83話:戦勝祝賀会

 すでに陽も落ちかかり、巨大な城壁に取り囲まれたハーメンリンナの中は闇色に包まれている。しかし街の中は電灯の柔らかな白い光があちこち灯っており、街並みの美しさも相まって、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 皇王から差し向けられた迎えのゴンドラは、特注仕様のうえ、警護兵も乗り込んでの豪奢なものだ。そのゴンドラの中央席に、ベルトルドとアルカネットの間に挟まれて座っているキュッリッキは、やや緊張気味の面持ちで2人の話を聞いていた。


「戦勝会とはいっても建前だ。ほぼ毎日貴族どもはなんらかのパーティーを開いている。今回は皇王主催といったご大層な名義付きだがな、やることは踊って喋って食うだけだ」


 ベルトルドがあっけらかんと説明するが、キュッリッキはその踊って喋って食うということが、ハーメンリンナの外の世界とは違うものと、なんとなく理解している。

 踊りは陽気な音楽に合わせて即興で、喋るのは大声で笑い合いながら普通に喋ることだし、食うはマナーを気にせず好きに食べることだ。でもこれから行こうとしている場所は、そうした庶民の世界とは違う。


「羽目を外さなければ、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。リッキーさんは普段からお行儀のいい子ですから、社交界でも問題ありません」


 にっこりとアルカネットに言われて、緊張しながら固く頷く。そんなキュッリッキの様子を見て、ベルトルドとアルカネットは顔を見合わせて苦笑した。先ほどのやしきでの威勢はすっかりどこかへ去っている。

 貴族でもなく上流階級の出でもないキュッリッキには、社交界は無縁の場所だ。召喚〈才能〉スキルを持ちながら、生まれ落ちてすぐ両親に捨てられたのでなおさらだ。


 ベルトルドはチラとキュッリッキを見る。


(本来召喚〈才能〉スキルをもって生まれてきた子供は、生国が家族ごと保護をする。保護をするというのは、王侯貴族の中に取り込み、一生裕福で安全な暮らしが保証されるということだ。衣食住と身の安全も全て国が面倒を見る。出自が例え田舎の農家であろうと漁民であろうと関係ない。レア〈才能〉スキルの中でもとくにレアな召喚〈才能〉スキルは、貴重なものとしているからだ。

 リッキーの両親が、片翼が奇形だからと捨てたりせず、召喚〈才能〉スキルを授かって生まれてきたと国に申告し、国もまた見捨てるようなことをしなければ、リッキーはイルマタル帝国の中で大切に育てられていたはずだった。

 ハワドウレ皇国の皇王自らがリッキーを社交界に招くということは、ハワドウレ皇国がリッキーの存在を保護する姿勢を表明したと同義になる。すでに俺の庇護下に身を置いているが、それがより絶対なものとなった。

 リッキー自身はこれからも自由な傭兵であることを望むだろうが、続けるにしろ辞めるにしろ、終生この国が全てを保証してくれる。紆余曲折を経て、ようやくリッキーは定住地を得られたということだ。

 リッキー自身は、そのことに全く気づいていないようだがな)


 ゴンドラは音もなくゆっくり街の中を通り、やがて大きな王宮の門をくぐっていく。


「うわあ…」


 目の前に現れた宮殿の華麗さに、キュッリッキは目を輝かせた。

 ハワドウレ皇国皇王家、ワイズキュール一族の住むグローイ宮殿だ。

 白い外壁は煌びやかなライトで照らされ、不思議な色合いの光を柔らかく放っていた。昼間はごく普通に豪奢な宮殿、といった様相だが、夜間こうしてライティングされると一際輝く。

 電気エネルギーはこのハーメンリンナの地下で作られている。超古代文明の遺産の一つで、電気エネルギーというものは、あまり世界に普及しているものではなかった。

 皇都イララクス全体でも、街のいたるところにほんの少しだけ供給され、あとは公立病院や行政施設など、決まった場所にしか提供されていない。庶民の生活には無縁のものだ。しかしハーメンリンナでは常に電気エネルギーが供給されるため、贅沢に使い放題である。


