78. 長い夜

「痛いじゃない! 何すんのよ!」


 リリアンが透き通るようなアンバー色の瞳で俺をにらむ。


「こ、これは失礼しました。しかし、こんな夜にお一人で出歩かれては危険ですよ」


「大丈夫よ、危なくなったら魔道具で騎士が飛んでくるようになってるの」


 ドヤ顔のリリアン。その自信に満ちた表情に、俺は思わずため息をつく。


 俺は絶対リリアンの騎士にはならないようにしようと心に誓った。毎晩呼び出されそうだ。


「いつまでこんなところに立たせておくつもり?」


 リリアンは不機嫌そうに俺の顔を見上げる。


 俺としてはこのままお帰り願いたかったが、王族を門前払いなどしたら極めて面倒くさいことになってしまう。


「し、失礼しました……。中へどうぞ」


 俺は渋々リリアンを店内に案内した。


「ドロシー、もう大丈夫だよ、王女様だった」


 俺は二階にそう声をかける。


 リリアンはローブを脱ぎ、流れるような美しいブロンドの髪を軽く振り、ドキッとするほどの笑顔でこちらを見てくる。さすがは世界にその美貌を知られる王女様である。その完璧な美しさに、俺は思わず息を呑んだ。


「こ、こんな夜中に何の御用ですか?」


 俺は心臓の高鳴りを悟られないように淡々と聞く。


「ふふん、何だと思う?」


 リリアンは俺の顔をのぞきこみ、何だか嬉しそうに逆に聞いてくる。その声には、子供のような無邪気さが混じっている。


「今、パーティ中なので、手短にお願いします」


 俺は毅然とした態度で言った。絶世の美女の王族だからといって、ちやほやするのは俺の性に合わない。


 しかし、リリアンはこっちの話など全く聞いていなかった――――。


「あら、美味しそうじゃない。私にもくださらない?」


 リリアンはキラッと瞳を輝かせると品格のある仕草でテーブルへと歩き出す。


「え? こんな庶民の食べ物、お口に合いませんよ!」


 俺は苦笑しながら慌てて制止した。


「あら、食べさせてもくれないの? 私が孤児院のために今日一日走り回ったというのに?」


 リリアンは振り返って透明感のある白いほほをふくらませ、可愛く俺をにらむ。


 孤児院のことを出されると弱い。


「分かりました。ありがとうございます……」


 俺は慌てて椅子と食器を追加でセットした。


 リリアンは席の前に立つとしばらく何かを待っている。そして、俺をチラッと見る。


「ユータ、早くして?」


 一瞬何のことか分からなかったが、座る時には椅子を押す人が要るということらしい。その王族水準の要求に、俺はクラクラした。


「王女様、ここは庶民のパーティですから、庶民マナーでお願いします。庶民は椅子は自分で座るんです」


 俺は渋々椅子を押しながら、少し皮肉を込めて言う。


「ふぅん、勉強になるわ。あれ? フォークしかないわよ」


「あー、食べ物は料理皿のスプーンでセルフで取り分けて、フォークで食べるんです」


「ユータ、早くやって!」


 さすが王女様、自分では何もやらないつもりだ。その異次元の態度に、俺は軽くイラッとしながらも、今までに感じたことの無い新鮮な愛おしさも同時に感じた。


「最初だけですよ?」


 小首を傾げ、苦笑しながら、俺は料理を取り分け始める。


 するとドロシーがちょっと怒った目で俺を見た。


「私がお取り分けします」


 取り皿を取ろうとするドロシー。


 しかし、リリアンはピシッとドロシーの手をはたいた。その動作には何のためらいもなく、王族特有の威厳が感じられる。


「私はユータに頼んだの」


 表情はにこやかながら、鋭い視線でドロシーをにらむリリアン。しかし、ドロシーも負けていなかった。


「ユータのお仕事を私が手伝うのがこのお店のルールですの。王女様」


 二人の間に激しい火花が散る――――。


 王位継承順位第二位リリアン=オディル・ブランザに対し、一歩も引かない孤児の少女ドロシー。俺もアバドンもオロオロするばかりだった。


「のどが渇いたわ、シャンパン出して」


 俺を見上げるリリアン。


「いや、庶民のパーティーなので、ドリンクはエールしかないです」


 庶民がシャンパンなど飲むわけがない。俺は王族の感覚のズレっぷりに苦笑してしまう。


「ふーん、美味しいの?」


 リリアンの目に、好奇心の光が宿る。


「ホップを利かせた苦い麦のお酒ですね。私は大好きですけども……」


 俺の声には、庶民の誇りが混じる。


「じゃぁ頂戴」


 するとドロシーがすかさず、特大マグカップになみなみとエールを注いだ――――。


「王女様どうぞ!」


 ドロシーは笑顔でドン! とジョッキを置いた。


「あなたには頼んでませんわ?」


 いちいち火花を散らす二人。その様子に、部屋の温度が上がったような錯覚を覚える。


「と、とりあえず乾杯しましょう、カンパーイ!」


 俺は引きつった笑顔で音頭を取った。


「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」


 四人の声が重なり、一瞬だけ緊張が和らいだ。しかし、今晩は長い夜になりそうな予感に俺はふぅと深いため息をついたのだった。