第27話信長、遠慮する

 それから、山南の容態が安定し、話すことができるとの手紙が届いた。

 受け取った近藤は快哉を叫び、土方は「あの野郎、心配かけやがって」と皮肉交じりに安堵した。

 他の幹部たちも同じく喜んだ。当然、信長もそうだった。


「それでだ。公方様が大坂へ向かわれることとなった。その際、新選組にも警護するようにとお達しがあった」


 近藤は信長を含めた試衛館の面々に言う。

 土方は「ついでに山南さんの見舞いもできる」と付け加えた。


「それなら、近藤さんと土方さんは当然として……沖田も行けばいい」

「そうだな。沖田は山南さんのことを慕っているし」


 永倉の提案に原田も同調した。

 沖田は「よろしいんですか?」と皆に聞く。


「みんなで行きたいけど、大勢での見舞いは迷惑になる。だから遠慮せずに行きなさい」


 井上の優しい言葉に沖田は「ありがとう」と笑顔で言った。

 そこに信長は「藤堂も連れて行け」と言う。


「そこでもじもじするぐらいなら、自分から言い出せ」

「えっ……でも……」


 近藤は「山南さんと同門だし、三人が四人になっても大丈夫だろう」と笑った。


「平助。お前も総司と同じくらい慕っているんだ。そのくらいいいさ」

「近藤局長……信長さん、みんなありがとうございます!」


 藤堂が皆に頭を下げる中「あんたもいいところあるじゃねえか」と土方はそっぽを向きながら信長に言う。


「まあな……他の者は良いのか?」

「ある程度、京に残る者は必要ですから」


 井上の言葉に永倉と原田、そして無言のままでいた斉藤は頷いた。

 信長は「良き男たちだ」と手放しに褒めた。


「儂も残るとするか。副長代理の最後の仕事だ」

「信長さんはよくやってくれました。本当にありがとうございます」


 近藤が礼を言うと「よせ。軽々しく頭が部下に礼を申すな」と手を振った。


「それに将軍の警護よりもここに残って休んだほうがマシよ」

「ふふふ。そういうことにしておきましょう」


 沖田は「これで一安心ですね」と美少年らしい爽やかな笑顔になった。


「山南さんが回復したら宴会しましょうよ。みんなで酔い潰れるまでお酒飲むんです。楽しみだなあ――」



◆◇◆◇



 そして近藤たちは大坂に着き、山南が養生している診療所へと赴いた。

 沖田が「近藤さん、それなんですか?」と紫の包みを指さす。


「今回の働きで山南さんに渡そうと思っている――名刀の虎徹こてつだ」

「あの虎徹ですか!? よく手に入りましたね……!」


 沖田が感心すると「松平容保公から賜ったものだ」と土方が補足する。


「一度は死ぬかもしれない重傷を負ったんだ。このくらいの褒美、当たり前だろ」

「そうですね……山南さん、喜ぶといいなあ」


 藤堂は山南の嬉しそうな顔を想像して顔をほころばせた。

 四人はさっそく、山南にいる部屋に向かった。大坂の名医の診療所なだけに設備は整っている。


「山南さん、入りますよ」


 沖田が扉を開けると、山南は布団の上で寝息を立てていた。

 顔色は優れないが、怪我は治っている様子だった。


「……寝ていますね。出直しますか?」


 沖田が小声で近藤に訊ねる。

 そのとき、大坂の医師が部屋に入ってきた。


「うん? あなた方は?」

「あ、失礼しました。私たちは山南と同じ、新選組に属する者です」

「ああ、あなた方が……」


 近藤の説明に医師は納得した顔になり「もうすぐ薬の時間です」と四人に伝えた。


「山南さんを起こしますので、皆さま少し外でお待ちください」

「分かりました。みんな、行くぞ」


 近藤たちが部屋の外に出て、しばらくして「どうぞ、中へ」と呼ぶ声がした。

 中に入ると、医師の力を借りて起き上がった山南が「お久しぶりです」と言う。


「山南さん! 良かった、心配しましたよ」

「もう喋れるんですね! 本当に良かった……!」


 沖田と藤堂が嬉しそうにするのを見て、山南は「ありがとう」と笑って応じた。

 このとき、土方は違和感を覚えた。

 しかし自分でも判然としない。


「すっかりせましたけど、山南さんならすぐに元通りになりますよ!」

「そうです! 鍛え直せば――」