「いっぱい緊張してきちゃった……」


 宮殿の圧倒さに緊張をより煽られ、両手をぎゅっと握り合わせると、キュッリッキはこわばった表情を俯かせた。


「俺が一緒だから、緊張しなくて大丈夫だぞ」

「私がずっとそばにいますからね。安心してください」


 2人に励まされている間に、ゴンドラは宮殿の玄関前に到着した。

 ゴンドラに同乗していた警護兵が先に降りると、左右に立って敬礼する。

 ベルトルドが先に降り立ち、キュッリッキに手を差し伸べた。キュッリッキはドレスの裾を少したくしあげ、ベルトルドの手を掴んでゆっくりと降りる。裾を踏んで転ばないか気になってしょうがない。

 顔を上げて前を見ると、ベルトルド邸よりも大きくて立派な玄関前に、幾人もの紳士淑女が立ってこちらを見ていた。

 黒などのスーツを着た紳士たちの傍らには、眩いばかりの煌びやかなドレス姿の貴婦人たちがいる。そして皆が皆、好奇心の眼差しを隠そうともせず、キュッリッキに向けているのだ。


「なんか、ジロジロこっちを見てる…」


 気後れしたようにぽつりとこぼすと、


「リッキーの美しさに興味津々なだけだ」

「そうですよ。この場にいる誰よりも、あなたは美しいんですから」

「そ、そうなのかな……」


 場違いな気がしてならなく、改めてジロジロ見られるのは気恥ずかしい。それに美醜の差が自分ではよくわからない。

 ベルトルドとアルカネットの選んだドレスを退けて、キュッリッキが自分で選んだドレスは、オーロラの光沢がある淡いシャーベットオレンジ色のドレスだ。

 ウエストから胸にかけて、まるで大輪の花が開いたように幾重にもフリルが広がっていて、気になってしょうがない胸をすっぽり覆い隠している。ひろがる裾も花びらのようで、上腕まで覆い隠す同色の手袋が、怪我の傷跡を見せないようにしていた。


「お嬢様のように、華奢なお姿でないと着こなしが難しいですわ」


 そうリトヴァに言われた、少女過ぎず、程よい華やぎと愛らしさの素敵なドレスだ。

 はだけた右肩にあった怪我の痕は、もうすっかり見えなくなっている。そして小粒の真珠のネックレスが、上品なアクセントになっていた。

 ドレスの雰囲気に合うように髪は全て上にまとめず、ゆるやかに編まれた髪の房が数本自然に垂らされている。そうすることで、おしゃまになりすぎない甘やかな品の良さが際立っていた。

 エスコートするレディが、誰よりも美しいことに大満足している2人は、キュッリッキを伴って宮殿へと入っていった。




 煌びやかな灯りに照らされた玄関ホールには招待客が溢れ、入ってくる客たちを眺めながら談笑で賑わっている。


「副宰相閣下、魔法部隊ビリエル長官殿、そしてお嬢様、ようこそグローイ宮殿へ」


 長身で恰幅のいい中年の男が、にこやかな笑みを浮かべて3人を出迎えた。


「出迎えご苦労ヤーコッピ。俺たちの控え室まで案内してくれ」

「承りました。さあ、こちらへどうぞ」


 ヤーコッピと呼ばれた男が先導し、招待客たちで溢れる中を流れるように案内していく。

 キュッリッキは「この人は誰なんだろう?」という問いたげな視線をベルトルドに向ける。


「この男は、能無しボケジジイよりもグローイ宮殿を知り尽くしている使用人だ」


 と答えてくれた。能無しボケジジイとは、皇王のことである。


「閣下は相変わらず容赦がありませぬな」


 少しも気を悪くした様子もなく、ヤーコッピはニコニコと笑顔で頷いた。


「この方は、皇王様の身辺のお世話を取り仕切っている方なのですよ」


 アルカネットがきちんと説明すると、耳に心地よいバリトン声が愉快そうに笑い声を上げた。

 ヤーコッピに案内された控え室は、喧騒から遠のいた静かな場所に用意されていた。そして控え室にはすでに、3人の客が待っていた。


「こんばんは、閣下」


 席を立って敬礼して出迎えたのは、ブルーベル将軍、フォヴィネン大将、エクルース大将だった。


「あ! シロクマのおじいちゃん」


 パッと顔を輝かせたキュッリッキは、ベルトルドの手から離れて、ブルーベル将軍に飛びつくように抱きついた。


「おやおや、こんばんはお嬢さん。今日は一段と綺麗ですねえ」

「えへへ」


 将軍の横腹までしか腕が回せないキュッリッキが、嬉しそうな笑顔で見上げてくる。その輝く笑顔を見て、ブルーベル将軍はにっこりと微笑み返した。


(おのれぇ……なんて羨ましい……)

