未來が顔を上げると、瑞葉が公園の入口に立っていた。
「みっちゃん!」
なぜかやってこない瑞葉に駆け寄り、声をかける。
笑顔の未來を、瑞葉は混乱しきった顔で見た。
「何でアヤツもいるの? え、そんなに仲良し?」
アヤツというのは、当然煌綺のことだろう。
「え、あ、ちょっと相談してた流れで」
焦ったような、ごまかすような声を出した未來に「相談?」と、瑞葉が不思議そうに尋ねる。
そんな二人の横を、ポケットに手を入れた煌綺が通った。
「コンビニ行ってくる」
「あ、行ってらっしゃい」
反射的に返す未來。
「はあ?」
疑問符に囲まれていそうな、瑞葉の声が聞こえた。
※
未來は瑞葉と並んで、公園のベンチに腰を下ろした。
「びっくりしたよ。いきなり来いなんて珍しいから」
「ごめん。どうしてもすぐに伝えたほうがいいって思って」
「篠川煌綺のこと?」
瑞葉は首を傾げた。
「ええと……みっちゃんのこと」
どう切り出していいのかわからず、迷いながら、未來は言った。
少しだけうつむいた上目遣い。
「あたし?」
瑞葉はますます不思議そうに、未來を見た。
「その、ええと……」
未來は右下に目線を逸らした。
伝えなくてはと思っても、いざ説明しようとすると、やはり難しい。
順序や、言い回しや、言葉や、何か一つを間違えてしまうだけで、瑞葉に信じてもらえないかもしれないのだ。
それも問題ではあるが、万が一にも、瑞葉を傷つけてしまう可能性だってある。
「あの……その……」
暗い顔で言いよどむ未來に、瑞葉はぐっと身を引いた。
「え? 何? やめて!! めっちゃ怖い!」
「こ、怖くない! 多分!」
「多分って何!?」
瑞葉は大きな声を出した。
このままでは、瑞葉をより混乱させるだけだ。
未來は思い切って、口を開いた。
「あ、あのね、えっと……み、みっちゃん、インターハイ目指してるんだよね?」
きっかけになりそうな話題と思って選んだ質問が、正解だったようだ。
瑞葉はすぐに落ち着き、いつもと同じ笑顔を見せた。
「うん、今年こそ頑張るんだ」
凛々しく上がった口角と、きりりとした決意の眼差しが眩しい。
いっそ眩しすぎて、未來はうつむいた。
頭の中に、階段から転げ落ちた瑞葉の姿が蘇る。
左の足首を抱え、苦痛に顔を歪めた瑞葉の。
あの夢は、あの怪我は、絶対に、あってはいけない。
だが本当に、どこから伝えたらいいのだろうか。
予知夢が見られることなんて、親友の瑞葉でも信じてくれないだろう。
それに夢に出てきたあの男女は、いったいどこの誰で、瑞葉とどんな関係なのか。
浮気、失恋、不倫と言った煌綺の憶測が、当たっているかいないかもわからないから、うかつに質問もできやしない。
「ミライ?」
瑞葉に呼ばれ、未來はおずおずと視線を上げた。
なにかを話さなければ、不安は募るばかりだ。
未來は自信のないまま、瑞葉に聞いた。
「す、好きな人? いる?」
「は?」
返事は反射のように素早くて。
「……ごめん」
未來は瞬時に謝った。
失恋とかやっぱり違ったんだ。
質問もおかしかったんだ。
だからみっちゃんはすぐに反応して――。
と、思っていたら。
なんと瑞葉は、嬉しそうに顔を輝かせた。
「え、何? 恋バナ!? 珍しいねぇ! 相手はあの篠川煌綺かな?」
ニコニコ顔で飛びついてきた瑞葉を前に、未來は慌てて、胸の前で手を振った。
「えっ、違う違う! みっちゃんの話!」
「え〜、何であたしの話なの」
瑞葉は残念そうな顔をした。
一方で、未來は握った両手を体の前で上下に振って、一生懸命に訴える。
「みっちゃんの好きな人がいるか知りたいの!!」
「いるけどさあ……」
瑞葉は納得いかない表情で呟いた。
未來の心臓がドキリと跳ねる。
やっぱり、いるんだ。あの人なんだ。
それなら、あの女の人は……。
確認、しないといけない。
そう思ったから、未來は聞いた。
ありえないほど、まっすぐに。
「その、その人、彼女いるの?」
「え……?」
直後、瑞葉の空気が変わったのがわかった。
もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いたのかもしれないと、未來は下を向く。
なにか取り繕う言葉を、と必死に考えていると。
「ごめん」
いつもより低い、瑞葉の声が聞こえた。
「ちゃんと説明してほしいかも」
未來を見る瑞葉の目は、これまでに見たことがないほど真剣だった。
その表情で、未來は思った。
もう、最初から全部話していくしかないのだと。
瑞葉を傷つける発言をしたであろうことを猛省し、未來は口を開いた。
「……あのね、私、予知夢が見れるの」
「はい?」
これまでの緊張とは一変、瑞葉はひっくり返ったような声を上げた。
