第34話信長、池田屋から帰還する

 沖田と藤堂、二人が選択した槍への対策は異なっていた。

 まず沖田は囲まれぬように走りながら志士たちに斬りかかる。

 得物が長いということは小回りが利かないということである。

 当然、素早く動ける刀のほうが対応できた。


 一方、藤堂の取った戦法は室内に戻ることだった。

 これも同様に室内ならば槍は突くことしかできず、それしかできないと分かれば懐に入って斬ることも可能だ。二人は長年の付き合いから打ち合わせも無く、各々の行動を取ることができた。


 結果として――二人は絶体絶命の状況から逸することができた。

 藤堂が三人目の志士を斬り倒したとき、奥の間から永倉が息を切らしてやってきた。


「永倉さん! 大丈夫ですか!?」

「平助か。多少やられたが……何の心配もない。むしろ刀のほうがボロボロになった」


 戦場だと言うのに安堵してしまったのは無理もない。

 互いに達人と認めているからだ。

 藤堂は「沖田さんは大丈夫だと思いますが」と言う。


「中庭から裏手に回られたら逃がすこととなります。ここは死守するしかありません」

「そうだな……俺は少し周りを見てくる。警戒を怠るなよ」


 永倉が襖を開けて廊下を探索する。

 藤堂は忠告されたものの、先ほどから鉢金はちかね――額を守る防具から汗が流れ出るのが気になっていた。もしも斬り合いのときに汗が目に入ったらと考えると拭きたくなる。

 彼は一度鉢金を外して、持っていた手拭いで汗を――


「しゃああああああ!」


 部屋の押し入れに隠れていた志士が突如、勢いよく出て藤堂に斬りかかる!

