30《 小説家 芳田裕介 》

——— 月日は流れ、世間は来月開催される2度目の東京オリンピックのことでもちきりだった。




世界中を震撼させた新型コロナウイルスの影響で本来の予定よりも一年遅れての開催となる。





あの頃は新型のウイルスが世界中で広まって、大勢の犠牲者を出したり、世界中が擬似鎖国状態に陥ったりするなんてことは予想だにしなかった。




そんな中、裕介の小説はこれまでにないほどに捗っており、完成まで残り一章というところまで迫っていた。




おそらく今月中には完成させることができそうだった。




良いテーマが浮かんだときの執筆スピードは、頭を抱えながら書いているときとは比較にならない。




そういえば、以前小説のテーマ決めやアイディア出しについて望に聞いたことがあった。






——— 「望さんの小説はお世辞抜きでどれも面白いんですけど、どうやって思いついてるんですか?」



夕食を食べながら雑談の中で聞いてみた。


「俺は2つ以上のものを無作為に掛け合わせることが多いかな。例えば…」

といってチラシの裏にサラサラにっと単語を書き出すと、望の講義が始まりを告げた。




甲子園 殺し屋 未来


こんな具合にただ適当に書き出す。

このうち、考えて出していいのは一項目だけだ。



例えば、刑事物にするのか、スポ根なのか、恋愛ものなのか、大枠となる部分だけは自分の案でいい。



あとは頭に浮かんだ言葉や目に付いたものなど適当に書き出すだけ。



これで確定しろって訳じゃないから本当に適当で大丈夫。



この作業は脳みそを叩き起こすためのスイッチみたいなものだから。

後でいじっても全然OK!



重要なのは、書き出した単語を声に出して読み上げること。



人間の脳は、不完全なものを補おうとするようにできているんだ。


ただ書くだけではその機能が発揮されない。



思い付きで書き出した、一見何の繋がりや関連性のない言葉の組み合わせ、それを読み上げることで、脳が足りない情報を補い、そこに小さな物語が生まれる。


頭に浮かんだストーリーをいい具合に組み立てるのは俺たちの仕事だ。




具体的には連想ゲームの考え方に近いかな。

実際にやってみようか。



軸としてのキーワードは『甲子園』だから…殺し屋が甲子園に出る。

そこに未来の要素はどうやって組み込もうかな、あ、タイムスリップで未来から来たことにしよう!

みたいな感じだな。



ここまでくれば脳みそは活性化されているから、それを掘り下げていくとこうなったら面白いんじゃないか?というアイディアを自然に吐き出してくれる。



実際にさっきのを掘り下げてみると…


未来からタイムスリップしてきた若き殺し屋が、ひょんなことから東雲高校の野球部に入り甲子園を目指すことに。



同時期に敵組織のライバルである殺し屋もタイムスリップしてきて同じ学校の野球部に入り、2人とも野球にのめり込む。


最初は歪みあっていた二人だが、初めての練習試合で負けてしまう。


殺し屋としては二人とも優秀で、これまでも任務で失敗したことは一度もない、そんな負け知らずの男たち。


その二人がこの敗北を機に、部活を引退するまでの約二年半の間、休戦を誓う。


相手に命を狙われる心配がない分、持ち前の集中力をいかし、野球のスキル上達に全ての力を注いだ。


その後二人はバッテリーとして大きな成長をとげ、数ある強豪校を破り、東雲高校史上初の甲子園出場を決める。

甲子園出場後も快進撃は続き、初戦で前年度準優勝の学校を倒し、その勢いのまま見事優勝を果たした。


初出場で初優勝という快挙を成し遂げた東雲高校野球部。

多くの学校が悔し涙を流す中、全国で唯一嬉し涙で夏を終えた。



そして二人の休戦協定は終わりを告げた......




まあ、ちょっと漫画っぽいけど、こんな具合に適当に書き出した条件でも即席のストーリーが作れる。



こういうことを繰り返して、その中でも自分が書きたいと思ったアイディアを選抜して実際に文字に起こしていく。


そんな感じかな!




これを遊び感覚でやっているとこの世の全てがヒントに思えてくるから、騙されたと思って暇な時にやってみな、絶対裕介の力になるから!




——— 今は亡き、恩師とのやりとりを思い出す。



このやり方に則り、裕介が決めたテーマは 【死刑囚×秘密結社×ドリームランド】



例のロケ番組を見ていた時に思い付いたキーワードたちだ。


本来ならドリームランドという固有名詞を使うべきではない。

普通ならモデルがドリームランドと誰もが気付くとしても、架空の名前でやるものだ。


しかし、これだけは何故か譲ることができなかった。




そうして全てを捨てて一心不乱に書き始めたこの小説も残すはあと一章。




完成したら望を初期から担当していた編集者の慶永が原稿を見てくれることになっていた。




彼もまた望の人間性を深く知り、今でも無実を信じている数少ない人間の1人だった。



望の身に起きた出来事を手紙から推察し、自身のフィルターを通して妄想に妄想を重ねて書き上げる。





そんなことをしていると、所々で望のくれたアドバイスが走馬灯のようにフラッシュバックしてくる。




小説を書いているときは、まさに望と会話をしているような気になれた。



そういえばあの時、こんなアドバイスをくれたなとか、あんなこと言ってたななど、当時は理解できなかったことも今ならわかる。




何よりも、自分の小説の結末が気になるという気持ちを体感し、望の言葉の真意が理解できた。


全てはこの境地につながっていたんだと気付く。



結末が気になるとはいっても、もちろん書き始める段階で結末は決めている。


しかし、それがわかっていても、自分の生み出したキャラクターたちはどう話を紡いでいくのか、


彼らはどのような言葉を発し、動きを見せてくれるのか...期待とワクワクが止まらない。





最終章へと取り掛かる前に、一度頭と気持ちを切り替えるために少し外を歩いてこよう。




望の姿を思い出す。


そういえば望さんも「頭を切り替えてくる」と言って時間に関係なく散歩をしていたな...



裕介は散歩がてら家から5分ほどの距離にあるコンビニへコーヒーを買いに行くことにした。




裕介の背中を夕陽が照らし、影が細く長くのびていく。


影に追いつこう、追い越そうとしても自分よりも先を行く。


そして夜になると姿を消してしまう。



そんな影に望の姿を重ね、ゆっくりと歩いていく。




この時、世間は間近に迫るオリンピックに向けてボルテージが徐々に高まっている。

そんなお祭りムードの裏で、1人の男が密かに動いていた。