それでは、だ。
それでは、人が何となく感じたその感覚を完全に否定してしまっていいのだろうか。
漠然とした予感は予知ともいえず、もちろんそこにたどり着くための仮定すら存在しないのだから、肯定しろと言われればそれは難しいことだろう。
だがしかし、それが百パーセント間違っている間違っているわけではないことを人間は知っている。
要するに、予期不安や反実仮想と呼ばれる現象ども。
____それを発展させていったのが、何の脈絡もない”占い”というものだったり。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
星見琴光が戦闘をしている、とそう感じたのがみことの第六感でなかったとしても、この結果はおそらく誰一人として可能性から排除してきたものだっただろう。
光は、息を切らしながら近くの廃墟へと身を投げ入れた。
東京西部、《セカンド》とは異なり、異様な発達を見せたその街の、工業地区にはやはりそれなりの廃墟は点在している。
古ぼけた、とも言い難いその建物の壁に寄りかかりながら彼女は切らした息を落ち着けるように深呼吸を数回繰り返した。
そうして、誰に言うまでもなくただただ一人つぶやく。
「
S級。
圧倒的な存在感で地域にも、日本にもその名をとどろかせる代表たちのそのNo4。
五本指に君臨する最強の高校生の一人である光がそんな言葉をこぼすのはいったいいつぶりだろうか。
しかし、彼女はこの場所でそんな言葉を漏らしたのだ。
そうして、自分の左の上腕を右手で押さえつける。
「痛……」
痛々し気にそれを押さえつけながら、彼女は建物の外側を見る。
血が流れてきていないので、内側の負傷かあるいはただの激痛か。
だとしても、彼女が逃げ出してきたというその事実はどこからどう見ても変わるものではなかった。
(誤算、だった)
こうなるくらいならば、友野を頼ればよかったと光は思う。
彼ならば、巻き込んだとしても苦労はしないことだろうし、そもそも彼に本気を出させることができれば光なんておそらく必要がないのだから。
チッ、と舌打ちをこぼしてそれから光は左腕を開放した。
(うん、大丈夫。痛みは引いた)
一度くるくると動かしてみて、問題がないことを確認した彼女は壁を伝うようにして地面に座り込む。
まるで疲れた、とでもいうかのようなそのしぐさは彼女らしくないといえばらしくはないだろう。
「まっさか、奴らの方から誘い出されるとはねぇ……」
流石に予想ができなかったわよ、と光はため息をついた。
そう、進とみことが学校内を楽しく巡り巡っている間に動いた光は、予期せぬタイミングで奴らからの攻撃を受けた。
しかも、
(私が、半分常時展開してるウエポンの壁を一発で撃ち抜いた?)
ほとんど相殺に近い形となったが。
左腕を押さえたのはそのせい、か。
しかし、それが異常なことと言うのを周囲の人間が聞けば真っ先に考えるだろう。
「確かに油断はしてたけど……、油断はしてたんだけどねぇ」
単純な弾丸やウエポン如きに光のウエポンが相殺されるようなことはないはずだった。
実際、弾丸がその風の壁を貫通することができないと言うのはずっと前に献上済みだった。
それが今になって破られた?
あり得るはずがない。
「だから、もっと何か別の____」
そこで、ふと光の脳内には《|土人形《ゴーレム》》が浮上してきた。
自分の中の何かが吸い取られていくような____、進はその時の感覚にそう感じていたか。
いや、まさかね、と光は自分の頭の中に浮かんできた突拍子もない考えを首を振って追い払う。
他人の《|能力の核《オーブ》》に干渉するだなんて。
あり得るはずがない。
否、この世界が能力至上主義である以上はあり得てはいけないことなのだ。
「そう、そんなことはありえないのよ」
どんな組織が総出を上げたとしても。
人類の奥底までは届くことができないように。
光はそう考えておもむろに顔を上げた。
コツン、コツン、と響いてくるのは無防備にもゆっくりとしたそんな足音。
しかし、その足取りはわざわざここに出向いてやったぞ、とそんな雰囲気を纏っていて光もそれに対してそれほど驚いてはいなかった。
「こんなところにノコノコと現れて大丈夫なわけ?」
「逆に貴様を殺せるチャンスがあるのならば、いついかなる時であろうと組織のために死ねるさ____と、最近まではそう思っていたのだがな」
失笑するようなその声に、光は怪訝な顔をする。
まさか自分の命が惜しくなったというのだろうか。
ついこの前まで命を狙っておいて?
