ヒューゴとライオン傭兵団が、膠着状態に陥って数分が経過した。
さほど長すぎる時を過ごしてはいないが、この状況にもっとも辟易しているのはベルトルドだ。
思念体であるヒューゴと、マトモに打ち合うことができないのは理解出来る。ライオン傭兵団のノーキン連中は、揃いも揃って魔剣使いばかりだが、実体のナイ相手を斬り倒す芸は備えていないようだった。
(だが、こんなときこそ魔法使いの出番だろ?)
そう内心激しくツッコミを入れていたが、カーティスたちをはじめとする魔法使いたちは、他人事のようにウンともスンともせずに黙っている。対抗手段がない、つまりは手詰まりなのだ。
残念なことに、
後方に陣取って誰よりもイライラ状況を眺めているベルトルドの腕を、ツンツンと突く者がいる。不機嫌に歪める顔を横に向けると、無表情なシ・アティウスが耳打ちしてきた。
ヒューゴが剣先をライオン傭兵団に向けたポーズを取り続けて早数分。自らが仕掛けてくる気配はなく、洗練されたポーズで突っ立ったまま。
「よく腕が疲れねえな、思念体だからかあ?」
と、ザカリーが小声でつっこんでいる。
「お相手してもらいたくても、実体がナイんじゃ当たらないしなあ……」
魔剣シラーを抜き放って構えるギャリーが、心底困ったように呟いた。「お相手いたす」とキザッたらしく言い放った割に、向こうから仕掛けてこないのも気に入らない。かといって、こちらからうって出ても、当たらないのでは意味がない。
「爽やかに笑われながら、スカスカ攻撃するのも虚しいし」
涼やかな顔を渋そうに歪めながら、タルコットが口をへの字に曲げる。
イメージトレーニングの賜物か、そういった情けない自分の姿が脳裏に鮮明に浮かぶ。笑うのは好きだが、笑われるのは御免被りたかった。
打開策も見いだせないままお手上げムードが漂う中、
「ヴィトの賢知を得て
ハーナルの技術を駆使し
ギンナルの口を封じる
土は大地に 水は海に
アギゾエッセ!!」
大声で唱えるシビルの呪文が、室内に響き渡った。
すると、それまでにこやかな笑みを浮かべていたヒューゴの顔に、初めて焦りが浮かんで目が見開かれた。慌てて剣をひいて防御姿勢を取る。
「くっ!」
瞬間、ヒューゴの身体が一瞬だけ強い光を放って、ふいに手を滑り落ちた剣は床に落ちて、カランと金属音を立てた。
「ん!?」
その音に、ノーキン組みがぴくりと反応する。
「今の一体なんだ、シビル?」
腕を組んだままのガエルが、足元のシビルを見おろす。
みんなの視線を一身に浴びたシビルは、にんまりと得意そうに鼻をひくひくと動かした。
「シ・アティウスさんに教わった魔法が、うまくいったようです」
仰ぎ見られて、シ・アティウスは小さく頷いた。
「私は魔法使いではないですが、たまたま知っていた魔法なので、シビルさんに試してもらいました」
「奴を固着させたんだ、この空間に。スカスカの思念体じゃ手が出せないからな。実体化させればこちらのもんだ」
ベルトルドの勝ち誇った笑みに、ヒューゴは降参の表情を浮かべて苦笑を返した。
「アルカネットがこの場にいれば、問題なく事態が進んだ程度のことですね。彼はその魔法を知っていましたから」
シ・アティウスは眼鏡のレンズを、指先で軽く上に押し上げた。
魔法
イメージと集中のために呪文を唱え、魔力を魔法という形に変換する。そしてそれを制御し、匙加減を誰でも均等に行えるように魔具を使うのだ。
それらは全て魔法
