」
「おお、やっと着いたなー!」
グーッと伸びをしながら、ベルトルドが大きな息とともに吐き出した。
「素敵なところねえ~」
リュリュは両手を胸の前で組んで、惚れ惚れと宿を見上げた。
磨きぬかれた大きな鏡のような黒い池の上に宿は建っている。削り出したばかりのように香る桧と、曇りひとつない透明なガラスで組まれた建物だ。
創業してから一度も建て替えたことがないという。しかしどう見ても新築の建物のようにしか見えない。
池の周りは取り囲むように竹が密集して生えており、どれも見事な極太の茎をしていて青々と茂り、泰然とする様は静謐な雰囲気を醸し出していた。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました」
圧倒される雰囲気にのまれていた御一行様は、凛とした女性の声にハッと意識を引き戻され、宿の正面に視線を向ける。
燃えるように赤い髪をきっちり結い上げ、すらりとした肢体を淡い紫色の着物で身を包んでいる。裾から上にかけて、金色の糸で蝶が刺繍されていた。
「当宿を預かる女将のシグネと申します」
そう言って、深々とお辞儀をした。
「大勢で押しかけてゴメンナサイ。2泊3日お世話になるわ」
代表してリュリュが挨拶をすると、切れ長の目を和ませ、シグネは柔らかく微笑んだ。まだ30代前半くらいの、粋な美しい顔をしていた。
「立ち話も無粋ですわね。ささ、皆様どうぞ中へお入りください。お茶を差し上げましょうね」
すると宿の方から数名の従業員らしき人々が出てきて、荷車に乗っていた荷物を手に取り、素早く宿に運び込み始めた。
「皆様のお荷物は、控えの間にお運び致します」
宿に入りながら、シグネは従業員に指示を飛ばしつつ説明をする。
「こちらでまずは、お身体をお休めください」
玄関ロビーの続きに広々とした歓談スペースがある。大きなガラスに覆われた窓からは、池と竹が眺められた。
竹で編まれたベンチには柔らかなクッションが置かれ、各々腰を下ろしてくつろぐ。
「とっても綺麗なところだね、メルヴィン」
「ええ。竹の香りがとても清々しいです」
キュッリッキとメルヴィンは並んで座りながら、窓の外をじっと見つめる。
「オレの故郷にも竹林が結構あって、見てるとなんだか懐かしいなあ」
「そうなんだあ」
メルヴィンの故郷のことが少しだけ判って、キュッリッキは嬉しくてメルヴィンの腕をギュッと掴む。故郷のことを話してくれたのは、これが初めてなのだ。
故郷は辛い思い出ばかりのキュッリッキを慮って、なるべく話さないようにしているメルヴィンの気持ちは判っている。でも、今のキュッリッキはどんな些細なことでも、メルヴィンのことが沢山知りたいのだ。
そんな2人のほのぼのとした後ろ姿を――主にメルヴィンの――忌々しげに睨みつけ、ベルトルドとアルカネットは表情を険しくしていた。そこへ、
「さあ、温かいお茶をどうぞ」
シグネ自ら、嫉妬に狂うオッサン2人の前に、そっと盆を差し出す。
「お、おう」
「ありがとうございます…」
面食らったように茶器を受け取り、2人はズズッと茶をすする。
「変わった香りがするな、柑橘系の」
お、といった顔でベルトルドはもう一口すすった。
「柚という果実の汁を混ぜています。身体も温まり、気分も落ち着きますよ」
見透かされていると気づき、ベルトルドはバツの悪そうな顔で肩を縮めた。
皆に茶を手渡し、シグネはにっこりと笑みを深めた。
「当宿では、食事をしていただく時は、朝顔の間にて、皆様ご一緒に召し上がって頂くようお願い申し上げます。それ以外では、どのお部屋もご自由にお使いになって下さい」
「あら、部屋割りしなくていいのン?」
「はい。お好きなお部屋で、くつろがれたり、おやすみなっていただいて結構でございます」
「ンまっ、贅沢ねえ」
采配担当のリュリュは、びっくりして目を見開いた。
