「おはようございます、リッキーさん」
「おはよう、メルヴィン」
ベッドの傍らにある椅子に座るメルヴィンに、キュッリッキは小さな笑みを向ける。その笑みを受けて、メルヴィンは僅かに表情を曇らせた。
(また目が腫れている…)
それに、どことなく疲れている様子だった。
昨夜もキュッリッキの大きな叫び声と泣き声が、隣の部屋のメルヴィンにも聞こえていた。しっかりした厚みのある壁なのでくぐもったような音になっていたが、鋭い聴力を持つメルヴィンの耳はその声を判別していた。
先ほど朝食の時に、ベルトルドとアルカネットに問いただしてみたが、
「貴様らが気にすることじゃない」
「詮索しないことです」
そう突っぱねられてしまった。食い下がっても話してくれそうもない雰囲気プラス「余計なことはするな」という念押しオーラも漂っていたので、それ以上聞き出すことができなかった。なので、
(リッキーさんに直接聞いちゃって、いいものなのかな…)
何度も胸中で繰り返すが、キュッリッキの顔を見ていると口に出せなかった。
興味本位で触れていいことではないのは判る。しかし、もしキュッリッキが心の底から困っていることがあったら、少しでも力になりたい。微力でも助けになるのなら、いくらでも頼って欲しかった。
「リッキーさん」
「うん?」
「あの、その、…もし話したいことがあるなら、オレ、いくらでも聞きますから。なんでも言ってくださいね」
凛々しい端整な顔を情けないほど赤くしながら、メルヴィンはしどろもどろといった口調でようやく言った。
洒脱な会話はもっとも苦手である。更に冗談や軽口も苦手だ。
ルーファスやマリオンたちのように気楽な雰囲気で会話できれば、キュッリッキも話しやすいだろうと常に思っているほどに。
堅物で生真面目で社交的ではないので、こういう時は本当に困ってしまう。
「……ありがとう、メルヴィン」
穏やかな口調でそう言われて、メルヴィンはハッとキュッリッキの顔を見つめた。嬉しさを滲ませた笑顔を、自分に向けてくれている。
(少しは気持ちが、伝わったかな)
自信なくそう思いつつ、メルヴィンは肩の力を抜くと、照れくさそうに指先で頬を掻いた。
キュッリッキはというと、突然のメルヴィンの言葉に少々驚いていた。
(言いたいことが顔に書いてあったのかな…。それを感じてくれた…とか)
メルヴィンの
メルヴィンの気持ちはとても嬉しかったが、メルヴィンはキュッリッキの過去を知らない。ベルトルドやアルカネットのように、全てを知った上で案じてくれているわけではないのだ。
今はきっと、少し気になっただけなのかもしれない。
自分の過去を打ち明ける勇気は出ない。まだそこまでメルヴィンを信用していないからだ。
だから全てを曝け出すことはできない。でもこうして真摯に心配してくれることは嬉しかった。
「おっはよー、キューリちゃん」
静まり返ったその場に、ルーファスの明るい声が割り込んできて、当人がにこやかな笑顔で登場した。
「おはようルーさん」
ベッドの傍らに立ったルーファスを見上げて、キュッリッキは目を丸くする。ルーファスは両腕に大量の雑誌を抱えているのだ。
「なあにそれ? ルーさん」
「えっへへーん。ベルトルド様が隠し持ってた、超豪華未修正エロ本ナンダヨネ~。これなかなか正規で流通してない秘蔵中の秘蔵本なんだよ。もう涎まくりで、オレの読書ライフに春が来たヨ」
優し気な甘いマスクが、光溢れる至福の笑顔である。
「ルーファスさん…」
「あ、メルヴィンも見る~? たまにはこういう高尚な芸術を読んで、見て、情緒豊かにならないと」
「い、いえ、オレは結構です…」
「そう? まあ興味が出たらテキトーに選んでネ。全部持ってこれないくらい、棚にギッシリ詰まっててサー。さっすがベルトルド様だよね。エロ本も質が高いんだから」
ソファにドッカリ座り、雑誌を広げ始めるルーファスの横で、フェンリルが首をかしげながら覗き込んでいた。