しかしシ・アティウスがシビルに教えた魔法は、専門機関では教わらなかったし、蔵書の中でも見たことはなかった。シビルとハーマンは魔法の研究も独自にやっているので、あらゆる関連文献は読み込んでいたが、今の魔法は全く知らないものだ。
「あなた方魔法
シ・アティウスはこれまであらゆるジャンルの文献を読み込み、記憶にとどめている。その中から検索し、引っ張り出したのがその魔法だった。
記憶
シビルとハーマン、そしてカーティスとランドンが、尊敬の眼差しを惜しむことなくシ・アティウスに注ぎまくっていた。4人とも胸中で「いい魔法を知ったぜ!」と、グッと得意げになっている。
「魔法方面はオレにゃさっぱりだが、実体化したならオレたちの出番だぜ」
魔剣シラーを肩に担ぎ、ギャリーはにんまりと口の端をつりあげた。これでようやく、本領が発揮できるというもの。
「スカスカファンタジーにならずにすんでよかったよかった」
いつもより柄を短くし、刃渡りを広げた大鎌形態のスルーズを抜き放ち、タルコットは心底安心したように頬を緩ませた。
メルヴィンもペンダントヘッドにおさまっている爪竜刀を長剣モードにして抜き放ち、鋭い視線をヒューゴに向ける。
(リッキーさんを拐かしたという幽霊…)
拐かしたのが”男”という点が、妙に癇にさわってならないのだ。何故そう思ってしまうのか自分でもよく判っていないが、とにかく目の前のこの幽霊は許せない存在だ。
他のみんなもそれぞれ武器や魔具を構え、いつでも攻撃を仕掛けられるようにしていた。
「ふぅ……」
悩ましげに息を長々と吐き出し、ヒューゴが静寂を破った。
「実体がなくったって、ボクはキミたちを殺すことが出来たのに。余計なことをしてくれるから、ボクまで本気を出さなきゃいけなくなったじゃない」
「ならば本気とやらを出してみろ。《ゲームマスター》とかいったか? リッキーに分け与えたという、その力を使ってみるがいい」
ヴァルトの記憶の中で、キュッリッキがたどたどしく説明した奇妙な能力名。そんな
力の使い方が判っていない以上、ベルトルドが見極める必要がある。
本当にその力が、キュッリッキの身を守るものなのかどうかを。危険な代物なら、すぐにでも排除しなければならない。
(――そもそも、何のために与えた?)
その真意が、キュッリッキの説明では見えてこない。そこがベルトルドの心に引っかかっている。
(何も知らない俺のリッキーに、訳のわからん知識を詰め込んだ挙句、あのような怪しい力をくっつけおって…ケシカラン!)
挑発しながらも思案に耽るベルトルドの物言いに、ヒューゴは軽く肩をすくめて見せた。
「いいでしょう。後悔しないでくださいよ?」
ゆっくりと目を閉じると、ヒューゴは軽く顎をひいた。やがてヒューゴを取り囲むようにして、床に小さな光の輪が7つ出現する。その輪からゆっくりと青く煌く彫像が姿を現し、ヒューゴの身体を守るように宙に浮いていた。
上半身は男か女か曖昧な顔立ちの人間の姿で、腰から下は氷柱のようになっている。7体全て騎士のような格好をしていて、レイピアを捧げ持ち、ヒューゴを背に庇うように浮いているのだ。
「ボクはね、生まれつき7つにカテゴライズされる能力を授かって生まれてきたんだ。でも、直接ボク自身がその力を放つことはできなかった。この手から火を出すことも、風を生み出すことも出来ない。不思議だろ? ――内に秘めたこの能力を、どうしたら使いこなすことが出来るんだろうか。それを考えている時にね、ボードゲームからヒントを得たんだ。ボクの力を駒の形にして、それを操るのはどうなのだろうかと」
(一人の人間に7種の能力だと………?)