「そのことですが、私から皆さんに伝えなければならないことがあります」


 沖田と藤堂の言葉を遮って――医師が静かに言う。

 その静けさに二人と近藤と土方も黙ってしまう。


「山南さん、いいですか? 言いますよ」

「……ええ、どうぞ」


 医師はふうっと大きく深呼吸して――四人に告げた。


「もう山南さんは――剣を握ることはできません」


 四人は衝撃の告白に顔を強張らせた。

 その中で山南は穏やかに微笑んでいる。


「右手は物を握ることができません。養生すれば箸ぐらいなら扱えるとは思いますが、剣を握ることは不可能でしょう」

「せ、先生。それは――」

「そして、左手ですが」


 近藤のすがるような声を無視して、医師は続けた。


「こちらは肩まで上げることができません。腕の腱が完全に切れてしまって――」

「……ふざけるなよ」


 土方が医師の胸倉を掴んで「だったら治せ!」と怒鳴る。


「早く治せよ! てめえは大坂でも指折りの名医なんだろうが!」

「治せるのなら、治しております! でも、今の医学では――」

「ざけんな! 殺すぞこら!」


 近藤は「やめろトシ!」と大声を張り上げた。

 土方は悲しそうな、本当に悲しそうな顔で「頼むよ……」と医師から手を放した。


「山南さんから、剣を奪わないでくれ……お願いだから……」

「トシ……すみません、先生」


 医師は土方を憐れむように見てから「私は大丈夫です」と答えた。

 山南は「近藤さん、来てくれて嬉しいです」とあくまでも穏やかに言う。


「しかし、見舞いに来てくれてなんですが、眠気がありまして。また日を改めていただきたいのですが」

「……分かりました」


 近藤は土方の肩を叩いて立ち上がらせる。

 沖田と藤堂は何を言っていいのか分からない様子だった。


「――土方くん」


 部屋を出るとき、土方を山南は呼んだ。

 土方は「……どうした?」と返事する。


「私のために怒ってくれたこと、感謝する」

「…………」

「いや、この言い方は、先生に対して失礼だったかな?」


 笑う山南に土方は「馬鹿野郎」と呟く。


「人に気を使い過ぎだ……また来る」

「ああ、また会おう」


 診療所を出た近藤たち。

 ふと、紫の包みを眺めながら近藤は呟く。


「これ、二度と渡せなくなったな……」



◆◇◆◇



「良いんですか? あの人たちに言わなければならないこと、あったんじゃないですか?」


 近藤たちが出て行った後、山南に医師は言う。

 山南は「意気地がなくて言えませんでした」と笑った。


「先生。あなたからは絶対に言わないでくださいね」

「自分で言うつもりですか?」

「いえ……どうでしょうか。言える好機を逸してしまいましたね」


 山南に煎じた薬を手渡す医師。

 水と一緒に飲み込んだ山南は「苦いですね」と呟く。


「良薬、口に苦しとはこのことですね」

「……あなたへの良薬などありませんよ」


 医師は本当に残念そうに言う。

 目の前の患者を治せないこととそれでも自分に恨み言を言わないことが――つらかった。


「あなたの怪我は傷が塞がっただけのことです。中の臓器……腎の臓は刀によってほとんど機能しなくなった」

「…………」

「どんどん身体の自由が利かなくなります。そして衰弱していくのです」


 医師は淡々と述べることしかできなかった。

 己の無力さを噛み締めながら――言葉を紡ぐ。


「薬どころか、どんな治療でも治せない。だけど徐々に死に近づいていく。あなたの寿命はもって――三年でしょう」

「三年。それだけですか」

「ええ、それだけです」


 山南は今日来た四人を思い浮かべる。

 皆、自分が刀を振れなくなったことに衝撃を受けていた。

 まるで己のことのように。

 土方が特に動揺していて、あんな姿は初めてだった。


 おそらく試衛館以来の他の仲間も同じ反応をしただろう。

 第六天魔王の反応は予想できないが、あれは意外と人情家だったりする。

 そんな気持ちの良い人間だらけなのだ、新選組は。


 だったら身体がどんどん不自由になっても。

 刀を振れない役立たずな身の上になっても。

 せめて、彼らのために働いて――死にたい。

 それが新選組副長である山南敬助の心境だった。