「フェンリルも興味あるのー? そうだよねー、フェンリルも男だよねえ。でもこれ雌犬の写真は載ってないからなあ。――これいいだろう、うんうん、たまらん」
一人愉しそうなルーファスを見て、メルヴィンとキュッリッキは疲れたように溜息をついていた。
昼間はメルヴィンとルーファスがそばにいるので、過去を思い出したり夢に見ることはなかった。気が紛れることもあるし、2人からライオン傭兵団の、これまでの活躍話を聞いたりしている。
しかし夜になって寝静まると、決まって過去のことを夢に見た。
「リッキーさん、リッキーさん」
アルカネットに起こされて、キュッリッキは目を覚ます。大きく見張った目から沢山の涙をポロポロと零し始めた。
「大丈夫ですか? ああ…泣かないでください、身体に障ります」
優しく労わるアルカネットの言葉に、キュッリッキはますます涙をこぼした。
「アタシ、アタシ、殺しちゃったの…殺しちゃったの…」
いきなりの告白に、アルカネットは僅かに目を見張る。
「殺さなかったら、アタシが殺されちゃってたもん。悪いことだけど、悪くないんだもん」
「ああ、リッキーは悪くないぞ。仕事でしたことだ」
目を覚ましたベルトルドは上半身を起こし、キュッリッキの額に優しくキスをした。
「こんなに苦しんで、頑張ったな。偉いそ、リッキー」
「うん…」
しゃくり上げながら頷き、キュッリッキは目を閉じスッと眠りについた。
「リッキーが初めて人を殺めたときのことだな。傭兵と認められて、正式にギルドから受けた最初の仕事だ」
「そうですか…」
アルカネットは沈痛な面持ちでキュッリッキを見つめ、頭をそっと何度も撫でた。
ベルトルドはキュッリッキの寝顔を見つめながら、今しがた見ていた夢を思い起こす。
キュッリッキが直接相手を刺したりしたわけじゃない。大きな狼の姿に戻ったフェンリルが、幼いキュッリッキの目の前でターゲットを噛み殺した。
喉を噛み切られ、血飛沫を撒き散らしながら倒れるターゲット。それを凍ったように見つめる、小さな幼い姿のキュッリッキ。
「これは、お仕事だから」
まだ幼いキュッリッキは何度も胸の中で呟いていた。そして自分の掌が血で真っ赤に染まっている悪夢にうなされながら、いつまでも涙を流し続けた。
怖くて怖くて震えているのに、彼女の傍には抱きしめて慰めてくれる大人などいない。
キュッリッキが何に苦しんでいるか、どんな過去を生きてきたのかを知るために、ベルトルドは
何も知らずに慰めるのでは、本当の意味での慰めにはならない。上辺だけの優しさなど、今のキュッリッキには逆効果にしかならないからだ。
だからといって、勝手に覗き見していい理由にはならない。そんなことはベルトルド自身百も承知の上だ。それでもキュッリッキの心を救うため、止めるつもりはない。
「リッキーを傭兵にするように仕向けたのは、そこのフェンリルだ」
ベルトルドは顎でフェンリルを指す。
ソファに置かれた青い天鵞絨張りのクッションの上に寝そべり、水色の瞳をキュッリッキに向けている。透明で宝石のような瞳からは、なんの感情も伺えなかった。
「リッキーが一人でも生きていけるように」
傭兵は誰でもなれる職業の一つだ。
肩書きを持てるようになるには、傭兵ギルドの承認が必要になる。ギルドに登録し、承認されて初めて傭兵を名乗れるのだ。
そのための段取りに必要なものを、キュッリッキは何一つ持たなかった。だから実力を示し続けることで、傭兵ギルドに認めさせたのだ。異例の方法で承認された傭兵は数多くいるが、キュッリッキの取った行動は、あまり例がないと言われている。
「傭兵ギルドに認められない者が、傭兵を名乗ることはできない。名乗ったところで犯罪者と同等とみなされ、傭兵ギルドの執行人に殺されるのがオチだ。幼い子供がギルドに認められるのは、大変な努力と苦労があっただろう」