「直接扱えないのに、そんなことが可能なのか? そう思ったけど、やってみると案外出来ちゃうもんだよね。こうしてボクの力はそれぞれ駒の形をして現れた。そしてこの駒を操ることで、本来授かった能力を出して自由に扱うことができるんだ」
面白くなさそうに「フンッ」と鼻を鳴らし、ベルトルドはジロリとヒューゴを睨みつけた。
キュッリッキに分け与えた力は、青い玉の形をしている。
(あんな気色の悪い彫像なんぞじゃなくて、まだよかったかもな……)
愛しい少女の身体の周りに、見るからに怪しすぎる彫像が7つも浮いていたら邪魔でしょうがない。抱きしめようとするたびに、彫像を押しのけている自分を想像し、眩暈を感じるベルトルドだった。
「いきますよ」
ベルトルドが思考回路をやや脱線させているのもお構いなしに、ついにヒューゴから攻撃を開始した。
「ノイタ、範囲攻撃魔法展開。ソトリ、着弾の間隙を突いて攻撃開始」
2体の駒が一瞬青く光ると、ライオン傭兵団に向きを変えた。そしてノイタが、捧げ持っていた剣の形状を杖に変化させた。
「イスベル・ヴリズン」
ノイタが機械的に感情のない声で一言放つと、宝珠の埋め込まれた杖の先をライオン傭兵団へ向けた。
「無詠唱発動!?」
ハーマンがびっくりした声を上げた瞬間、床から切っ先の鋭い氷の柱が無数につき上がってきた。
「うおっ!」
上からではなく足元からの突き攻撃に、全員姿勢を激しく崩して乱れた。容赦なく氷の柱はどんどん現れる。
ベルトルドとシ・アティウスのみ、ベルトルドの張った透明な防御壁で無傷だった。
ライオン傭兵団の面々はそれぞれ避けきれなかった部位を貫かれたりで、氷に血が点々と飛び散っていた。
「ルーとマリオンは防御担当、魔法組みは氷をなんとか溶かしてくれや!」
ギャリーが素早く指示を飛ばすが、態勢を立て直す前に無数の矢が有り得ないスピードで雨のように降り注いだ。
ノーキン組は足場が滑る不安定な位置でも、姿勢を崩しながら剣や拳で矢を斬り散らした。一本でも刺さると危ない勢いである。
ノイタの範囲攻撃氷魔法が着弾すると、ソトリが手にしていた剣を弓の形に変化させて、一本の矢を番えて放った。しかし番えていた矢は一本だったはずだが、放たれた瞬間無数の矢が出現したのだ。
容赦なく矢の攻撃は続き、その間にもノイタによる範囲攻撃魔法も続けられた。
足場を溶かすことはカーティスとシビルに任せ、ランドンはみんなの回復にまわり、ハーマンが攻撃にうつった。
「無詠唱で魔法を発動できるのは、アルカネットさんだけだと思ってたけど、他にもいたのか悔しいな~~~!」
内に秘めた魔力は、あらゆる属性を内包している。呪文を唱えることでその属性を引き出し、そして魔法の名をもって発動するのだ。
現在確認されている中では、呪文は無詠唱で、魔法の名のみで発動することのできる魔法使いはアルカネットだけだ。
過程を省略して魔法を使えるということは、魔力から瞬時に属性を引き出し、力を高めて放っているということ。神業と呼んでも差し支えがない。
ハーマンはそれに心底憧れていたし、嫉妬もしていた。
キツネのトゥーリ族は、魔法
アルカネットは怖れの存在だけど、魔法使いとしては憧れであり、目標とするには高すぎた。なのに過去の思念体とはいえ、もうひとりそんなことのできる魔法使いがいたなんて。たとえ駒という形に置き換えたとしても、それはヒューゴ自身の持つ力だ。つまりヒューゴは無詠唱で魔法が使えるということ。
嫉妬で腸が煮えくり返る。
「気に入らない、チョー気に入らないぞおおお!!」
ハーマンの叫び声を聞いて、ギャリーが口の端をニヤリと歪めた。
「キツネっ子が本気出したぞ」
「猛きものも力を失い
驕れる者も滅ぶべし
特大バージョン! ギガス・フランマ!!」
魔具として使用している分厚い本を開き、オプション付きの魔法名を叫ぶと、ヒューゴの周囲に巨大な火柱が3つ立ち上った。
