第12話

 王城へ足を踏み入れると、正面には振分け階段があった。その中央からはゲーム内では謁見の間につながっていたのを覚えている。振分け階段へ行かずに奥に行くと、中庭に通ずる扉がある。天井には大きなシャンデリアがいくつも備えられており、贅を尽くした建造物であるということが見て取れた。平面で見ていた世界が実際に目の前に存在していることに、勇はまだふわふわとした心地を覚えながら、階段のそばにいる見張りに声をかける。

「あの、討伐者として王への謁見を願いたいのですが……」

「あー……タイミングが悪かったね、今、勇者様御一行がみえているから、今日はもう王への謁見はできないことになってるんだよ」

 そうか、凱旋パレードの前後に勇者一行が王に会いに行く可能性は予想できたはずだったのに、すっかり気が急いていたな、と勇は己を省みる。

「そうだったんですね、討伐者登録は王に会わねば出来ませんでしょうか……?」

「登録だけなら大丈夫、そこの通路をまっすぐだよ。突き当りの部屋が登録所だ」

「ありがとうございます」

 言われたとおりに、通路をまっすぐ進んでいく。今日はほかに登録者はいないのだろうか、冒険者と思しき人間とは、すれ違わない。いるのは、王城仕えのメイドと、警備の者だけのようだ。見張りに言われた通り、登録所と思しき部屋の扉をノックする。

「開いているよ、入りたまえ」

 扉越しに声が聞こえたので、ゆっくりと扉を開くと、そこは思っていたよりも少し狭い、執務室であった。重厚なアンティークの執務机にぽつんとひとり、歳のいっているであろう男が着いている。

「失礼いたします」

「そうかしこまらんでもいいよ、おいで」

 ロマンスグレーをオールバックに撫でつけた男は、しわがれた声で優しくそう告げ、勇を机の前に促す。

「すまんね、わしは足が悪くてな……座ったままで失礼するよ」

 机の引き出しから書類を取り出すと、男は羽ペンの先をインク壺に浸し、今日の日付を書いて勇に渡す。

(A歴1002年、メトポロン14日……)

 勇は書かれている日にちを見て、『救世の光』の設定とズレがないことを確認した。

 ゲーム『救世の光』における一年は、360日。メトポロンは秋の月を指す言葉で、ひと月の日数は90日、四季に該当する月が4か月あるという特殊な暦をしている。四季の移り変わりでマーケットに入荷する物が変化したり、地形に変化がでたりする仕組みだった。ゲーム開始時の年号はA歴1000年だったことを考えると、ここはどうやらそこから約2年半が経過した世界らしい。

「まず、君の討伐者バッジを拝見するよ」

「はい」

 稀に偽造する者がいるから、念のためねぇ、と男は言う。

「うん、間違いなく討伐者の証だね、次は君のステータスカードを見てもいいかね」

 ステータスカードはこの世界では身分証のように扱われることが多い。登録者である持ち主が手をかざすと自動で情報が更新される魔法道具である。勇は、悲しいほどにまっさらなスキル欄のステータスカードを渡しながら、なるほど、アドラとマルタンを連れてきていたら逆にまずいことになったから、討伐者登録をする本人だけがここに入れるというのは好都合だったかもしれない、と胸をなでおろした。

「うんうん、これも間違いないね」

 では、ここにサインをしておくれ、と男は羽ペンを勇に渡す。書類の一番下の署名欄に、勇はさらさらと名前を記入した。

「えーと……イサミ君ね、うん、これで正式に登録が済んだよ」

「ありがとうございます」

「カードに手をかざしてごらん、称号欄が書き換わるはずだ」

「はい」

 促されたとおりにステータスカードに手をかざすと、ふわりと淡い光が舞う。手をよけてみると、そこには『討伐者』と記されていた。

「これで大丈夫ですか?」

「うんうん、いいね」

 それと、心ばかりだが国から軍資金があるからね、と男は微笑んだ。ゲーム内では王に謁見し、そこで登録と軍資金の受け取りまですべて済ませてしまえたが、ここでは事情が違う。

「次はね……あちこち歩かせて済まないが、今度はホールのこちらと反対側の通路をまっすぐ行ってほしいんだ。そうすると右手に部屋があるからね、そこでお金を受け取っておくれ」