(クマ人間だからって卑怯な…)


 嫉妬の痛い視線を感じてブルーベル将軍が顔を上げると、ベルトルドとアルカネットが怖い顔で将軍を睨みつけていた。フォヴィネン大将とエクルース大将は、怖れるあまり視線を明後日の方向へ泳がせている。しかしブルーベル将軍はにっこり2人に微笑み、そして「あっ」と小さく声を上げた。


「そうそう、閣下に大事なご伝言をお伝えしなければ」

「ぬ、伝言?」

「ええ。――明日ハーメンリンナに戻るから、ケツ磨いて待ってなさいよ。だそうです、リュリュ殿から」


 途端、ベルトルドの顔が青ざめていった。


「たいそうご立腹で。とばっちりを受けたサロモン子爵なんて、体重が5キロも落ちてましたよ、たった1日で」


 ニコニコと言うブルーベル将軍の顔を、ベルトルドは泣きそうな顔で見つめた。


「あと30分ほどで陛下がお見えになります。お迎えに上がるまで、こちらでごゆっくりおくつろぎ下さい」


 ヤーコッピがシャンパングラスを置いて下がった。




 キュッリッキはドレッサーの前に座り、髪型が乱れていないかなどをアルカネットがチェックして、ベルトルドはソファに座って将軍たちから色々と報告などを聞いていた。


「新しい知事が決まるまでは、当面サロモンが行政、軍事、治安諸々やることになる。どう見ても本物の無能者だから、知事が決まるまでの間、優秀な事務官たちを送るよう明日手配する。そうじゃないとすぐに現場が混乱するのは、目に見えているからな」

「そうですね。新知事が決まるまで閣下がご滞在なら、速やかにつつがなく移行しそうですが」

「モナルダ大陸にだけかまけていると、本国の行政が滞るからな。俺が10人いればテキパキ回るんだが」

「あなたみたいな不誠実な男が10人もいたら、目も当てられません」


 横からアルカネットにつっこまれ、ベルトルドが噛み付きそうな表情を向ける。


「世界中の女どもが、ありがたがって涙を流して濡れるだけだっ!」

「ベルトルドさんの助平」

「リッキぃ……」


 またもやキュッリッキから軽蔑の眼差しを向けられ、ベルトルドが泣きそうな顔で身を乗り出した。そこへノックがして、ヤーコッピが扉を開ける。


「お時間になりましたので、皆様ホールへお越し下さい」

「やっとか。では、チョー面倒だが行くぞ」


 皆席を立ち、キュッリッキも緊張顔で立ち上がった。


「ちゃんとできるかな…」


 胸元を両手で押さえて、ドキドキを沈めようとしていると、ベルトルドとアルカネットがキュッリッキの前に立ち、いきなり、


「最初はグー、じゃんけん」

「ぽいっ」

「ほいっ」

「ぽぽいっ!」

「おしゃあっ!!」


 ジャンケンをやり始め、ベルトルドがチョキをだしてアルカネットに勝った。


超能力サイは使ってないぞ。愛の力だ、愛の!」

「くっ!」


 そしてベルトルドがニコニコとキュッリッキに腕を差し出す。


「では、参りましょうか、麗しい姫君」


 エスコート役を決めていたらしい。キュッリッキはひきつった笑みを浮かべると、ベルトルドの腕に手を回した。




 大きな扉の前まで来ると、案内をしていたヤーコッピが深々と頭を下げる。


「陛下や他の招待客の皆様は、すでにお待ちしております。まっすぐ玉座前までお進みください」

「わかった」

「では、楽しいひとときを」


 ヤーコッピが指を鳴らすと、扉が内側に大きく開かれた。

 一瞬白い光が目に飛び込んできて、キュッリッキは眩しさに目を細めた。そして目が慣れてくると、目の前には左右に紳士淑女が道を開けて壁のように立ち、床には赤いカーペットがまっすぐ敷かれている。


