異世界へのゲート。それは例えば地球とアーデーンとの間にあるもののように世界と世界を繋ぐものだけでなく、亜空間を経由した同一世界内の移動にも用いられる。その発生と維持には魔力を秘めたコアを必要とするため誰にでも扱えるものではないが、各国の首脳陣が友好国への速やかな移動を必要とした際にも開かれる。
出渕俊二のお別れ会に当たってもそれは開かれ、外相として活躍した彼を悼むため世界中から要人が集まった。
会場は、とあるセレモニーホールが選ばれた。皇国陸軍が17発の弔砲を鳴らす。それを喧しいと感じる感性と無知が、ヨウマの心だった。
夏だというのにスーツを着込んで体は火照る上、騒がしい蝉の声の中常に神経を尖らせておかねばならず、中々のハードワークだった。バーコード入りのステッカーを鞘に貼られた刀の柄を触りながら、どうにか早く終わらないか考えていた。
「坊やは帰りな」
黒服の男が、上からヨウマにそう言った。一見丸腰に見えるが、そのジャケットの内ポケットには拳銃が潜んでいるものだった。
「おじさんが拳銃を抜くより、僕が刀を抜く方が速いと思うけど、どうする?」
「ハッ、随分自信のある坊やだな。どこから来た?」
「アーデーンの、ユーグラスから」
「なるほど、そりゃ実戦経験が豊富なわけだ。殺しの数じゃ坊やに負けてるかもな」
「わかる?」
「殺気を感じるよ、守るためというより殺すためにここにいるようでさえある」
「褒めてくれてありがとね」
ヨウマは視線を外して会話を打ち切った。
車が来る。喪服に身を包んだ地球人の男女と花を持った護衛が降りて、神妙な面持ちでホールに入っていく。ハイエナのようなマスメディアのカメラがそれを追う。葬式の続きさえ、コンテンツなのだ。それを思うと、晴れ渡った空とは裏腹に、曇った気持ちになるのだった。
「ヨウマさん、いますか?」
ホールの中から、大声が飛ぶ。一人の青年が、出てきていた。
「何?」
「優香さんが来て欲しい、と」
「はいはい、今行くよ」
青年の後をついていく。扉一つ通れば、すっと静かになり、涼しい空気が肺を満たす。ホールに入れば、ビュッフェスタイルの会場で、小さな声で会話をする者達。笑顔の俊二の大きな写真が、ホールの奥に花々と共に飾られている。
静謐な空間を通り抜けながら、彼は視線を感じる。自分がイレギュラーな存在だということはわかっていた。それでも、ジロジロと見られるのは不快だった。献花台の前を横切り、裏側に入る。
「それで、優香はなんて?」
「自分も詳しいことは聞かされていませんが、随分と緊張されていらっしゃいました」
無機質な白い廊下を行き、『出渕優香様』と札の出された個室の前に着いた。キジマと冬治が扉の横に立って、休めの姿勢をとっていた。アイコンタクトで事情を共有しあってから、2回、ノック。
「どなたです?」
「ヨウマだよ、入っていい?」
「……うん」
妙な溜めが気になったが、彼はともかくドアノブを回した。中では、顔面蒼白といった具合の、黒ワンピースの優香が座っていた。俯いたまま発話はなく、震える右手を左手で握りしめていた。
部屋にあるのは、黒い手袋と封筒の置かれた鏡台と、パイプ椅子、ハンガーラック、バッグの置かれた荷物置き。
「手、握ってもらっていい?」
やっと出てきた言葉はそれだった。
「いいけど、どうしたの?」
「怖くて」
話を聞きながら、ヨウマは椅子を引っ張ってきて向かいに座り、彼女の手を取った。冷たい。それを、彼は揉んだ。
「大丈夫、なんて無責任なことは言えないけどさ」
少しずつ暖かくなるのを感じながら、口を開いた。
「でも、自分を信じて。困難に直面してる時は、成長しようとしている時だって、親父が言ってた」
「そう、なのかな」
