第7話

 洞穴に差し込んだ朝日で、勇は目を覚ました。木の葉の上で朝露がきらきらと光っている。この光景だけならば、自分が転生してきたなんてことは何かの夢だったと流せたかもしれない。しかし、背に感じるもっふりとしたぬくもりが、これは現実だということを教えてくれていた。

「おはよう」

 木の上から声が降ってくる。昨夜出会った大鷲の翼をもつ女、アドラだ。よく眠れたか? と尋ねる彼女に、勇はあいまいに笑って答えた。

「マルタンがあったかかったからね」

「ふっかふかのもっふもふだもんな。で、マルはまだ寝てる?」

 もぞら、と洞穴の中で毛玉が動く。

「おはようございまふ……」

 目をしょぼしょぼさせながら洞穴から這い出てきたマルタンは、外のまぶしさに小さく呻いた。

「すみません。エビルシルキーマウス種は急な光にはちょっと弱くて……」

「急じゃねえけどな」

 アドラは苦笑すると、ひらりと樹上から降り、勇にマップを広げるよう促す。

「行くんだろ、王都まで」

「うん」

 うーん、と少し考え込んだ後、アドラはもう一度翼を広げて、地を蹴った。そのまま、木々よりも少し高い位置まで羽ばたいて、それからすぐに勇たちのもとへ戻る。

「今ンとこだけど、危険はなさそうだな。この森を抜ければ人間が使ってる街道に出られるはずだ。そしたら王都までもわかりやすい。あたしが少し先を飛んで、木々の間から前方を見てやるから、あんたたちはそれに続くようにくればいいと思う。で、まずそうな人影が見えたら合図をするから隠れるってのはどうだ」

 名案だね、とようやく目が開いたマルタンが小さく拍手をすると、アドラはふふんと胸をそらせる。

「まァな。いいか、合図はこうだ」

 アドラは口を大きく開け、鋭い犬歯を見せて、ガァッガァッと、けたたましい鳴き声を上げる。

「アドラのその声久しぶりに聞いた」

「喉痛めるからあんまやりたくねぇんだよ」

 今のは? と勇が問うと、それはハルピュイア族オオワシ科の威嚇の声だという。この森の中にはオオワシはあまり多く生息していないので誤って本物の大鷲の声に反応してしまうことはないだろうし、人間たちからしてみれば、何か野生動物か鳥が鳴いているふうにしか聞こえない。人の言葉で注意を促してしまえば、樹上にアドラがいることに気づかれてしまうから、自分たちにだけわかる符号としては適切だろう。なるほど、と頷いた勇にアドラはぽりぽりと頭を掻く。

「しっかし……あんたって何にも驚かんのな」

「へ?」

「起きたら異世界、出会ったのはデッケェネズミと大鷲女。あたしならひっくり返ってるぜ」

 いや、まあひっくり返ったよ、と勇は笑う。マルタンもうんうんと頷いた。

「お互いひっくり返りましたよね」

「ね」

 やたらと順応力が高い二人にアドラは感心すればいいのか、不用心さに呆れればいいのかもはやわからなくなっていた。


 朝の光でしっかりと二人の姿が照らされ、アドラはぎょっとする。

「……あー、出発したいとこだが、あんたのその泥だらけの服は王都にはまずいだろ」

 昨夜ゴブリンの墓を掘った勇の服は泥まみれ、髪もぐしゃぐしゃだった。マルタンの前足もまっくろだ。互いに顔を見合わせ、ふたりは視線をさ迷わせる。

「どうしよ……」

 はー、と深くため息をつき、親指でアドラは背後を指さした。

「あっち。泉があるから、沐浴してこい」

「ありがとう!!」

 二人が声をそろえて礼を言うと、素直さにアドラは顔をほころばせる。

「アドラは?」

「あたしは昨日一人で浴びてる。あとは王都で風呂借りたいや……って」

 勇が何気なく視線を向けていたことに気づき、アドラはニィっと笑ってからかってやるのだった。

「混浴期待してたか?」

「え、してない……けど、不躾に視線を向けてしまっていたならごめん、気を付ける」

 豊満な胸元を隠すバンドゥ、その下に晒された六つに割れた腹筋に、へそのピアス。人間の雄との実戦の際には割とこれが効いたのだが、勇はぺこりと頭を下げ、それからもう一度顔を上げた時にはもうアドラの目しか見ていない。なるほど、こいつは色に振り回されるタイプじゃない。