「はい、あの……」

「なんだい」

 勇はここで登録の仕事をしているこの人ならば知っているのではないかと、質問を投げかけてみる。

「勇者様御一行は、いつ頃登録されたのですか?」

「うーん、それは個人情報になってしまうから細かいことは教えられないのだけどね……」

「あ、すみません」

 さすがに教えてはもらえないか、と勇は頭を下げる。

「ああ、良いんだよ勇者様御一行のファンは多いだろう、知りたがる人も結構いるんだ。憧れに続きたいのだろうねぇ……」

 登録年月日は教えられないが、と男は笑った。

「勇者であるユウタ様は少なくとも一年くらい前から少しずつ実績を積み上げてこられたと思うよ」

「そうなんですね、教えてくださってありがとうございます」

「この程度は新聞に載っていたことだからね、まあ、最近王都に来たのであれば君は知らぬかとおもってね。頑張るんだよ」

 健闘を祈っているよ、と男は目尻のしわを深くして、「登録所受け付け、グレイが担当しました」と最後に頭を下げた。勇は礼を言って、部屋を出る。


 ――1年前から実績を積み上げてきたのであれば、逆算するとそれよりも少し前に来ている……? ゲーム開始年度のA歴1000年から滞在している可能性が高いが、それ以降に訪れていたと推測することもできる。なんにせよ、自分よりもかなり前からこの世界で活動しているということは把握できた。次は……。


 考え事をしながら歩いていると、ホールに見覚えのある人物がいた。

(あ……!)

 急の事だと、咄嗟に動けないし、うまい言葉も出てこない。心音が高鳴る。妙に緊張してしまう。固まっていると、こちらに気づいたその男はぶっきらぼうに言い放った。

「そこ、突っ立ってると邪魔なんだけど?」

 はっとして勇は謝罪する。

「すみません」

「ユウタさん、そんなに強く言わなくても。……いいのですよ、お顔を上げて」

 このお城は広いですもの迷われますわよね、と白い服の修道女ネージュは勇の顔をのぞき込んだ。たれ目がちの大きな瞳が、こちらを見ている。距離感が近すぎることに驚いて勇がわずかに後ずさると、ネージュの首根っこをつかむようにしてフレイアが引っぺがした。

「や、ごめんねぇ。この子ちょっと距離感バグってんのよね。だいじょぶそ?」

「いえ、すみません」

「あはは、君さっきから謝ってばっかじゃんウケる。気にしなくていーよ」

 快活な笑い方をしたフレイアのふわふわのポニーテールが揺れて、甘い花の香りが広がった。華やかな人たちだな、やっぱり……と思っていると、その最後方から気配を消すようにおずおずと小柄な人影がついてきていた。

(……この子……)

 学校を焼き払った魔導士。そう記憶しているが……。

「……」

「あ、あの」

 勇は勇気を振り絞って切り出す。

「敵の拠点を、焼き払ったとのこと、素晴らしい功績と存じます」

「ああ」

 まんざらでもなさそうな顔で、通り過ぎかけたユウタが振り向いた。

「当然のことさ」

 魔法を放ったのは彼ではないはずだが、妙に得意げだ。

「霧の森は名前の通り霧に覆われ、そこに拠点があることを探るのは本当に大変だったことでしょう」

 素晴らしい観察眼と偵察能力をお持ちなのですね、と、探りを入れてみる。びく、とソレイユの肩が揺れた。黒いフード越しに、こちらを上目遣いで見ている。

「霧の森という名称も今後は変わるだろうさ。あそこはもう霧なんてかかっていない」

「そうですね! あの霧を晴らしてくださったのも勇者様がたなのですか?」

 君は何も知らないんだなぁ、とユウタは鼻で笑う。

「一体どこのド田舎から出てきたんだ君は? 霧は二週間ほど前に、霧の結界を張るモンスターを倒して解除したってニュースを見なかったのか?」

「二週間……」

 勇ははっとした。この世界に来る前、霧の森がオープンワールド化されたのはちょうど二週間前。合致しているということは、霧の結界が破られたため彼らの探索がはかどって襲撃につながったと考えてよさそうだ。

「で、もういいかな、僕は昨日今日で疲れているんだ、さっさと宿で休みたいんだが」

「ああ、すみません、最後に……」

「まだあるのか」

 いらだちを隠せないような声色だった。それでも、引くわけにはいかない。

「申し訳ありません、この次はどちらに旅立たれるのかな、と」

「知って何になる?」

「え……と」

 ふっ、と吹き出して、ユウタはおかしそうに続けた。

「君みたいなド田舎者の駆け出し冒険者風情が、僕たちの行き先を知って何になるって聞いてるんだ。憧れから追いかけてくるつもりか? 戦力にもなりはしないし、興味本位で聞いているんだとしたら不愉快だよ」

