放課後の教室で、ふたり顔を突き合わせるのは初めてのことだと思う。
私と毒島さんは机をひとつ囲んで、開かれたノートのページを覗き込んでいた。
「どう、ですか?」
毒島さんは、恥ずかしそうに身をよじる。
一方の私はというと、目の前のものをどう形容するべきか、脳みそをフル回転させていた。
「これは、その……アートだね」
「そうですよね!」
毒島さんが、嬉しそうに声をあげる。
でもすぐにはっと口を手で押さえて、取り繕うように咳ばらいをした。
クラスTの制作係に任命された彼女は、さっそくTシャツの表にプリントさせる図案を考えて持ってきてくれた。
今日はそれを見てみよう……という話になっていたのだけど、これがなかなかすんなりとは行かなそうだ。
「友情、努力、そして勝利を表してみました」
彼女は得意げに、少年漫画のスローガンみたいなテーマを語ってくれた。
とりあえずなんだ。
要素をひとつひとつ確認していってみようか。
「えっと……とりあえず友情ってのが、このへん……かな?」
恐る恐る、図案の一部を指さす。
なんか、手っぽいのが交差してて、握手してるように見えたから。
「あの、それ、努力です。飛び立とうと頑張ってるひな鳥を表してみたんですが」
「ひなどり」
「友情はこっちの夕日で表したつもりだったのですけど……わかりにくかったですか?」
「ゆうひ」
そっか、それ夕日だったんだ。
血の滴る心臓かと思ってた。
そりゃそうだよね。クラスTに内臓描くヤツいないよね。
「それで、このひな鳥? と夕日? を取り囲むエクトプラズムの群れみたいなのは……?」
「く、クラスメイトたちのつもりです。ほんとは似顔絵とかにしたかったんですけど、流石に細かいし、そこまでする時間もないので……」
それ、大正解。
似顔絵だけはどうか勘弁してください。
「じゃあ、勝利は……?」
「全体をVの字に配置しているので、勝利のV……的な?」
「なるほどね!」
初めて理解できる要素が現れて、思わず声がうわずる。
話をしている間に、どんどん表情が暗くなっていった毒島さんも、そこでぱっと笑顔を浮かべた。
「よかった……私、こういうデザインとか初めてだったので、ちゃんとテーマが伝わるものを描けてるかどうか心配で」
伝わるかどうかとか、それ以前の問題だと思うのだけど。
でも流石にそれを突き付けるのは酷なので、私は一端言葉を飲み込んだ。
こうなることは彼女の服のセンスからなんとなく予想ができていたけど、いざ目の前にしてみると、これ、どうすればいいんだろ。
私はいったい何を、どう指摘して、理解あるデザインに修正してあげればいいんだ……?
「と……とりあえずデザインは草案ってことにしておいて、お店を先に決めようか」
結果、私はとりあえず今までのものを見なかったことにした。
「そうですね。それによって発注の締め切り日も変わってきますし。プリントはモノクロでいいんですよね?」
「みんなの予算を考えたらね。カラーでもいいんだけど、それは全員の承認が取れたらかな」
そして、その時間はほぼないに等しい。本番は来週末なので、それまでに納品されるようにと考えたら、今週末にはデザインを入稿してしまわないと、安心できる期間ではなくなる。
ネットで検索すれば即日出荷・納品系のTシャツ屋も沢山あるけれど、そういうのは首都圏に限った話だ。
こちとら山に囲まれた地方都市。
本の新刊だって、必ず予定日の一日遅れになるような場所だから。
「私もモノクロで構いませんよ。そのつもりで描いてましたし」
「そうだね。うん。カラーにはしない方がいいかな」
カラーで見てしまった時、自分が正気を保っていられる自信がない。
たぶんだけど、私が手綱を引いてどうにかできるレベルを、ゆうに越えると思う。
しばらく、ふたりでTシャツ屋のパンフレットや、スマホでサイトを見ながら良さそうな色を扱ってたり、セールをやってるようなお店を探す。
静かな時間が流れる中で、毒島さんがぽつんと呟いた。
「どうして、クラスT係になったんですか?」
尋ねられた私は、スマホの画面をスクロールしながら、話半分に答える。
「毒島さんと、もう少し仲良くなっておこうと思ったから?」
それは半分本当で、半分は嘘。
もちろん歩み寄りたい気持ちはあるけれど、真っ先に頭にあったのは、もうちょっと実害がある部分だ。
そっちは、うーん、どう着地させるか目下検討中だけれど。
「妙な駆け引きは不要ですよ。決着は模試で決めましょうって約束したじゃないですか」
「それは忘れてないよ。それまで毒島さんは毒島さんだから」
「分かってるならいいんですけど」
「でもあえて言うなら、写真撮影のときの話を覚えてたからかな?」
「写真撮影?」
「最後の一年くらい、自分勝手に楽しんでみたいって」
そう口にすると、毒島さんは面食らったみたいに目を丸くして、それからパンフレットで顔を隠しながらうつむいてしまった。
「そういう、余計なことは覚えてなくていいんです」
「それは、申し訳のうございました。でも私、最近、そういうのに首突っ込むの慣れて来たから」
そんな事を言ったって、彼女にはなんのことか分からないだろう。
現に、パンフレットの端から目だけ覗かせた彼女の顔には、思いっきり「?」が浮かんでいた。
「そういえばさ、勝負の件。改めて思い返してみると、私なんも得してないんだよね」
「得?」
「だって私が勝ったら友達に。毒島さんが勝ったら生徒会長に、でしょ。毒島さんは、どっちに転んでも得しかない気がする」
「友達になるのを得だって言い切れるの、さすが会長だと思います」
「だって、先に友達になりがったの毒島さんだし」
「それは……まあ、そうですけど……」
毒島さんは、そっぽを向きながら口ごもった。結局のところ、これは互いの意地の張り合いみたいなものだから。
ここまでこじれてしまったら、何か「言い訳」がないと、互いに先には進めない。
そしてその「言い訳」には、正当性を担保するだけのリスクが必要とだいうこと。
結局のところ私も、そしてきっと毒島さん自身も、私の勝利にBETしているってことだと思う。
もちろん、私の勝手な妄想だけど。それに、だからと言って彼女が手を抜くようなこともないだろう。
「毒島さんが勝ったらさ、そっちも私のこと名前で呼んでよ。それで対等って
もんじゃない?」
「名前……ですか?」
「いつも会長だし。狩谷って呼ばれることすら稀だけど」
彼女は伏し目がちに何か思案してから、やがて小さく頷き返してくれた。
「分かりました。その条件で受け入れましょう。なおさら負けるわけにはいかなくなりましたね」
「そんなにイヤかな」
「会長なら気持ち、分かるんじゃないですか?」
そう言われてしまっては、返す言葉はない。
私は理解したていで頷いて、スマホに視線を戻した。
それからいくつかお店だけピックアップして、具体的なカラーなんかは明日のショートホームルームでクラスみんなで決をとることにした。
そして肝心のデザインの方は……ちょっと一端持ち帰って、考える時間をもらうことにした。
この死霊のはらわたを、どうすれば生者のデザインにすることができるんだろうか……。