「行くぞ、リッキー」

「う、うん」


 キュッリッキの歩幅に合わせるように、ベルトルドはゆっくりと歩みを進める。その2人の後ろに、アルカネット、ブルーベル将軍、フォヴィネン大将、エクルース大将が続いた。


「まあ、なんて可愛らしいお嬢様でしょう」

「ベルトルド様にあんなにだいじにされて」


 ヒソヒソと貴婦人たちの囁きが耳に流れ込んでくる。好奇心の声、賞賛の声、嫉妬の声などがキュッリッキに向けられていた。

 しっかり顔を上げて歩くよう、控え室でアルカネットから教えられていたので、恥ずかしさでうつむきそうになる顔を上げることで必死だった。

 やたらと長い、いつ玉座に着くのだろうと思う距離を歩き、ようやくベルトルドが足を止めたので、キュッリッキはホッと小さく息をついた。


「立ったままで失礼、ご機嫌麗しそうでなにより陛下」

「心にもない気持ちが、言葉なき声に滲み出しておるわい」

「滅相もございませんとも」


 光り輝くような笑顔を、壇上の皇王に向け、更ににっこりとベルトルドが笑んだ。


「張り倒してやりたいほど可愛いやつだ全く。アルカネットも大変そうだの」

「お察しいただき、痛み入ります」


 アルカネットも負けないほど輝く笑みで、優雅に一礼した。その姿に、参列している貴婦人たちから、恍惚としたため息があちこちから漏れる。


「ブルーベルたちも、此度はご苦労であった。今宵はゆっくり楽しんでいくが良い」

「勿体無きお言葉、ありがとうございます」


 ブルーベル将軍たちは、敬礼したのち、深々と頭を下げた。


「して、その娘が、召喚〈才能〉スキルを持つ召喚士じゃな」


 次に自分に言葉が向けられ、キュッリッキはぴくっと肩を震わせて、ベルトルドの腕をぎゅっと握った。

 恐る恐る皇王を見上げると、白髪の多く混じったグレーの髪と、グレーの口髭を蓄えた、温厚そうな老紳士が玉座に座っていた。華美すぎない濃紺の上衣に白いスラックスをはいて、背筋は真っ直ぐで体格も痩せすぎず肥えすぎずだ。ベルトルドが散々「ジジイ」と連呼していたので、てっきりヨボヨボのお爺さんを想像していた。


「初めましてお嬢さん。ワシはタイト・ヴァリヤミ・ワイズキュールと申す」


 小さな子供に語りかけるように自己紹介をする皇王に、キュッリッキはどこか安堵して、にっこり微笑んだ。


「キュッリッキです」


 そしてはにかんだように、もう一度にっこり笑った。


「ふふふ、可愛い娘だのう」

「俺のリッキーに色目を使うなジジイ!」


 憮然とした顔で睨まれて、皇王は「くわばらくわばら…」と肩をすくめた。


「あまり長い挨拶もなんだが、今日はキュッリッキに客がおる」

「リッキーに客?」


 ベルトルドがオウム返しに呟くと、皇王は小さく頷いて、壇上の傍らに控えていた宰相マルックに手で合図した。

 マルックは深々と一礼すると、後ろに控える下官に「お通しせよ」と命じた。

 下官は素早くその場を離れると、皇王が出入りのために使う扉までかけていき、扉のそばに控える近衛兵に命じる。近衛兵は皇王に向けて敬礼すると、恭しく扉を開いた。

 参列する紳士淑女の見守る中、扉の向こうから現れた人物を見て、ホールがざわめいた。

 先頭に立って歩いてくるのは、冷たい輝きのある水色の髪を、豪奢な黄金の髪飾りで大きく結い上げ、雪のように白い肌をした美女。そして後ろには、金髪の容姿の美しい男女が続いてきた。


「え…」


 キュッリッキは愕然と目を見開いた。