「ええ、そうでしょうね。でも何故そんな危険な世界へと導いたのです、フェンリルは」
「流石にそれは俺にも判らんが、出自が問われないことがひとつ、獣の本性…いや、本能かな? みたいなものがあったんじゃないかな」
「獣の?」
「動物たちの世界はシンプルだ。生きるために獲物を狩る。狩るための方法を学ぶ。人間の世界では食べ物を得るための方法として、金銭を払う。そのための金銭は働いて稼ぐ。窃盗を教えなかっただけ、はるかにマシだがな」
ベルトルドは苦笑をにじませ、瞬きもしないフェンリルを見た。
「どこかの施設に預けず、フェンリルが面倒を見ながら傭兵としての道を歩ませていたのだから、あまり外れた想像ではなかろう」
アイオン族の修道院でキュッリッキが受けていた過酷な仕打ちを思えば、フェンリルが人間を信用できないでいたのも仕方のないことだ。そしてキュッリッキが言うように、フェンリルが神であれば、人間のようには考えないだろうとベルトルドは思った。
人間と神は違うものだ。同じ状況でも全く違う考えや行動に出てもおかしくはない。高次元の存在の考えなど人間には及びもしない。感覚だって違うだろう。
だからフェンリルの胸中をいくら想像しても、詮無いことだとベルトルドは納得していた。
「ベルトルド様」
「ん?」
「毎日こういう状況が続くなら、寝不足で身体への負担も増大するでしょう。仕事量も増えていますし、ご自分の部屋でおやすみになったほうがいいのでは」
真面目な表情で言うアルカネットの顔を、ベルトルドはジーッと見つめ、思いっきり顔をしかめた。
「イ・ヤ・ダっ」
「ちっ」
「何が”ちっ”だっ! たわけ!!」
ガルルルッと噛み付きそうな顔で睨んでくるベルトルドを、アルカネットは寝たふりでスルーした。
* * *
ナルバ山の遺跡で瀕死の重傷を負ったキュッリッキが、ベルトルド邸に運ばれて1週間が経っていた。
最初はどうなるかと、使用人たちを含めメルヴィンやルーファスを心配させた。しかし少量だが食事も摂るようになり、傷の治りも良いとヴィヒトリ医師が太鼓判を押してくれていた。
眠るキュッリッキの様子を見て、メルヴィンは表情を曇らせた。このところ、毎日のように表情には雲が湧いてしまう。
「なんだか、日に日に元気が薄れていっている気がします…」
ひっそりと呟き、肩で溜息をついた。
いつも泣き腫らした顔をしていて、疲労感を漂わせ、明らかに精彩を欠いている。傷は治ってきているというが、状態は悪化しているようにすら見えてしまうのだ。
「ん」
メルヴィンはふと視線をずらすと、枕元に一輪の花があるのに気づいた。鈴蘭を大きくしたような形をした花だ。
「ルーファスさんが置いたんですか?」
つまむ様に持った花をルーファスに見せると、ルーファスは小さく首をかしげて否定した。
「いんや、オレじゃないよ~」
「…そうですか。じゃあ、ヴィヒトリ先生かな」
「なのかなあ? まあなんにせよ、花瓶に活けてあげないと枯れちゃうね」
「そうですね。ちょっと一輪挿しの花瓶がないか、聞いてきます」
「いってらあ」
メルヴィンは立ち上がると、花をつまんだまま部屋を出て行った。
雑誌から顔を上げると、ルーファスは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。
「生真面目さにいっそう磨きがかかっちゃったなあ。でも、ちょっとだけ変わったかな、メルヴィン」
真面目と誠実の塊のような男だが、融通が利かない堅物だ。優しいし思いやりもあるが、相手が重く感じてしまうほど真摯過ぎるところがある。
最近それがほんのちょっと緩和してきたようにルーファスは感じていた。その証拠に、キュッリッキが随分と打ち解けてきているのだ。ただし、真摯すぎるところに若干キュッリッキが困っているようにも感じられた。
「困るより慣れろだな。慣れ慣れ」
無責任なことを面白そうに呟く。
メルヴィンとの付き合いはもう5年ほどになるが、初めて見られる傾向だった。