 とっさに身体を反らしたものの、刀の切っ先が露わになった額を斬ってしまう。


「ぎゃ!」


 短い悲鳴を上げた藤堂。

 他に隠れていた志士たちはこれを好機と一斉に中庭へ向かった。

 騒ぎを聞きつけた永倉が「平助!」と駆け寄る。


「はあっはあ、すみません。油断を……」

「後は任せろ。とりあえず、そこに隠れておけ」


 志士たちが隠れていた押し入れに藤堂を隠す永倉。

 しかしもたついてしまったのは否めない。

 急いで中庭に飛び出し、そのまま裏手に向かう――


「安藤、新田、奥沢! 無事か――」


 裏手の門を蹴破った永倉は見た。

 数人の志士たちの死体と。

 名を呼んだ三人の隊士たちの倒れた様を――


「――すまない」


 そう呟くことしか、永倉にはできなかった。



◆◇◆◇



 沖田は志士たちを全員斬り倒し、一息ついていた。

 藤堂と違い油断もせず、警戒し続けていたが――喉が渇いてしまった。

 おそらく熱中症になる直前だった。

 隊士の中で一番、志士たちと戦い、動き回っているので当然だった。


「……水を飲んでから、加勢しよう」


 誰に言うまでも無く、そう呟きながら、沖田は台所へ向かって水瓶から水を飲んだ。

 一杯だけと思っていたが、二杯三杯と飲んでしまう。

 そこへ後ろから――


「うおおおおおお!」

「くっ――」


 吉田稔麿が槍で沖田を突く――沖田は刀を思わず横薙ぎしてしまった。

 槍は沖田に当たらなかったものの、勢いよく横に振ってしまったので、近くのかまどに当たり、刀が折れてしまった。無論、大勢の志士たちを斬ったせいもある。


「この――若造が!」


 吉田稔麿は沖田の腹を思いっきり蹴った。

 くの字に折れ曲がるほどの威力。

 壁にぶつかりそのままうずくまってしまう。


「うううう……」

「……これで終わりだ」


 吉田稔麿は槍を逆手に持ち、覆いかぶさるように沖田を――刺しに来た。

 沖田はもはやこれまでと覚悟を決めた。


「――ぐふう!?」


 吉田稔麿の苦悶の声。

 張り詰めた緊張で沖田には聞こえなかった。

 後ろからの一発の銃声。


「……沖田。危ういところであったな」


 信長が酷く冷たい目で吉田稔麿を睨みながら、沖田に呼びかける。

 吉田稔麿はふらふらと信長のほうへ寄る――沖田は床に転がっている折れた愛用の切っ先を見つけた。


「ああああああ!」


 低い姿勢からの刺突技――天然理心流の技だ――で背中から吉田稔麿を刺した沖田。

 大量の血が吉田稔麿から流れる。


「この、奸賊、め……」


 吉田稔麿はそう言い残してこの世を去った。

 信長は「少し休め」と沖田に言う。


「土方がやってきた。もう大丈夫だ」

「ノブさん……ちょっと寝ますね……」


 熱中症で限界だった沖田は、そのまま横になった。

 信長はそれを愛おしい目で見守った。



◆◇◆◇



 土方たちの到着で趨勢すうせいは決した。

 近藤は大声で「全員、捕縛せよ!」と指示を改めた。


「宮部鼎蔵。お前も大人しく捕まれ」


 三人の志士を斬り、宮部鼎蔵にも傷を負わせた、新選組局長――近藤勇。

 対して宮部鼎蔵は「ふざけるな」と言う。


「同志たちを殺されて、おめおめと捕まるか……!」

「…………」


 近藤は刀を構えた。


「貴様は、この国が存亡の危機にひんしていることを知らんのか! そのために我らが成そうとすることを理解せんのか!」

「……言いたいことはそれだけか?」


 あくまでも近藤は揺らがない。

 宮部鼎蔵は笑いながら「この国を変えたかった」と言う。


「よりよい国を作りたかった。そしてこの国を――守りたかった」

「…………」

「貴様には、その思いはないのか! 信念はないのか!」


 そこへ――信長と土方が現れた。

 土方が「近藤さん。手伝うか?」と訊ねた。


「いや。別にいい」

「ふひひひ。その者は大層なことを言っておるのう……冥途の土産に教えてやろうか」


 信長は宮部鼎蔵に言い放った。


「理想だけでは何も成せん。物事を思うがままにするには力が必要だ」

「…………」

「こうしておぬしが負けたのは単純に力がなかっただけだ。この国を思う気持ちなど関係ないわい」


 先ほどの近藤との問答と対照的に。

 宮部鼎蔵は何も言わなかった。


「さっさと捕まれ。おぬしは負けたのだ。その現実からは――逃れられん」

「……貴様が何者かは知らない」


 宮部鼎蔵はは刀を己の首筋に添えた。


「だがいつか私の理想が現実を超えていく。私の跡を受け継ぐ者が――日本を変える!」


 そして、一気に掻き切った――



◆◇◆◇



 池田屋の戦いは終わった。

 大物とされた吉田稔麿と宮部鼎蔵は死んだのだ。

 加勢に来た野老山と杉山も死んだ。

 志を持った多くの男たちも――死んだ。


 池田屋は酷い有様となった。

 襖や障子は破られ、天井や床は穴だらけ、壁一面に血飛沫が広がる廃墟と化した。


 新選組にも犠牲者が出た。

 裏手を守っていた安藤、新田、奥沢が重傷を負って息を引き取った。

 それでも新選組の勝利には違いない。

 彼らは多くの犠牲の上で――歴史に名を残した。


「旗を掲げよう。堂々と。新選組の凱旋がいせんと行こうじゃねえか」


 土方の提案で『誠』の字が書かれた隊旗が掲げられた。

 全員が意気揚々と池田屋から帰還した。

 怪我を負った藤堂と熱中症でふらふらな沖田も戸板で運ばれながら笑顔だった。


 その中でひと際目立ったのは信長だった。

 血に染まった姿を見せつけるように堂々と近藤の後ろを歩いた。

 まるで魔王のような振る舞いだった。


 彼らは自分たちを誇りに思っていた。

 不逞浪士から京を守った立役者――信じてならなかった。

 そして今、日本の歴史の上にいた。

 その自覚が彼らを大きく見せていた――


「なあ、トシ」

「どうした近藤さん」


 先頭を歩く二人は市中の者に畏れと憧れの視線を向けられながら会話していた。


「新選組は大きくなるぞ」

「ああ、そうだな」

「これからも頼んだぞ――土方副長」


 土方は「当たり前のことを言うなよ」と笑った。


「俺はあんたについていくって決めたんだ――近藤局長」


 その二人の決意を後ろで聞いていた信長。

 心底、羨ましいのうと考えていた。