段々と、彼女の頬が赤らんでいく。奇妙な沈黙が流れる。柔肌を触りながら、ヨウマは知らない温かみを覚えた。
「ヨウマ、立って」
「え? いいけどさ」
彼は立ち上がって相手の顔を見る。恥じらいと安心の混じった顔が、はにかんで微笑んだ。
「ねえ、ハグしていい?」
「いいよ」
とは言ったものの、優香は深呼吸を重ねるばかりで動かない。10回ほど息を吐いたところで、抱きついた。柔らかい感覚が、彼を包む。
「私ね、まだちょっとヨウマのことが怖いの」
「ヒトを殺すから?」
「うん。でも、私のために戦ってくれたことは感謝してる。ありがとう」
それが何だか面映ゆく、ヨウマは答えないまま抱き返した。
「そういえばさ、お婆ちゃんのところに行くって話はどうなったの?」
「お父さんの子供なんて知らないから、来るなって。ひどいよね」
「じゃあ、ホントにウチにいるしかないんだ」
「邪魔じゃない?」
「嫌ならこんなことしてないよ」
エヘヘ、と照れ隠しに彼女は笑った。
それからは、静かだった。体を預けられること。体温の交わり、心の交わり。胸元から聞こえる、呼吸の音。それらに浸れるこの空間が、ヨウマには心地よかった。
扉を叩く音がして、優香は体をビクつかせて離れた。
「お嬢様、お時間です」
冬治の低いトーンの声がそう告げた。
「あのさ」
鏡台の上のレースの手袋を取りながら、優香が言う。
「読むところ、見ててくれる?」
「わかった、見てるよ」
「迷惑かけてばっかりだね、ありがとう」
封筒を持った彼女とヨウマは部屋を出る。
人々の前に出るのは、優香だけだ。大きな写真の正面に立ち、彼女は封筒から折られた紙を取り出す。息を吸う薄い唇が震えているのを、ヨウマは認めた。
◆
夜。ホテルの廊下に立ち、優香のいる部屋の前で警備をするヨウマ。手を腰の後ろで組み、通路の一番奥から、誰もいない虚空を見続ける。退屈だった。
彼の背後で、扉が開いた。ネグリジェ姿の優香が半身を出していた。
「ね、ヨウマ。お話しよ?」
「ホテルの人から入るなって言われてて」
「じゃ、カフェ行こうよ。いいでしょ?」
「キジマと冬治に連絡するね──」
「お忍びで! 二人で出かけるって言うの、恥ずかしいし」
上目遣いで頼み込む姿を見ると、キジマに怒られたくないなあ──とは言えず、彼は首を縦に振った。顔が割れ、ゲートを通り抜けられないニーサオビンカが来るとは思えない上、そんじょそこらの地球人なら軽く斬り捨てられるという自信あっての了承だった。何はともかく、彼は腕時計を見た。9時を回ろうとしている。
「交代まで後3時間くらいだから、それまでには帰るよ?」
「うん! ちょっと待ってて、着替えてくるから」
バタン、と閉じた扉を見ながら、ヨウマは少し先のことについて考える。きっとバレるだろう。それでどういう不利益があるというわけではないだろうが、注意を受けるということ自体が嫌だった。
ぼんやりとしていると、優香が戻ってくる。薄手のパーカーとショートパンツという出で立ちだ。
「さ、行こ!」
優香はヨウマの手を取る。彼は、彼女の手を揉んだことを思い出す。冷たかった。柔らかかった。
(何考えてるんだ、気持ち悪いぞ)
引っ張られるままに、彼は歩く。彼女はスマートフォンの画面を見ながら、エレベーターを待つ。
(最悪だ、こんなこと考えるなんて)
1階に降りると、サングラスをかけた男とばったり出会った。男は右手に膨らんだビニール袋を持っていた。
「お嬢様、どちらへ?」
落ち着いた声は、冬治だ。
「えっと、散歩?」
「お二人で?」
「……いいじゃん、別に」
呟くように言った彼女は冬治の横を通り抜けようとする。
「頼みましたよ」
彼はヨウマにそう言い残した。
「わかった」
外に出る。