やっぱり、いきなり信じてもらうのは難しい。
それでも信じてもらおうと、未來は、見たいものが見れるわけではないことを話した。
瑞葉は黙って、未來を見ている。
その落ち着いた様子に、未來もまた、心が凪いでくるのがわかった。
だが、次はいよいよ本題だ。
未來は緊張した声で言った。
「その夢でね、今朝、みっちゃんが出てきたの」
瑞葉が驚いた顔をした。
その目は「あたし!?」と言っているかのようだ。
「大人の男の人と、女の人が歩いてて、みっちゃん、走り出して」
うまく説明できているだろうかと思いながら、未來は話し続けた。
先ほど驚いた瑞葉は、今は神妙な顔で、未來の言葉に耳を傾けている。
「階段、踏み外して、骨折して……」
語るうち、未來は悲しい気持ちになってきた。
だってこれは、絶対にあってはならない結末なのだ。
だが、話はここで終わり。
これより先に続くものはなく、二人の間に、声もない。
何も言わない瑞葉の反応が恐ろしく、未來は作り笑いで顔を上げた。
「し、信じるわけ、ないよね」
いっそ、この場から逃げ出したい。
そんな心情だった。
しかし、やっとの思いで口にした言葉にも、瑞葉は反応を示さない。
「ごめん、やっぱり……」
未來はうつむいた。
重い気持ちに潰されそうになりながら、両手をベンチの上に置く。
だが、そこで瑞葉が口を開いた。
「別に、信じてもいいよ?」
「え?」
あまりにあっさり明るい声に、未來は驚き顔を上げた。
「そんなウソついても、ミライに何の得もないもんね」
瑞葉は少し考えるように言った。
確かに、瑞葉の言う通りだ。
でも、そんなふうに言ってもらえるなんて。
こんなにすぐに、信じてもらえるなんて。
驚く未來を、瑞葉は見つめる。
「だってもしこれが嘘だとしたら、今までのミライが全部嘘ってことじゃん。そこまでして騙されたなら、もうお手上げだけどね。あたしは、ミライがそんなウソつく人だとは思わない」
まっすぐな言葉だった。
未來にとっては、何よりも嬉しい言葉。
しかし同時に、未來に自省を促す言葉でもあった。
なにせ未來は、こんなにも未來を信じてくれている瑞葉を疑っていたのだ。
予知夢の話なんて、信じてもらえないかもしれないと。
「信じるよ。ミライの話。言ってくれて、ありがとう」
瑞葉は、健やかに微笑んだ。
「みっちゃん……」
本当に、瑞葉は優しくて、強くて、かっこいいと、未來の胸が熱くなる。
瑞葉のほうは、既に気持ちを切り替えたらしい。
「で。要は、あたしが先に先生に確認しとけば良いんだよね」
「う、うん、多分……?」
きっぱり聞かれ、未來は曖昧に答えた。
正直、瑞葉に伝えることに気を取られていて、その後の行動まで考えていなかったのだ。
「良い機会かもだし、聞いてみるよ。考えてみたら聞いたことないし」
瑞葉は腕を組み、夜空を見上げた。
その横顔を、未來は見つめる。
凛とした眼差しが震えたと思ってすぐ。
瑞葉は、未來を振り向き、言った。
「でも、もし、もし彼女がいるって言われたら。そしてそれを目撃したら」
次第に弱まり、震える声。
「あたし多分、同じことになるかもしれない、けど」
瑞葉は、未來の右手を、ぎゅっと握った。
「そのときは、そばにいて!」
瑞葉の瞳は、大きすぎる不安に揺れていた。
今にも泣きだしそうな親友の手を、未來は両手で握り返す。
「もちろん……!」
初めて見る、瑞葉の姿。
でもこれもまた瑞葉なのだ。
彼女が笑顔になるためならば、どんなことでもしたいと、このとき未來は強く思った。
※
ベンチから立ち上がった瑞葉が、スマホで連絡をとっている。
相手は『先生』なのだろう。
会話の内容は未來には聞こえなかったし、聞こうとも思わなかった。
だが、緊張に硬くなっていた瑞葉の背中が、だんだんと柔らかく解れていく様子に、嬉しそうに弾んだ声に、未來の心も和らいでいく。
それでも未來は瑞葉の話が終わるまで、その背中をずっと見守っていた。
※
「ど、どうだった?」
通話の後、立ち上がり尋ねた未來に、瑞葉は満面の笑みで振り返った。
「ないって! 彼女でも好きな人でもないって! 友達でしかないって!」
言いながら、感極まったように抱き着いてくる瑞葉。
「よかった……!」
勢いに押され、未來はベンチに腰を下ろした。
そのまま瑞葉の背に腕を回し抱き返そうとして――。
気づいた。
瑞葉の手が、震えていることに。
※
その後、二人はまた並んでベンチに座った。
「でも、びっくりした」
「え?」
未來の言葉に、瑞葉が振り向く。
「みっちゃんの知らないところ見た感じで」
そう伝えた未來に、瑞葉はふっと微笑んだ。
「ミライ、好きな人いる?」
優しい声だった。
「……いたことない」