「そのまま燃えちゃえ!」
「あは、これは凄いね」
感心したように呟くと、ヒューゴは左手をかざした。
「攻撃から我を守れ、シントパピン」
ヒューゴの左側にいた彫像が青く光り、捧げていた剣を頭上に突き立てるように持ち上げた。
剣先が淡く光ると、半透明な膜がヒューゴを包み込むようにドーム状に展開した。
ハーマンの放ったギガス・フランマの3つの火柱が、ヒューゴを飲み込み一本になると、高温を発して轟轟と燃え盛った。ノイタとソトリの攻撃が止む。
「動力部であんな魔法を使わないで欲しい…」
彼らの戦いを眺め、シ・アティウスはボソリと呟いた。
「やったか?」
離れていても熱が漂ってきて、掌でぱたぱた顔を扇いでいたヴァルトが首をかしげる。
「いや、ダメっぽい」
全員に防御壁を張り終わったルーファスが、残念そうに肩をすくめた。
炎がおさまると、そこには無傷のヒューゴが、汗ばんだ顔をにっこりとさせて立っていた。
「さすがに熱いね~」
「きぃいいい!!」
笑顔が癪に触りまくり、地団駄を踏んで悔しがるハーマンの、その背中をぽてぽて叩きながらシビルが同情する。力が大きすぎて暴走させやすいハーマンにしては、ナイスコントロールなギガス・フランマだったのだ。
「おっし! オレ様がテメーをぶっ飛ば~~~す!!」
掌に拳をバチンと叩きつけ、ヴァルトは床を蹴って前に飛び出した。
「抜けがけすんなや!」
魔剣シラーを担ぎ直して、ギャリーも飛び出した。
2人に続いて、メルヴィン、タルコット、ガエルも飛び出し、ザカリーがバーガットで魔弾を放つ。しかし魔弾はヒューゴに届かずシントパピンの防御壁で防がれた。
「ハアステ、護衛たち召喚」
ヒューゴが左手を前方にかざすと、彫像の一体が新たに青い光を放ち、前方に向いて少し前に出た。
「幾千の怪物を頼みとし
これを率いて進み来たりていでよ
ドラコデンス・ストラティオス 召喚」
ハアステが呪文を詠唱し、捧げ持っていたレイピアを前方にかざす。すると、床から5体の兵士が姿を現した。そのどれもがドラゴンの頭を持ち、胴は屈強な人間の男の肉体を有し、大きな手には鋭い大剣を構えていた。
「オエッ、バケモノかよ!」
勢い込んで思いっきり突っ込んだ相手に、ヴァルトは顔を歪めて腕を交差させる。普通にそのまま突っ込んでいたら、間違いなく抱きついていたところである。化物相手にそれは勘弁だ。
一人につき一体が、それぞれ相手について進行を阻まれた。そしてノイタとソトリの攻撃も再開される。
「ふむ……」
腕を組んで状況を観察していたベルトルドは、なるほど、といったように眉間を寄せた。
7つの力を駒にしたと言っていたが、ヒューゴのアレは、そういうことではないのだとベルトルドは気づいていた。残りの彫像がどんな力を有しているかは、見なくてもおおよその見当はついている。
「大見得きっていたわりには、大したことないな。興ざめだ」
タネが判ってしまえばなんのことはない。ベルトルドは不敵な笑みを浮かべ、組んでいた腕を解いた。
「貴様ら、普段”俺様強えぇ”モードでご近所に幅を利かせてるわりには、その程度の雑魚攻撃に苦戦するとか無様だぞ!」
尊大さが滲みまくる声でハッキリと断言され、ライオン傭兵団のプライドに霜が降りた。「そんな大声で核心をズバリどつかなくてもっ!」と、心で滝の涙を流す。そして「ご近所相手に威張ってるのはヴァルトだけだ!!」そうヴァルト以外は皆キッパリと否定した。
「そのドラコデンス・ストラティオスとかいうのはすぐに始末しろ。あとは俺の慈悲最大出力をもって残りは片付けてやるから、あとで土下座して額を地面に擦りつけながら思う存分感謝しまくれ」
両手を腰にあて、ふてぶてしさが際立つ笑みを浮かべたベルトルドは、前方のヒューゴを睥睨する。
「貴様の茶番劇も、もうここまでにしてもらおうか? 亡国の騎士」