「チーズケーキが美味しいところがあるんだって。そこ行かない?」
「いいよ、行こう」
夜の東京は、思いの外静かなものだった。電気自動車がとうに普及しきったということもあるが、ヨウマには街全体が少ししんみりとした感覚を覚えた。
歩いて15分ほどのところに、優香のお目当ての店はあった。木造の落ち着いた雰囲気の店だ。
「何名です?」
「二人でーす」
熟れた口調で彼女は言う。平日の夜ということもあってか、客は少ない。
「こちらの席へどうぞ」
と通されたのはボックス席で、机の上にはメニューが置かれていた。
「いいとこだね」
「そうだね」
すぐに水が持ってこられる。
「ご注文はお決まりですか?」
「プレミアムチーズケーキとコーヒー、2つずつください」
ヨウマは淀みない注文を聞き流しかけたが、すぐに止める。
「僕は大丈夫だよ」
「いいじゃん、せっかくの東京だよ?」
「……ま、いいけどさ」
結局、注文は優香の言う通りになった。
「こういうところ、よく来るの?」
「友達と行ってたよ」
彼女は両手でコップを持って水を飲んだ。
「また好きに行けるようになったらいいなあ」
「そうなるよ、すぐに」
無慮に、彼は答えた。
不思議とどちらも黙って、夜の雰囲気に沈んだ。
10分ほどして、言った通りの品が出てきた。
「こういう贅沢も、これが最後かな」
なんてことを、彼女は影のある表情で言った。
「なんで?」
「お父さんがお金持ちだから色々できたけど、これからは好きにお金を使える生活じゃないから」
「ウチで働く?」
「それもいいかもね」
彼女はフォークを取って、ケーキを一口運んだ。しっとりとしたそれを口に含めば甘さが広がり──優香は涙した。
「大丈夫?」
「なんで……なんでお父さん死んじゃったのかな」
ヨウマは何も言えなかった。啜り泣く声を聞きながら、必死に言葉を探した。しかし、ない。
「お父さん、何か悪いことしたのかな」
「それは……」
殺されて当然の人などいない。そう言いかけて、彼は詰まった。誰かを殺そうとする存在を、そして実際に殺した存在を、彼は数多く手にかけてきた。彼らは果たして死んで当然だったのか? 悩めば、底はなかった。しかし殺さねばならなかった。ならなかったのだ!
「僕は、さ」
たどたどしく彼は口にする。
「お父さんのこと、何も知らないよ。だから慰めるのもうまくできないんだけど、その、なんていうか──全然言葉が出てこないや」
「気持ちだけでも嬉しい」
「なら、いいんだけど」
彼女は涙を振り払うように笑顔を見せる。それを前にして、彼は無力を痛感した。周囲からの注目を感じ取る。何かしなければという思いはあるが、何をすればいいのかわからない。苦い想いを抱いたまま、彼はチーズケーキに手をつけた。
「ごめんね、暗い話しちゃって」
「優香は悪くないよ、そういうことを考えるのは、自然なことだと思う」
その場しのぎじみた精一杯の言葉を彼は紡ぐ。涙が彼を快の方に傾けることはない。どうにか心から笑ってほしいと願うが、心を変える術を学んではいなかった。
「ヨウマはさ、自分の親のこと、知りたいと思う?」
食事も幾らか進んだあたりで、優香が問うた。
「正直興味ないかな。今更出てこられても、僕としては困るだけだよ」
「一人で生きていけるから?」
「一人、じゃないけどね。家のこと全然できないから、深雪がいないと死んじゃうよ」
ケーキを平らげた彼女は、皿をどけて机に突っ伏した。
「遺産のこととか、考えたくないな~」
「大変なの?」
「お父さんの知り合いの弁護士さんが後見人になってくれるから私が特別することはないんだけど、お金の管理って難しいじゃない?」
「家計簿とか深雪につけてもらってるからなあ。深く考えたことないや」