「キューリちゃんのおかげかな?」
スヤスヤと眠るキュッリッキを見て、ルーファスは兄貴っぽい笑みを浮かべた。
* * *
「今帰ったぞー!」
バンッとドアを観音開きにして、ベルトルドが元気よく姿を現した。帰宅してくるにはまだ早い、夕刻の17時を回ったところである。
「おかえりなさい」
メルヴィンとルーファスが腰を浮かせながら、口を揃えて出迎えた。
2人には適当に手をヒラヒラ振って、ベルトルドはスタスタとベッドに足早に寄る。
「ただいまリッキー」
「おかえりなさい、ベルトルドさん」
キュッリッキは僅かに目を見張って迎えると、にっこりと笑った。
「今日は早いんだね」
「うん。リッキーとたくさん話がしたくて、急いで帰ってきたんだ」
ベルトルドはキュッリッキの額や頬にキスの雨を降らせながら、少年のような満面の笑みを向ける。
「帰宅は夜更けが多いから、あまり話す時間もないしな」
そう言って顔を上げると、いまだ立ちすくすメルヴィンとルーファスに、ムスッとした視線を投げ飛ばした。
「もういいから、貴様らはあっちイケっ。シッ、シッ」
2人は顔を見合わせ肩をすくめると、小さく頷いた。
「では、オレたち部屋に戻りますね。また明日、リッキーさん」
「まったね、キューリちゃん」
「うん、またね」
退室していく2人を見ながら、ベルトルドはフンッと鼻を鳴らす。
「気のきかない奴らだな、まったく」
まだ着替えも済んでいないが、ベルトルドはキュッリッキの左側に寝転がり、肘枕をしてキュッリッキのほうに身体を向けた。
「アルカネットの奴はまだ帰ってこれないから、リッキーを独り占め出来るゾ」
フフンッと悪巧みをしているような笑みを浮かべるベルトルドに、キュッリッキは苦笑する。
ベルトルドとアルカネットは、普段は主従のような体裁を取っているが、実際はもっと同等のような感じなのだ。不思議な関係、とキュッリッキは常々思っていた。
「ねえベルトルドさん、アタシとなんのお話をするの?」
ベルトルドのほうへ顔を向け、困ったように言う。いきなり話をしようと言われても、何を話せば良いのか判らない。
「俺に聞いて欲しいことでも、聞いてみたいことでも、なんでも構わんぞ」
優しく微笑むベルトルドの顔を見つめ、少し考え込んだ。
「うんと…」
やや言いづらそうに発して、視線を泳がせる。
「あのね、毎日メルヴィンが、いっぱい心配してくれるの」
「うん」
「アタシがいつも、泣いたあとの顔をしているから、どうしたのって聞いてくるのね」
「うん」
「メルヴィンが興味本位で聞いてきてるわけじゃないのは、アタシも判るの。すごく心配してくれてるって感じるから。だから、理由を話さなきゃって思うんだけど…。でも、話したくないのね…」
夜中に辛い思い出を夢に見たり、思い出して荒れているコトなどを話せば、自分の過去についても話さなくてはいけなくなるだろう。それを思うと心が重くなって、話すことができない。
「ヤレヤレ、相変わらず直情過ぎるな、メルヴィンの奴」
今のキュッリッキに直球は酷である。変化球を投げられても困るが、メルヴィンの青臭すぎる一面に呆れるベルトルドだった。
「アイツはせっかちだからなあ。相手を思ってのことでも、時に逆効果にしかなっていない。リッキーをこんなに困らせてしょうのない」
明かりに照らされる濃淡に輝く金色の髪を撫でながら、ベルトルドは苦笑を浮かべた。
「でもね、何時か話さなきゃいけない時がくると思うの。あんなにいっぱい心配してくれるから。だけど、打ち明ける勇気が出ないの」
美しい顔を悲しさに沈める少女の頬に、ベルトルドはそっと触れた。
「確かにアイツは真面目に心配しているだろう。だが、無理に話す必要はないぞ。まだまだリッキーの心の傷は癒えてない。それを自ら抉り出すようなコトは、絶対にしちゃダメだよ。今話したところで、アイツでは支えきれないし、その覚悟も出来てないからな」