ヒューゴは怪訝そうに僅かに首をかしげた。
「7つの能力、なるほど。見ていればそうと見えるが、貴様は思い違いをしたまま死んだようだな」
「言っている意味を、測りかねますが…」
「俺たちの生きるこの時代ではな、突出した能力は一つだけ授かって生まれてくる。とくに魔法だの
「!?」
「1万年前の連中はそんなことにも気付かなかったのか? そのほうが驚きだ。7種類もあったと思い込んでいたそれは、魔法なんだ」
「馬鹿な……」
「馬鹿なのは貴様の方だ、たわけ。確かに一風変わったところはある。魔法の発動の仕方が独特だ、なにせ魔具を自ら作り出しているんだからな。しかも扱える魔法ごとに魔具があるんだから笑う」
ヒューゴの周りに浮いている青い彫像、それを指差しベルトルドは薄く笑った。
「俺の部下に魔法使いが一人いるが、そいつは無詠唱で魔法を発動できる唯一の魔法使いだ。魔法発動時、一見魔具は使用していないように見える。だが、やつもしっかり魔具は使っている。やつの身体、そのものが魔具だからな」
これにはハーマンたちのほうが仰天した。さりげなくギョッと驚く程のことをサラッと言ってのけている。
魔具とは魔法使いが魔法を発動するための、媒介道具のことである。
媒介するものがなくても魔法を発動する事は可能だが、出力が不安定で波が起きやすい。そのため発動する力を安定させるために、魔具を使ってコントロールする。
魔具は専門店で購入することが出来るが、自ら作り出せる者も若干存在していた。そうした者は、概ね優秀な魔法使いに限られる。
「魔具を作り出すことのできる魔法使いは稀だし優秀だ。とくに貴様は、扱える魔法の種類ごとに魔具を作り出している。細すぎるとも思うけどな」
「この駒たちが、魔具だと…? ボクの能力が魔法だと?」
「ユリディス付きの騎士だとほざいただろ、それで気づいていなかったのか? ハアステの力は召喚ではない。魔法で作り上げる人形をその場に形成したに過ぎん、ゴーレムだ。本来召喚とは、神々の世界アルケラから神や眷属をこの世界に呼んで使役するものだからな」
愛しい少女が見せてくれた召喚の力。それはこんなセコイものではない。
「扱える魔法の種類ごとに魔具を形成し、そして発動できるんだから器用なものだ。それで能力が7つも備わっていると勘違いしていたのだろうが、貴様のはただの魔法にすぎん」
ふんぞり返っているベルトルドを見つめながら、ヒューゴの頭の中は混乱に陥っていた。
自らの力を魔法と断言されたことに、動揺を隠せない。
あらゆる能力を備え、扱えることに誇りを持っていた。思うように力を発動できないことを悩み、駒を作り出したことで扱えたことに自信を持った。
それの正体がただの魔法であり、これら駒は魔具だと言う。
ベルトルドの言葉に打ちのめされていると、目の前の状況が一変してヒューゴは我にかえった。
ドラコデンス・ストラティオスが全て倒されていたのだ。
「ゴーレムならパンダとか、可愛い顔のにしろよなー」
パンパンと掌の汚れを払い落としながら、ヴァルトはむっすりとぼやいた。
「パンダだと破壊するのに躊躇いそうだけど……」
ふとブルーベル将軍の副官の顔を思い出し、メルヴィンは苦笑した。中身はどうあれ、見た目は可愛いのだから。
「やっと倒したか愚図ども」
「スンマセン」
ぺこぺこ頭を下げながらギャリーは内心「ロリコン野郎め…」と悪態をつく。
「聞こえてるぞギャリー」
「さらにスンマセンっ!」
ベルトルドの前では、胸中で思うことも筒抜けだ。
「力の正体が判ればもう俺には通用せん。とっとと片付けて戦争の後始末へ向かう! 俺は超絶忙しいんだ!! ついでに眠い」
ノーキン組みはベルトルドのために前を開け、後ろへと下がる。
「1万年前、ある事象により世界は滅んだ。そこから人類が再び歴史を紡ぎ出したのは9千年後、それほどの長い時間を必要とするほど世界を追い込んだ元凶は、このフリングホルニだ」