「ヨウマはジクーレンさんが父親をやってるけど、深雪ちゃんはどうなの?」
「親父が後見人になってるよ。ま、親父がどうこうすることはないんだけど」
二人はほぼ同時にコーヒーを飲んだ。
「ヨウマ、あのさ──」
ガラスが割れた。ヨウマがその方を見れば、赤い角が見えた。
「オビンカ……」
彼は呟きながら、机に立てかけていた刀を持つ。割れた窓から、オビンカが入ってきた。窓際の机の上に立つ。幸い、そこに客はいなかった。
「見つけたぜ、出渕優香!」
敵は二人の男。1本角と、2本角。手には鉈。上裸で、見えるところに甲殻はない。背丈はどちらも230センチほど。
「夜明けのタルカ、ってやつ?」
立ち上がり、ボックス席から出ながらヨウマは言う。
「そうさ。今度こそ連れて行かせてもらうぜ」
ヨウマは刀を抜く。それを見た他の客がキャーキャーと悲鳴を上げるが、そんなことはお構いなしだった。
「なんでそんな優香を狙うわけ?」
「ガスコ様は出渕優香の身柄をご所望だ。怪我したくなけりゃとっとと差し出しな」
「ガスコ……誰だっけ?」
「ニーサオビンカ第1席だ! 貴様、生きては帰さんぞ」
1本角が走り寄ってくる。ヨウマは軽々と鉈を持つ方の手首を切断し、動揺したところで腹を刺して押し倒した。そのまま喉笛を掻き切る。血が飛び散って、優香にかかった。
「1つ、質問いいかな」
残った方に切っ先を向けながら、彼は言う。
「どうやってここまで来たわけ?」
「ニェーズの二人くらい、いくらでも隠蔽できる」
「あっそ。なんでもいいけど、早く降参しなよ」
「黙れ!」
1本角はクリムゾニウムの指輪を嵌めた左手に、炎の球を生み出して、投げた。それに対してヨウマは雷の槍を投擲。ぶつかれば、閃光が店内を満たした。その中を駆け抜け、ヨウマは敵に接近する。カキン、カキンと金属のぶつかり合う音が何度も響いた。
ヨウマは距離を取る。剣技は拮抗。ヘッセで状況を変えたいが、一度見せた技が通用する自信はない。左手にバチバチと鼓動する稲妻の球を維持しながら、彼は考える。
つくづく不器用だ、と彼は自嘲する。投擲は、それ自体の都合により、読まれやすい。いつぞや見せてもらった、投擲を介さずレーザーのように打ち出す術。それをここで再現できないかと思う。ヘッセとは意志の力であって、必要なのは強固なイメージだ。朧気な記憶だけで、実現できはしなかった。
「そっちが動かないなら、こっちから行くぞ!」
1本角が来る。球を掻き消し、ヨウマは刀を両手で握った。唐竹割りを弾き、袈裟斬りを仕掛ける。トッ、というバックステップでそれを躱した1本角は、水の弾丸を生み出して、放った。切り払い、ヨウマは相手を追う。
その時、何者かが1本角の背後から飛び込んできて、ダブルアックスハンマーで頭部を殴りつけた。キジマだ。蹌踉めいたそれの頬を、彼は更に殴った。
キジマの方を見た1本角のアキレス腱を、ヨウマは斬りつける。倒れ込んだ彼の右手を、ヨウマは刺した。
「動くな!」
声がした。拳銃を握った警察官が立っていた。ヨウマは溜息を吐いて、両手を上げた。警察官はジリジリと近づいて、彼のポケットを探る。『武器携行許可証』を見つけた警察官は、彼の顔を何度か見た。
「貴方が、制圧したと?」
「僕と、隣のキジマがね。帰っていいかな」
「……報告書を、警察の方に提出していただく必要があります」
「知ってた。いいよ、書くよ」
ヨウマは刀を引き抜き、血振りもせずに納めた。クリムゾニウムを鍛えて作られた武具は、血を吸う。それは彼の愛刀とて例外でなかった。
ワラワラと警察官が店の中に入ってくる。
「優香、怪我してない?」
彼女は震えていた。言葉など出ない様子だ。
「ごめん、怖がらせたね」
静かに、彼は手を差し伸べる。彼女は、今度も握れなかった。