首を振りながら、未來は答える。
未來は、人を好きだという気持ちはわかっても、恋愛感情というものがわからなかった。
全員平等に好きで、特別を感じたことがないのだ。
「じゃあ、そのうちわかるよ」
「え?」
わかる予感なんてまるでないのに、瑞葉には何が見えているのだろう。
未來には想像もつかない――が。
「恋ってね、人を変えるんだよ」
そう言って空を見上げる瑞葉の顔は、とても綺麗だった。
人を変えるという恋が、こうした表情を生み出すのだろうか。
「毎日キラキラわくわくドキドキってね!」
瑞葉が立ち上がる。
まっすぐに伸びた背中も、未來を振り返ったときの微笑みも、とてもとても、瑞葉らしい。
その同じ『らしさ』で、彼女は言う。
「まあ、また今度教えてあげるよ!」
「え!? 何で今じゃないの!?」
そんなもったいぶらなくても! と、未來は抗議の声を上げた。
しかし瑞葉は、
「篠川煌綺、待ってるんじゃないの?」
「あ!」
未來は勢いよく立ち上がった。
「ここまでわざわざついてきたのに、あたしとの話のために移動してくれたんでしょ? 優しいじゃんあいつ」
「うん、多分、そうなんだと思う」
うつむき微笑み、未來は答えた。
その間、思い返すのは、過去から今に続く時間。
「迎えに行ってあげな! あたし帰るから!」
「うん、わかった。ありがとう」
じゃあねと手を振る瑞葉は、本当にいつもと同じ、元気いっぱいの姿で。
未來はとても、安心したのだった。
※
二十時二十六分。
未來がやっと向かったコンビニの前に、煌綺は立っていた。
「遅え」
「ご、ごめん」
待たせたことを忘れていた手前謝れば、煌綺は気にも留めていない様子で「終わったのかよ」と聞いてくる。
「うん。全部話して、信じてくれた」
「そーかよ。んじゃあ、帰るぞ」
いつもの声、いつもの言い方で言い、煌綺はパーカーのポケットから取り出したものを、未來に向けて放り投げてきた。
「わ!! え!?」
慌てて両手で、キャッチする。
なにかと思えば、それは小さなペットボトルのウーロン茶だった。
小さい頃から、未來がよく飲んでいたメーカーのものだ。
なんで? と思いつつ見ていれば。
「置いてくぞ」
止まったままの未來に、振り返った煌綺が告げる。
「あ、待って待ってー!!!」
きらきらと。
わくわくと。
どきどきが。
胸の中に満ちていく。
「ねえねえ、自分の買ってないの?」
後ろ手に、ペットボトルを握った未來が問えば、
「るせーな。全部飲んだんだよ」
隣を見ずに、いや、むしろ目を逸らして、煌綺は言った。
「ふふ、そっかー」
「んだよ」
「ふふふふ、別に」
全部わかるのは、未來にはきっとまだ早い話。
だけど。
『ミライは、子供だね』
瑞葉が言ったあの言葉の意味は少しだけわかったかもと、未來は思った。
※
それから二日後、未來と煌綺の登校時刻。
「見ちゃった」
教室入口の扉前に、瑞葉が立っていた。
「え?」
未來と煌綺は、ぽかんと瑞葉を見た。
どうしてこんな早くにみっちゃんが? と、何を見たの? が混じり合う。
が、次の瞬間、瑞葉は堰を切ったように話し始めた。
「マジで見ちゃったよ……! 今朝! センセーが女の人と二人で歩いてるの!! ミライすごいね!?」
どうやら、今日が予知夢の日だったようだ。
聞けば瑞葉は、朝練参加のための早朝登校中に、二人を見かけたらしかった。
「知らなかったらホントにショック受けてたと思う! ミライのおかげで耐えられた! ありがとう!!」
瑞葉はいつものように、ニッコリと微笑んだ。
しかも「直接言いたくて、待ってた」と言うものだから、未來の心は喜びと驚きでいっぱいだ。
なにせ未來は、自分で選んだことで人に感謝されるのは初めてなのである。
もちろん、こうして想いを伝えてもらうことも。
「ううん! みっちゃんが無事で、よかった!」
心の底から微笑む未來に、瑞葉が「ありがと!」と抱き着いた。
よかったよかったと、ひたすらに思いながら、未來は瑞葉を抱きしめる。
もう瑞葉は震えていない。
それが、なによりも嬉しかった。
だが話はここでは終わらない。
「篠川煌綺!」
そう呼んだ瑞葉が、後ろの入口に向かう煌綺のほうへすたすたと歩いて行ったのだ。
「あ?」
立ち止まり、煌綺が振り向く。
と、彼の隣に並んだ瑞葉が。
「ミライのこと、よろしく頼んだ!」
「ああ?」
昨日の二人の話を知らない煌綺は、不思議そうに声を上げた。
が、未來も同じ気持ちだった。
そもそも二人は、これまで交流があったのだろうか?
そんなことを考えながら、未來は、親友と幼馴染が未來にはわからない話をする様子を見守っていた。
少しだけ未来が変わった。
そう、思いながら。