「うん…」
「話さなくてはならない、そうリッキーが思うのなら、いつか話してやればいい。少なくとも今じゃない。誰だって心の中の問題を打ち明けるのは勇気がいる。だから心の整理がついて、話せると確信した時に、話してやればイイ」
「うん、そうだね」
たとえメルヴィンが真摯に向き合おうとしてくれていても、話す勇気は出ない。ベルトルドとアルカネットにも、自分の口からはまだまだ少しずつしか話せていないのだ。
片翼であること、それによって両親から捨てられたこと。迫害を受け続けてきたことなど、思い起こすと涙が溢れて止まらない。
この1週間夢に見て思い出し、ベルトルドとアルカネットに感情をぶつけ続けている。泣き喚き、怒り任せに暴言を吐きつけたりしていた。そのせいか、ほんのちょっぴり心が軽くなった気がしている。
それこそがベルトルドの狙いであることを、キュッリッキは知らなかった。
キュッリッキの頬を優しく撫でながら、ベルトルドは「あっ」と小さく声を上げた。
「そういえばリッキー、何か、やりたいことはないのかな?」
「やりたい、こと?」
目をぱちくりさせてベルトルドを見つめる。
「うん。趣味とか、習い事でもスポーツでも。やってみたいものはあるかな?」
この世界の人間には、
スポーツも
「うんと、勉強がしたい、かも」
はにかみながら、キュッリッキはポツリと囁くように言った。
「アタシ、学校って行ったことないでしょ。簡単な読み書きとか計算はフェンリルが教えてくれたけど、学校で教わるようなコト、何にも知らないの。傭兵だから知らなくても困らなかったけど、ホントは色んなこと勉強してみたいな~って、ずっと思ってた」
心の隅で、ずっと思っていたことだ。
「そうかそうか」
(当たり前のことを当たり前として学びに行けなかったのは、さぞ辛かったことだろう)
素朴で素直なキュッリッキの気持ちがグッと心を鷲掴んで、ベルトルドはたまらずキュッリッキを抱きしめた。
「ああ、可愛いぞ俺のリッキー!」
「イッたあああいっ」
「おっと、スマン!」
抱きしめられた衝撃が思いっきり傷口に響いて、キュッリッキは涙を滲ませ悲鳴を上げた。
「何をしているんですか私がいない間に!!」
そこへ血相を変えたアルカネットがすっ飛んできて、ベルトルドの胸ぐらを掴んで前後に揺さぶった。
「早く帰ってきているかと思えば、リッキーさんに何てことをしてくれてるんですか!」
「だ、だって、可愛いから、ついだな」
「美しくて可愛いのは当たり前でしょうが!」
激昂するアルカネットを見上げて、キュッリッキは小さい溜息をコッソリとつく。そして時計を見ると、針はそろそろ19時を指そうとしていた。
(アルカネットさんも、今日は帰ってくるの早いんだあ)
「それにしても、お前も随分と帰りが早いじゃなか」
「あなたが速攻帰ったとリュリュから聞いたのですよ。なんだか体調が悪そうに見えたとかで? ただの仮病のようですね」
「リッキーの顔を見たら、治ってしまったんだ」
「忌々しいほど都合のいい不調のようですね。なら、自室でゆっくりとお休みくださいな。お姫様抱っこで運んで差し上げます」
「……男がお姫様抱っこされて嬉しいと思うのか? お前は…」
「俵抱っこでもいいですよ?」
「抱っこの発想から脱出せい」
「では、引きずっていきましょうか」
「全部却下!」
ベルトルドが喚いたところで、開けっ放しのドアがノックされて、恐る恐るセヴェリが顔を出した。
「旦那様方、お食事の用意が整いました。お戻りが早かったので、少し早めに整えてございます」
「ああ、俺の分はここに運んでくれ」
「私の分も、ここにお願いします」
「はあ?」
「リッキーもこれからだろう。一緒に食べような」
「今日は私が、食べさせて差し上げますからね」
ベルトルドとアルカネットに嬉しそうに迫られて、キュッリッキは引きつった笑みを返すので精一杯だった。