4月7日 会長の腕の見せどころ

 今日は久しぶりの登校日だ。

 とは言っても学校があるわけではなく、明日に控えた入学式の準備と打ち合わせを、学校側と生徒会とで行うというだけのこと。

 クリーニングに出しておいたセーラー服に袖を通すと、新学期が始まるんだなということを否が応でも理解する。


 役員総動員で講堂の準備を手伝う。

 ステージ上に花を生けた大きな花瓶を置いたり、壁をぐるっと紅白幕で囲んだり。

 こうした新年度特有の非日常感というものが、私はあまり得意ではなかった。


「校長式辞、来賓祝辞、祝電、その次に会長挨拶だからね」

「わかりました」


 入学式の運営担当らしい教員から、当日の流れを聞かされる。

 ウチは公立校だから理事長挨拶がないのはいいけれど、自分も祝辞を述べなければならないというのが実に面倒だ。


「会長様の腕の見せどころじゃん」

「代わってくれてもいいんだよ」


 アヤセが茶化してくるので、私は割と真面目にそんな提案をする。

 彼女はアメリカンホームコメディみたいなオーバー仕草で「まさか」と首を横に振った。

 それから抱えていたデニムのエプロンを手に、書道教員と一緒にどっかに行ってしまった。

 きっとまた、案内看板やらなにやらを書かされるんだろう。


「祝辞は、明日の朝でいいから一度私に見せてね。狩谷なら問題はないと思うけど、新入生の保護者にも聞かれるものだから、念のためね」

「朝いちばんで職員室に持って行きます」

「よろしく」


 確認が済むと、教員は忙しそうに各所のチェックに向かっていった。

 入れ違いに、後輩役員の面倒を見ていた毒島さんがやってくる。

 後輩ちゃんたちは、位置を決めるためにテープで仮止めされていた紅白幕を、先生たちと一緒に正式に結び直しているところだった。


「祝辞の原稿はできてるんですか?」

「できてるよ。念のため最後の確認はしときたいから、提出は明日にするけど」

「なら問題ないです。新入生たちにとって、会長は学校の顔なんですから、しっかり頼みますよ」


 そう、軽いプレッシャーをかけられた。

 学校の顔……どうかな。

 気持ち的にはそれが正しいのだろうけど、自分が一年生の時の生徒会長なんて、部活が一緒でもなければいまいち関りがないし、今ではどんな顔だったのかもあやふやだ。

 たぶん、ショートカットで真面目そうな先輩だったような。

 そんな輪郭がぼんやりと思い出せる程度だった。


「そもそもさ、会長祝辞って何を言ったらいいもんなの」

「原稿はもうできあがってるんですよね?」

「できてるけどさ」


 それで正解かはわからない。

 毒島さんは怪訝な顔で私をじっとりと見つめてから、小さなため息をつく。


「心配なら見せてください。足りないところがあれば私も考えますから」

「それはなんか恥ずかしいからヤだ」

「子供ですか。どうせ明日になれば、みんなに聞かれるのに」

「今と明日は違うでしょ」


 それに今、毒島さんからの重箱の隅を突くようなダメ出しを受けたら、心がポッキリ折れてしまうかもしれない。

 そんな状態で新入生の前に立つことこそ、学校の顔としてはいかがなものか。


「なんかもっとこう、普遍的な、朝の星座占いみたいなアドバイスをちょうだい」

「それ、わりと難易度が高い要求してますからね」


 憎まれ口を叩きつつも、毒島さんは明後日の方向を見て、しばし思案する。

 それからぽつりぽつりと、自分自身でも確認をするみたいに、案を出してくれた。


「求められるとしたら、やはり大人の目線にはないもの。生徒の目線での学校像や、学校生活、そこで過ごす生徒のイメージとか……とにかく、新入生たちが入学後の自分たちの姿を想像できるような、それでいて希望が持てるような、そんな祝辞が望ましいのではないかなと思います。きっと、大人たちの挨拶よりも興味を持って聞いてくれているでしょうしね」

「毒島さんも、意外と容赦ないよね」

「誰かさんの素っ気なさがうつったんでしょう」


 そう言って彼女は、すまし顔でそっぽを向く。


「じゃあ、逆に求められてない祝辞ってなに?」


 それはちょっとした興味……というよりも、むしろダメな例に抵触さえしていなければ、あとはどんなことを言っても問題ないのではなかろうか。

 そんな、消去法みたいな参考のために、聞いてみることにした。

 すると毒島さんは、ノータイムで私を見ながら答える。


「あなたの選挙演説みたいなやつですかね」

「ああー」


 なんかノリで頷いてしまったけど、私、どんなこと言ってたっけ。

 ほとんど応援演説の力で勝ったようなものだったから、自分の話した内容なんてすっぽり頭から抜け落ちてしまっていた。

 逆に、毒島さんの演説なら覚えてる。

 清く、正しく、美しく。

 とても模範的な演説だった。

 そして、とってもつまらなかった。


「とにかく、大喜利みたいなことはやめてくださいね」

「それはないから大丈夫」


 自信を持って頷いたはずのに、相変わらずジト目な毒島さんは、どうにも信じてくれていないようだった。


「ようは高校生活がどれだけ楽しいのかを、新入生たちに、会長の言葉で伝えればいいんですよ」

「それが一番の難題なんだけど……」


 残念ながら、私はこの二年間の高校生活を、それほど楽しいと思ったことがない。

 もちろんユリやアヤセとの出会いはあって、そういう友達と一緒に過ごすことは楽しいと思う時もあるけれど、部活を頑張っているわけでもないし、恋愛に命を捧げているわけでもないし、とかく高校生らしいこととは縁の遠い生活を送っている。

 唯一挙げられるとしたら勉強だろうか。

 でも、ようやく受験勉強から解放された新入生たちも、入学早々に勉強をすげー頑張ってるなんて話は聞きたくないだろう。


「実体験に乏しいなら、ご自分の想い出だけじゃなくてもいいんじゃないですか」

「ズバっと言うね。でもどういうこと?」

「周りの人たちがどういう風に楽しんでいるのか、それを会長の目線で伝えるのもいいんじゃないですかって話です。ユリさんでも、アヤセさんでも……なんなら私の話でも良いですよ?」


 毒島さんは、ちらちらと顔色をうかがうみたいにこっちを見てくる。

 私は彼女の言ったことをもう一度自分の中で反芻しながら、考えを巡らせる。


「ユリやアヤセがいかに楽しそうか……か。ありかも。でも、毒島さんはあんまり楽しそうじゃないから参考にならないかな」

「がーん! いや、仰るとおりでしょうけど! あなたに言われると釈然としないんですが!」


 怒涛の反論に、心の中でごめんと言っておく。

 でも、彼女がなんだかんだで強いのは最近理解してきたところなので、これくらいでへこたれはしないだろう。


「最近はわりと……楽しんでいるつもりなんですが」

「だったら楽しそうにして欲しいな。スマイル&スマイルでよろしく」

「それこそ会長には言われたくないんですが」


 そんな彼女の不満はもう私の耳には届いてなくって、頭の中では昨日の夜にしたためた祝辞の原稿を組み直しているところだった。

 大喜利をしたいわけじゃないけれど、私の口で語る高校生活のいかにつまらないことか。

 それならびっくり人間コンテストを開催した方が、いくらでも面白いというものだ。

 新しい祝辞の内容が、ぼんやりと頭の中で浮かんでは消えていった。