「!」
唐突に発せられた内容に、ヒューゴは驚いた。そしてライオン傭兵団は不思議そうに首をかしげる。
「フリングホルニが建造されなければ、世界を滅ぼすほどの事象は引き起こされなかっただろう」
「あなたは……あなたはどこまで知っている」
あえぐように声を振り絞るヒューゴに、ベルトルドはニヤリと不敵な笑みを向ける。
「局所的に起こった事象は世界を巻き込んだ。ヤルヴィレフト王家の犯した罪は重い。だが、それを止められなかった貴様の罪はもっと重いぞ、ヒューゴ」
「違う!!」
これまで余裕を浮かべていたヒューゴの表情が一変し、恐怖にひきつったように歪んでいた。
「ボクは止めようとした、止めようとしたんだ! だが騙されユリディスと引き離されてしまった。守れなかった…守れなかったんだよ!!」
(一体なんの話をしてるんだ…?)
ギャリーは不可解そうにルーファスに目配せしたが、ルーファスは肩をすくめてみせただけだった。
「まさか、あんなことになるなんて…」
「阻止できなかったことを悔いて、それでここに己の魂の一部を遺していったわけか。健気だな」
僅かに嘲笑を含めて言い放つ。それに気づいて、ヒューゴはキッとベルトルドを睨んだ。
「あの世へ旅立つ前に、ひとつ面白いことを教えておいてやろう。1万年前にヤルヴィレフト王家が犯そうとした愚行と、同じことをやろうとしている者がいる」
「なんだと!?」
「そしてレディトゥス・システムとその全ても手中にある。フンッ、ご苦労だったな。貴様を処理すれば準備が整うんだ」
「まさかあなたは」
「1万年前に守れなかったものが、現代になって守れるものか、馬鹿者!」
ベルトルドの周囲に、突如放電する光の玉が無数に出現する。
「あれってもしかしてっ」
ルーファスとマリオンが慌てて防御を準備する。シビルとカーティスも慌てて防御呪文を唱え始めた。
「ディバイン・スパーク!!」
放電する光の玉がヒューゴめがけて飛び、着弾とともに爆発した。
室内が瞬時に白光に包まれるほどの強烈な光が走り、稲妻が無数に舞踊りながら爆煙が吹き上がっていた。
「アルカネットのイラアルータ・トニトルスと互角ですかね。場所も考えず相変わらず無茶をする。ストレス溜め込みすぎですよ」
シ・アティウスの棒読みのようなツッコミに、ベルトルドは目を吊り上げながら舌を出した。
「五月蝿いっ! 余計なお世話だ!」
マントを翻しながらその場に留まり、ベルトルドは次の攻撃態勢に入っていた。
ヒューゴは咄嗟にシントパピンで防御膜を張って攻撃を防いだが、全ての衝撃は防ぎきれず、いくつかの彫像が破損していた。
「偉そうなだけじゃなかったんですね」
苦笑いながら、ヒューゴは破損した駒に触れ修復する。
「偉そうじゃない、偉いんだ、俺は」
ヒューゴが駒を修復する様子を見て、ベルトルドは「なるほど」と内心で頷いた。やはり徹底的に破壊するか、ヒューゴを消さない限りは際限がないようだ。
ベルトルドは右掌を開くと、そこに意識を集中させた。
この遺跡内に微量に漂う電気を、ひとつに集める。
やがてベルトルドの掌に集まった膨大な電気エネルギーは凝縮され、徐々に形を成していく。
「おやおや、久しぶりの大技ですか……」
妙に感心したようにシ・アティウスが呟くと、
「ディバイン・スパークよりもさらに大技あるんですか!?」
泣きそうな顔になって、思わずルーファスが叫ぶ。
「アルカネットもベルトルド様も、雷系の攻撃が大得意のようですね。今発動しようとしている大技は、100%ヒューゴを貫きますよ」
ベルトルドの掌の上に、金属的な光沢を放つ一本の三叉戟が浮かんでいた。それは稲妻を踊らせながら大きくなっていく。
「
ありがた迷惑の何ものでもないような声で言われて、ライオン傭兵団はげんなりとベルトルドを見ていた。
――あのひと本当に人間か!?