「お部屋によっては、備え付けの露天風呂などもございます。宿の一部ではシンプルな娯楽施設も運営しております。そして、お風呂は湯殿の間から、それぞれお好みのお風呂をお選びになって、24時間お好きなときにお入り下さい」
そりゃ贅沢だーと、皆も喜んだ。
「ご滞在いただく間は、ご自分の家と思い、心ゆくまでご堪能くださいませ」
昼食の用意が出来ているというので、説明の後、朝顔の間に案内される。
朝食があまりにも残念すぎ、更に沢山歩かされたので、全員空腹の極みだ。
「あっ、床が掘ってあるよ!」
一番に部屋に飛び込んだキュッリッキは、脚の短いテーブルに駆け寄り、足元を見て驚いた声を上げた。
「これは、炬燵というものだな。掘り炬燵と言って、椅子のように座れるのが便利だ。寒くなると掛け布団をかけて、足元から暖が取れる」
シ・アティウスが淡々と答える。
「へえ~、変わったものがいっぱいだね。それにこのクッション潰れてるし」
「それは座布団と言う。本来そういう薄いものだ」
「ふーん」
座布団をペタペタ触って、キュッリッキは腰を落ち着ける。すると、あまりにも素早く両脇に、ベルトルドとアルカネットが座った。
――おっさん…
そういう残念な空気が遠慮なく漂うが、ベルトルドとアルカネットはドヤ顔でスルーする。
せっかくキュッリッキと一緒なのに、こうガヤガヤいてはイチャつくこともできず、メルヴィンとばかりイチャイチャされてしまうので、すでに我慢の限界なのだ。
その様子を見てメルヴィンは切なげにため息をつくと、みんなの配慮でキュッリッキの正面席が空いていたので、素直にそこに腰を下ろした。
「メルヴィンさん苦労するわね…」
隣に座ったギャリーに、ひそひそとファニーが耳打ちする。
「ああ、あんなのまだ序の口だ」
「うへえ…。リッキーってば天然なところがあるから、ホント大変そう」
ウンウンと周囲から深い頷きが返ってきて、ファニーはやれやれと額を抑えた。
「お食事をお運び致します」
廊下に座したシグネがそう部屋に声をかける。それを合図に、多くの女性従業員たちが重ねた箱を持って、皆の前に次々置いて下がる。そして、また新たに小さな盆を持ってきて置いて下がった。
キュッリッキが不思議そうに箱を見ていると、にっこりと微笑んだアルカネットが上箱の蓋を開け、次々と段を崩してキュッリッキの前に並べた。
「うわあ、お料理が入ってたんだ」
目を輝かせるキュッリッキの様子を見て、皆同じように箱を開けていった。
小さな盆には、椀ものとお菓子の皿が並んでいる。
「コケマキ・カウプンキ流のお弁当でございます。おそらく他には類を見ない、この島独特の料理となっています。お口に合えば幸いです」
最後に2本の短い棒が揃えて置かれ、キュッリッキは不思議そうに手に取った。
「これなあに?」
「箸というものでございます。このようにして使いますの」
女将が持っていた箸で、使い方の説明をしてくれた。
「うっ……」
真似をして使ってみるが、つまんだご飯がポロッと落ちてしまう。キュッリッキは上手く使えずに苦戦を強いられた。
「ほほう、上手に使うなあ、貴様は」
向かい側に座るメルヴィンに、ベルトルドが感心したように言った。それに対し、メルヴィンは照れくさそうに笑う。
「オレの故郷では、箸が主流なんです。使い慣れているので」
「そっ、そうなんだっ」
これは上手に使えないとマズイ、と思ったキュッリッキは必死に箸を動かすが、何度やっても料理がするりと落ちてしまう。
「むぅ」
ベルトルドとアルカネットはすぐ使い方を覚え、流暢に使いこなしだした。しかしみんな箸に大苦戦して、料理が口にできず、だんだんとイライラムードが漂いだす。
「ごはん食べらんなーーーい!!」
ついにキュッリッキが噴火した。
その様子を見ていたシグネは、こらえきれなくなったようにクスクスと笑い、控えていた従業員に指示を出した。
「フォークやスプーンを持ってこさせますので、少々お待ちくださいませ」