平静を装いながらも、重苦しい日々を過ごすこと数週間。
寒さが一気に増し、領主室からは真っ白になった山脈が見えた。
「さあ、行くわよ」
数人の護衛と侍女エマを引き連れて、シルヴィアは定期訪問している神殿へと馬車で向かう。
数年間つづけている治癒魔法による慈善活動。領内においてシルヴィアの人気は、領主にして元プロキリア王国軍総帥・英雄マクシムに匹敵する。
レグルス辺境領の北西にある神殿には、シルヴィアの治癒魔法を受けるため、今日も多くの病人や怪我人が集まっていた。
朝からはじまった治癒は、午後三時を過ぎたころに終わった。
「シルヴィア様、いつもありがとうございます」
「来月には雪が降りはじめるから、次の訪問は春先を予定しているけど、何かあったときはバイロン城に連絡をくださいね」
神官たちに見送られながら、領民たちからの大量の感謝の品々を馬車の荷台に積んで神殿をあとにしたシルヴィアは、
「山沿いの道の状況を確認したいから、帰りは北側を通って」
あえて遠回りとなる山沿いの道で帰るように指示する。
騎乗する護衛に前後を挟まれながら、シルヴィアとエマを乗せた馬車が紅葉が終わりに近い森の街道をすすんでいたときだった。
護衛のひとりが、外から声をかけてきた。
「シルヴィアお嬢様、前方に人が倒れています。おそらく、兵士か……騎士と思われます」
──ついに、きた。
負傷したエルディオンと第一騎士団が山岳地帯を逃れ、レグルス辺境領内へと足を踏み入れたのだ。
逆行転生した子孫シルヴィアの『不遇の王子様・救済作戦』が、いよいよ始動する。
「すぐに助けてあげて」
素早くシルヴィアは、馬車から降りた。
「お嬢様、危険です」
心配するエマに「大丈夫」と片手をあげて応え、冬が間近に迫る冷たい空気を吸い込んだ。森から漂ってくるのは、血のにおい。
そう遠くない場所に、騎士団は隠れているはずだ。
血の匂いを嗅ぎつけた獣たちが集まってくる前に、負傷した彼らをバイロン城に迎え入れることが、『不遇の星の王子様・救済作戦』の第一歩となる。
街道に倒れていた騎士を助けおこした護衛が、報告にやってきた。
「シルヴィアお嬢様、倒れていたのは王国第一騎士団の騎士で、すぐ近くの洞窟に、多数の負傷者がいるとのこと。我々に救護を求めています」
「おそらく、泉の洞窟だわ。城から応援を呼んできて」
負傷した騎士を馬車に運び、御者とエマ、護衛をひとり残して、シルヴィアは残りの護衛と枯葉の落ちる森に入った。
5分ほど進むと泉があり、そこには身を隠すのにちょうどいい洞窟がある。近づくにつれ血臭は濃くなり、洞窟前にある木々には、数頭の馬が繋がれていた。
洞窟の入口より一定の距離を保ち、護衛が声をかける。
「我々は、レグルス辺境伯領バイロン騎士隊だ。さきほど、街道に倒れていた貴団の騎士より、救護要請を受けてきた。確認してくれ」
そう云って、レグルス辺境領バイロン家の紋章を洞窟に向かって投げる。
しばらくして呼吸を荒くした血まみれの騎士が周囲を警戒しながら現れて、シルヴィアと護衛を確認すると剣を鞘におさめて膝をついた。
「……頼む。殿下を……どうか、エルディオン殿下だけでも助けてくれ……」
上半身を屈める騎士のそばに、シルヴィアは膝をつく。
「レグルス辺境伯マクシム・バイロンの娘、シルヴィア・バイロンと申します。少し手に触れますが、よろしいですか」
顔の半分を血に染めた騎士が、コクリと頷くのを確認したシルヴィアは、傷だらけの手をとり、治癒魔法をかける。
シルヴィアから溢れはじめた光が、指先から上腕の裂傷を癒していくのを見た騎士は、
「痛みが消えて……傷が! これは、光の魔力……あなたは、治癒魔法が使えるのですか……これは奇跡だ」
目に涙を浮かべた。
転生してからの数週間、祖先の『自叙伝』だけでは心許なかったシルヴィアは、バイロン城の書庫にこもって魔法についての書物も数多く読んでいた。
そこでより詳しく、学術的に魔法を理解したところによると、光属性の魔力には通常、体力を回復させ、痛みを取り除く鎮静作用がある。
そのため、戦場ではとくに重宝される属性なのだが、その数は圧倒的に少なかった。同じく稀少とされる闇属性ですら10パーセントあるというのに、光属性にいたっては、魔力保有者全体の5パーセントにも満たない。
さらに才能を開花させたシルヴィアのように、類まれな魔力操作、制御によって皮膚を再生させ、外傷を癒し、毒などに侵された体内組織を正常化できる治癒魔法を行使できるのは、現在、大陸でもわずか数人。
実際、祖先シルヴィアであっても、皮膚の再生が可能になったのは、30歳を過ぎたあたりだと『自叙伝』には記されていた。
しかし、転生したシルヴィアには、魔力の操作、制御の極みに到達した晩年の祖先シルヴィアから贈られた金の腕輪がある。つまり、若干18歳にして最高峰の治癒魔法を、すでに手に入れているのである。
洞窟内にどれだけの重傷者がいるか不明の今、魔力のペース配分は非常に重要になってくる。
神殿での奉仕活動で倒れた祖先のようにオーバーワークにならないように、目の前にいる騎士の治癒を最小限の止血と鎮痛に留め、シルヴィアは立ち上がった。
「エルディオン殿下のもとに、案内してもえますか」