「ッハ、冗談だよ。悪ィ」

 共に行動するには悪くない性格だ、とアドラは思った。


 アドラの言う通りの方向へ行くと、そこには泉があった。透き通る水は冷たく、入るのに少し躊躇したが、勇はブーツを脱いで靴下を水に浸す。

(ん、あれちょっと待って……これ乾くかな)

「あ、洗うと良いですよ、アドラが乾かしてくれます」

 乾かしてくれる、とは? と思ったが、マルタンがいうならまあ間違いないだろう。上着も脱いで、そのまま泉へ浸した。足先をひたりと水につけ、冷たさに身震いをする。マルタンはというと、ちゃぷ、と肩までつかってすぐに上がり、ぷるぷると体を震わせ、水を払う。

「早いね、マルタン」

「水苦手なので、サッと……」

 そんなとこもハムスターなんだ、と少し笑い、そして勇は洗っていた服のポケットからなにやら革製の物を取り出した。昨夜のゴブリンが持っていたポーチだ。ポーチを洗っていると、泉のほとりで爪を丁寧に洗っていたマルタンが気づき、あ、と声を上げる。

「それ……」

「うん、ゴブリン君の遺品だよ。……うん、きれいになった。はい」

 じゃぶじゃぶ、と泉の中を歩いて、ほとりにいるマルタンに手渡すと、マルタンは小さくうなずいて、うん、と答えた。

「マルタンが持っていると良いと思うんだ」

 ちょっと待ってね、と勇は泉から上がると、自分のバッグの中を物色する。その中から、革のベルトを見つけて、ポーチの背面のループに通してやった。

「はい、これでショルダーバッグにできる」

「わあ、ありがとう!」

 マルタンは敬語も忘れ、嬉しそうにそれを肩から斜めにかけた。ハムスターの体格上、少しベルトを短めにしないとずり落ちてくるらしく、短い手で長さの調節をしようともがいている。

「マルタン、後ろ向いて、……よし」

 ベルトをしめてやると、マルタンは振り向いて、もう一度ありがとう、と言った。

「俺たちくらいはさ、覚えていよう」

「うん」

 たった一人で、一方的な暴力の末に恐怖の中死んでいった『魔物』、討伐者からすれば雑魚の一匹。それでも、確かに歩んできた命があって、友達がいて、生活があった。それを、俺たちは覚えていよう。


「おーい、済んだかァ?」

 泉を背に木の上で周囲を見ていたアドラが背中越しに問う。

「あっ、うん……ただ、服が」

「わーってるよ、よし、服を木の枝にでもかけて、後ろ向いて離れてな」

 すとん、と着地する音がして、アドラが近づいてくるのがわかる。

「もう少し離れたほうがいいかも」

 くいくい、と勇のパンツの端っこを引っ張り、マルタンは服をかけた枝から離れるよう指示する。

「おらァ!!」

 アドラのドスが効いた声が響くと同時に、熱風が掠めていく。

「な、なに?」

「翼で起こした風に炎魔法を乗せると、こうやって熱風になるの。それで、洗濯物が早く乾く」

「便利魔法ってマジであるんだ……」

 気づけば、身に着けていた下着も乾いている。少し熱さは感じたが、確かにこれは便利だ。

「よし、後ろ向いててやっからこっち向いていいぞ。着替えちまいな」


 アドラに促され、服を回収すると、急いで身支度を整えて一行は泉を出た。手筈通り、少し先をアドラが行き、そこへ続くように慎重に慎重に進んでいく。幸い、街道に出るまでは特に脅威に遭遇せずに済んだ。

「さて、問題はこっからだぞ」