なんて考えは、次の瞬間には否定されることとなった。
「喜べ星見琴 光。組織の最優先攻撃先は貴様ではなくなったぞ?」
「?」
執拗に自分が狙われているのはわかっていたが、まさか自分以上に危険視しなければいけない存在を見つけた、とでもいうのか。
あるいは、自分以上に組織にとって役に立つ人材を見つけたのか。
「……それで表社会の存続を揺るがすというのならば、私は容赦しないわよ?」
「嫌だなぁ。殺し合った中じゃないか」
飄々と気取るように男は言う。
うへぇ、と苦虫を噛み潰したかのような顔になりながら光は一言。
「これだから男は」
「おや? お褒めに預かり光栄だなぁ」
「褒めてないわよ、気持ち悪い」
衝突。
先に仕掛けたのは一体どっちだったか。
そんなことはどうでもいい。
打ち勝ったのが光であると言う事実を除けばそれ以外はどうでもいい。
ビル全体が細かく揺れる。
そんな中でも相対する二人はただ冷たく見つめ合っていた。
「で、その報告のためだけに私に接近してきたと?」
「接近してきたのは貴様の方だと言うことを忘れるなよ、《風神》様。大人しく殺されておけば良かったものを」
「はっ、誰に向かってその言葉を吐いているのか理解しているのかしら。下っぱさん」
対立関係、その極端な例がこれだった。
表社会と裏社会。
ほとんど同じ場所に生きているくせして決して分かり合えぬそんな存在。
光は、鬱陶しげに首の後ろを掻く。
艶やかな頸が一瞬あらわになるが、特にそれを気にする人間はそこにはいない。
戦闘、と呼べるものは突然に始まった。
「《風神》解放」
「……っ」
光の攻撃はピンポイントに男の心臓部分を狙って、それを予知したかのように男はバックステップで回避した。
攻撃のし場所を失った風は光の支配下を離れて、壁にぶつかった。
ゴォ、と部屋の中で風が吹き荒れる。
「次の標的は誰? いいなさい」
「はっ、まさかそれで俺が貴様の問いに答えると?」
再び攻撃。
今度は光の攻撃を避け切ることができずに男は中へと体が投げ出される。
しかし、それでも華麗に着地すると再び光の方を見据えてくる。
「……」
「どうして反撃してこない? と言いたそうな顔だな」
「えぇ、まぁそうね」
もはや光は目の前の男に興味はなさげだった。
そもそもの話、裏社会を生きる人間なんかに興味関心というものを持っていなかったか。
「でも、あんたが反撃してこないことはどうでもいいのよ。次の標的について答えなさい。
「殺す、ねぇ。それは表の法律に触れるんじゃないのか? 貴様はやってはいけないことをやると?」
できないだろう、と嘲笑うのは目の前の男だ。
光はその瞳に対して怖けづきもしなかった。
逆にそれを嘲笑った、といっても過言ではないだろう。
「えぇ、やるわよ。……それと認識を改めなさい」
それから不敵に笑った。
「表社会で人殺しをしてはいけない? そんなわけないわよ。ただ子供の頃に人を殺してはいけないって刷り込まれてるだけ」
ほう、と男が一瞬面白そうな顔をしたのに、光は気が付かなかったか。
あるいは気がついてなお無視を貫き通したのか。
おそらく後者であろうと予想はついているが。
「人を殺せばそれなりの罰は降る。でもね、人を殺してはいけないという法律は存在しないのよ」
だから、いざとなれば人を殺しても良いのだ。
極端な解釈だが、まぁそれは仕方がないか。
命は取られる前に取らなければ、生きていけない。
それ相応の覚悟を持っておかなければ、S級なんてやってられない。
「……それだったら、今日貴様と殺し合いができないのが残念で仕方がない。上の命令は絶対だからな」
「それはどういう」
「言っただろう? 最優先の標的は貴様ではなくなったのだ。貴様にわざわざかまってやれるほど我々は暇ではないのでな。____今日のところはさらばだ」
「っ、待ちなさい!!」
ふわり、と一瞬男の体が浮上した。
それに対して干渉しようととっさに光は能力を開放したが、結果むなしく目の前の敵は言葉通りに消えてなくなった。
光は唇をきゅっと噛む。
「”空間干渉系統”……。あいつのウエポンじゃなさそうだったから、やっぱり周囲に仲間がいたのね」
わかっていたけど、と呟いて光ははぁーとまた深いため息をつく。
(なんで、何がやりたいのよ。《|ハンター《・・・・》》は)
そう。
光が追っていた。
逆に光が追われていた。
____そんな組織に名前は《ハンター》。