 この戦いは遊びじゃないんだというユウタに、勇は言葉を詰まらせる。確かに少し前のめり過ぎた。

「……失礼しました、出過ぎたことを……」

「それとも何だ? 肉壁にでもなってくれるのかい?」

 その発言に、勇は絶句する。民を助けるために動いているはずの勇者が? こんなことを言っていいのか? 冗談にしたって質が悪い。

「ユーウタ。そういうのよくないって。おもんない冗談やめな?」

 フレイアがため息をつく。

「フレイア」

「それにぃ、ユウタは普通に強いからそんなもんいらんしょ。ほれ、行くよ。ごめんねえ、冒険者君!」

 どっかで会ったらよろしくねー、と手を振り、フレイアは先に歩いて行ってしまった。フン、と鼻を鳴らして、「せいぜい頑張りたまえよ田舎者君」と嫌味ったらしく付け足すと、ユウタも踵を返し、マントをなびかせて颯爽と去っていく。勇の前を通り過ぎるとき、ソレイユは小さく会釈をして小走りで行った。最後に行くのは、ネージュ。勇の前についと歩み出ると、床に着くか着かないかの長さのワンピースを指先でつまみ、少し膝を落とした。こちらに礼をくれるなど思ってもいなかったので、勇は慌てて45度の礼を返す。既に体を起こしていたネージュは、まだ頭を下げたままの勇の耳元へそっと告げる。

「近いうち、いずれ、また」

 え、と聞き返そうとしたその時には既にネージュは石鹸の淡い香りだけ残して扉の方へ歩き出していた。

(どういう……)


「彼らの行き先だけど」

「!?」

 勇は慌てて振り返る。急に背後に立っていたのは、あの騎士だった。

「あ、驚かせてしまった……? すまない」

「い、いいえ……」

 胸に手をあてて、彼は軽く頭を下げる。

「私はグラナード。アロガンツィア近衛部隊の隊長だよ。我々は人々を守るために戦う者を歓迎するよ。よろしくね、新人冒険者君……えーと……」

 さらりとかなり地位の高い人物であることが明かされるが、驚いている暇もなく勇は自己紹介を促される。

「勇と申します。本日、討伐者として登録してまいりました」

「討伐者か、そうしたら、勇者殿の後輩になるね」

「え?」

 勇者殿も元は討伐者って職業からのスタートだったんだよ、というグラナードに、へぇ、と相槌をうつ。

「で、彼らの行き先だけどね」

「教えてくれるんですか!?」

「うん、別に機密事項でもなんでもないし」

 ノリが軽くないか、と思いながらも、勇は耳を傾ける。

「ここから北に行くとね、エニレヨの村があるんだけど、そこの支援にいくんだよ」

 エニレヨは聞いたことがある。『救世の光』のゲーム起動時、初めに目が覚めるのはこの村だ。小さな村で生まれた主人公が、勇者の素質があるとして討伐者の証を王の使いから受け取り、アロガンツィアへ足を運ぶという流れだったはず。そのエニレヨに、支援?

「さっきの会話少し聞こえちゃったんだけど、勇者殿が霧の結界を張っていたモンスターを倒した、って言ってたでしょう? あれ、エニレヨの北部にある祠の中で起きたことなんだよね」

「そうだったんですか、それで、なんでエニレヨ……?」

「うん、祠のモンスターを倒してから、エニレヨの天気がおかしくなっちゃってね」

 勇は天気? と聞き返す。

「もともとエニレヨって気候のいいところだったんだよ、常春の村って呼ばれるくらい、穏やかでね、あ、でも気温の日較差は大きめかな」

 それが、ずっと雨続きで地滑りが起きたかと思いきや、その一週間後にはいきなり大干ばつが起き、異常なまでの乾燥によってたったの三日で貯水池の水が枯れたらしい。

「異常気象なんてもんじゃないですね……」

「そ、おかしいよね? だから調査と支援に行くのさ。輸送隊も連れて」

 なるほど、と勇が頷くとグラナードは、じっと勇の目を見て、それから口を開いた。

「あのさ、もしよかったらなんだけど……君も見てきてくれないかい?」

「え?」

「私はここを離れられないからね、村がどうなっているのか、祠がどうなっているのか知りようがない」

 でも、それは勇者様方が報告してくれるんじゃ? と勇が問うと、グラナードはうーん……と渋い顔をした。

「なんというか、客観的なお話も聞きたくてね」

 勇は頷く。

「わかりました、間に合うと良いんですけど」

「大丈夫、勇者殿いつも鈍行だからなんとかなる」

 今さらっとひどいこと言わなかったか? 勇は驚いて言葉を飲み込んだ。

「あはは、面白い顔するんだから。……えーと、討伐者になったら王城への出入りはまあ自由なのだけど、見てきたら報告お願いできる?」

 タダでとは言わないからさ、とグラナードは銀貨を一枚、勇に手渡した。

「そんな、前金なんて……」

「強がらなくていいよ、国から出る軍資金も銀貨一枚だもん。格安の宿一部屋分にしかなんないでしょ。ほら」

 半ば無理矢理銀貨を握らせると、成果報酬はもっと弾むからよろしくねえ、なんて笑いながらグラナードは階段を昇って行った。

 その後に勇は軍資金を受け取りに窓口へ行ったが、グラナードのいう通り銀貨一枚と、ナッツを四袋もらえただけだった。もともとバッグに入っていたもの、グラナードからもらったものと合わせて、銀貨五枚……三人で行動していくには少し心もとないなと思いながら、勇は王城を後にするのだった。