4月18日 私は生徒会長だから

 まるで助走のような先週一週間を経て、今週からはいよいよ新年度の授業が始まる。

 すると、一気に新学期が現実味を帯びてくるものだ。


 並行して、もうひとつ欠かせないのが、今日の放課後から始まる部活動の仮入部期間。

 この一週間の間に、新入生は思い思いの部活を見学して、週明けには入部届を学校側に提出することになっている。

 上級生たちも受け入れ態勢は万全だ。

 この一週間だけは、どんなに練習が厳しい部活であっても、基礎メニューや小規模なイベントを執り行って、入部候補生たちとの距離を縮められるようにと手を尽くしている。


 内申点目的のために本校は皆部活制度が導入されている。

 よっぽどの理由がない限りは、何かしらの部活に属することが生徒の義務だ。

 そんな時に私はというと、誰もいない生徒会室で、ひとりぽつんと書類とにらめっこしていた。


 月末に行われる新年度生徒総会は、主に予算案の承認がメインとなる。

 とは言え、別に生徒会がその数値を事細かに管理しているわけではなく、学校側の会計局から渡された草案を元に、多少は現場の意見というもので修正案を提示して、問題がなければ組織的には仮承認。

 あとは生徒総会で全校生徒からの多数決による承認が得られれば、本決まりとなる。


 ちなみに、予算案に不服があれば、総会時に全生徒に発言と再審議の権利が与えられてはいる。

 とはいえ、ここ五〇年ほどは前例がないということだ。


 最後にあったのは昭和六〇年代。

 徒歩数百メートルの距離にある、地元の国立大学の学生運動の余波を受けて、学生自治が声高らかに叫ばれていたころだと聞いているが、真偽は定かではない。


 不意に、部屋の扉がノックされた。

 数字の羅列をぼんやりと眺めていた私は、視線だけ上げて扉の方を見る。

 誰だろう。

 役員なら、ノックこそしても、そのまま入ってくるはず。

 何らかの用事があって来る教員たちも同様だ。


「どうぞ?」


 多少は疑問を持ちながらも、返事を待っているらしい扉の向こうへと声をかける。


「失礼します」

「あっ」


 今回ばかりは前例を破って。

 しかも「えっ」はなく、代わりに私の「あっ」だけ。

 開け放たれた扉の向こうで、ちんまい少女が綺麗な姿勢で頭を下げた。


「こんにちわ。遊びに来ました」

「ああ、うん、どうぞ?」


 微妙なぎこちなさを伴いつつも、私は彼女を部屋の中に誘う。

 剣道少女――確か、穂波ちゃんは、追加で一礼してから中に入って扉を閉めた。


「誰もいないんですね」


 部屋の中を見渡しながら、彼女が言う。

 人を探しているというよりは、生徒会室という場所が物珍しいといった様子だった。

 と言っても、あるのは書類棚と食器棚と机と、有象無象の段ボールだけだけれど。


「今週は部活勧誘のピークだから。流石にみんな、それぞれの部に行ってる」

「狩谷先輩は良いんですか?」

「私は……ほら、生徒会長だから」

「そういうものなんですか」


 いつもの、心の内が分からない曖昧な頷き。

 彼女と話すのは、なんだか心臓に悪い。


「穂波ちゃんこそいいの。部活、見学に行かなくて」

「名前、覚えてくれていたんですね。ありがとうございます」


 ひとつお辞儀をして、彼女は真っすぐに私の方を見た。


「入る部は決めてるので、問題ないです」

「そりゃそうだろうけど、決まってるならむしろ、もう練習に混ぜて貰えば」

「結局は新入生向けのお試しメニューでしょうし、かといって特別に正式入部と同じ扱いをしてもらうのも気が引けますし……だからまだ、今週いっぱいは自主練です」

「律儀だね」

「そういうとこは、ちゃんとしたいんです。私は」


 なんだか、毒島さんと気が合いそうだな。

 頭の隅で、そんなことを思う。


「座りなよ。お茶くらい出すから」

「ありがとうございます」


 穂波ちゃんは、躊躇うことなく長テーブルの一席に腰かけた。

 もしかしたら、私から勧められるのを待っていたのかもしれない。

 そこは配慮が足りなかった。


 私は、電気ポットに入っていたお湯で緑茶を淹れると、適当な湯飲みに入れて彼女に差し出す。


「ちなみに、これは学校予算の内ですか?」

「機材は備品だけど、中身は役員のポケットマネー。だから安心して飲んでいいよ」


 湯呑の水面を見つめて尋ねる彼女に、私はそう付け加えておいた。


「副会長がいたら、もっとおいしいお茶を淹れてくれるんだけど。今日はそれで我慢しといて」

「副会長……って、私、見たことありますか?」

「個人的な機会がなければ、たぶん見たことはないと思うけど」

「じゃあ、きっと知らない人ですね」


 穂波ちゃんは、一口お茶を啜って、それからほっと一息ついた。

 所作だけ見れば、きっと普通にいい子なんだけどな。

 無駄に腹の内を勘ぐって、身構え得てしまうのはなんでだろう。


「えっと……学校は慣れた?」

「一週間じゃ、あんまりよくわからないですね」

「そうですよね」


 間を持たせようと話を振ってみたけど、あえなく撃沈した。

 そんな私の気遣いを察してくれたのか、彼女は小さく唸りながら天井を見上げる。

 何か捻りだそうとしてくれているのか、指先が答えを探すみたいに唇をなぞっていた。


「あっ……学力考査の結果は、思ってたより良かったです。勉強はついていけそうで安心しました」

「あ……そう……それは良かったね」


 頑張って捻りだしてくれたんだろうけど、その話題は私の心に効く。

 いつもなら、なんてことはない会話を広げられるのかもしれないけれど、今日だけは上手にレシーブを打つことができなかった。


 彼女の方も、不思議そうに首をかしげている。

 そうだよね。

 ほんとごめん。


「あの……何か手伝いますか?」

「え?」

「遊びに来た対価というやつで」

「ああ……」


 そう言えば、そんなこと言ったっけ。

 とはいえ、今は手数が必要な仕事はないし……来週なら生徒総会の準備で慌ただしいだろうから、猫の手も借りたいけれど。


「今日はいいよ。生徒会も今週は体験期間ということで」


 何も体験をしてもらってはいないのだけど。

 場所と、このゆるーい雰囲気は、なんとなく伝わったのではないだろうか。


「そんなこと言われたら、今週だけ毎日来ちゃいますよ」


 そうしたら、真顔で返されてしまったものだから、思わずたじろいでしまう。

 かといって言ったことを撤回するわけにもいかず、返事に困っていた私を見て、穂波ちゃんは笑った。

 ほんのわずかに口角を上げる、普段の彼女を見慣れてないと気づかないような、小さな小さな変化だった。


「狩谷先輩は良いひとですね」

「私が良いひとなわけないでしょ」

「悪いひとが学校のボスなら、みんな困っちゃいませんか?」


 そんな会話がなんだかむず痒くって、私は逃げるように書類に視線を落とした。

 高校に入って、ついぞ後輩というものに触れてこなかった二年間。

 現二年生のふたりは、お願いして来て貰っているお手伝いさん感が強いし。

 この二個下の後輩という相手との間合いの取り方を、どうにも計りかねていた。