警戒しながらも、ヒューゴの目は
「無駄ですよ、そんなあからさまなものは、避ければすむことです」
「フンッ。避けられるもんなら避けてみるがいい」
柄の部分をグッと握り、矛先をヒューゴに向けると、無造作に投げつけた。
あまりに適当に投げつけてきた
爆風に身体を吹き飛ばされそうになって、ライオン傭兵団は踏ん張った。爆風と煙に混じる静電気で髪の毛が逆巻き上げられて、肌にもぴりぴりと電気が嬲っていった。
「あんなの食らったら死ぬだろ…フツー」
目をひん剥いて凝視しながら、ヴァルトは生唾を飲み込んだ。あちこちから同意するように頷く気配が起こる。
白煙がおさまってくると、いたるところで小さな稲妻を発しながら、無残な姿のヒューゴがかろうじて立っていた。
7体の彫像は全て砕けて床に四散していて、銀の鎧も破壊され、血と火傷をおった身体をむき出しにしている。
「ディバイン・スパークの電気を帯びていた状態だったからな、
皮肉を言っているが、どこか本気で感心しているような響きを含みながらベルトルドは言った。
「まだ……消えるわけにはいかないんだ、あなたの野望を知ってしま…ったから」
ヒューゴは霞む視界に足元がフラつきながら言うと、咳をしながら血を吐いた。内蔵がいくつか逝っているようだ。
「あなたが、やろうとしていることは、1万年前と同じ悲劇を繰り返すだけ…だと、判っているのでしょう」
「知っているさ。だがな、貴様達が招いた結果、俺がそうせざるを得ない事態になってしまったんだ。批難される覚えもないしされたくもない。失った大きさは計り知れないんだ」
「今ならまだやめられる……やめてほしい、お願いだから」
息も絶え絶え、血を吐きながらヒューゴは懇願した。
目の前の男に抗うだけの力は、もう残されていない。
(この男の考えも力も、危険すぎる)
霞んだ視界に、金色の光が強烈に差し込んだ。
ベルトルドが再び
「貴様も大切な者を目の前で失ったのだろう? ならば理解出来るはずだ。世界を巻き込むことになろうと、止めることはできない」
三叉戟の形になった
「返してもらうのさ、人間から奪ったものを。――この俺から奪ったものをな!」
今度は力の限り
もはや防ぐものもなく、かわすこともできない。
金色の光を放つ
この部屋で、イーダが何人もの男達に陵辱され、精神を壊された挙句惨殺された光景。助けることもできずに羽交い締めにされて、それを見続けていた非力な自分。壊れそうになる心に突き刺さるフェンリルの激しい怒号――
その瞬間、ヒューゴの身体を
こみ上げてくる塊のような血を大量に吐き出し、ヒューゴは片膝を付いた。
尊大に振舞うこの男の、その奥に見える深い悲しみと憎しみを、
実体化させられたことで、この動力部に封じていた己の思念と力はもう再生出来ない。ヤルヴィレフト王家の脅威は去っていたが、今こうして新たな脅威を知り得たのに、もう何もできないことが歯がゆかった。しかし、
(いずれ、あの少女はユリディスと出遇う。ユリディスと同じ力を持つ少女)
それが本当の意味で、最後の砦となる。
ヒューゴを貫いていた