夢の世界から、現世へと帰還するのは実に一瞬のことである。
その間に、夢の中での記憶のほとんどは脳のどこかに保管され、取り出せなくなってしまう。
通常ならば。
(……やけに鮮明に覚えてるな)
目覚めた進は体を動かすよりも先にそう思った。
それから、寝起きの体を伸ばして目をもう一度しっかりと開ける。
そこでやっと、違和感に気がついた。
(知らない、部屋……)
「あぁ、そうか。本当に俺は異世界に来たのか……。え、まじで?」
若干自分の口から声が出ることに感動を覚えながら進は困惑したような声を漏らした。
“異世界転移“なんてものに飛びついてしまった進だったが、実はただの夢なんじゃないかと心の奥底ではその言葉を疑っていたことは否定できない。
故に今こうして困惑しているのだから。
「誘拐……なんかじゃなさそうだな。しかも」
ガシャァァァ____と、進はその部屋で閉まっていたカーテンを一気に開放する。
そうして開けた先で進の目に飛び込んできたのは壮大な青空と共に大地を埋め尽くさんばかりの建物……ではなかった。
確かに建物はそれなりに密集してはいるが、東京都区画____俗に言う二三区内に比べればそこまでと言ったところだ。
問題なのは、
「ここが、西部区域の中ってところだよな」
一概に東京都とは言っても人口の少ない部分、もっといえば自然浸食されていない場所というものは存在した。
二三区より西側に行くにつれてそれが多くなるというのは分かりきったことだったが。
今まさに目にしている光景はその進の常識を遥かに覆すものだった。
(東京西部を開発して街にしてしまうって……どこの学園都市だよ)
この区画内にかなり優秀な中学、高校が集まっていると進がメモリーに半ば無理矢理突っ込まれた知識の中に存在したので、それもあながち間違いではなかったが。
流石に人口の八割が学生だなんてそんなことはないよな、と進は苦笑しながらそう思った。
しかし違和感を感じるのは、高層ビルなどが少なくそれなりに辺りを見渡せてしまうことか。
(____まぁとりあえず)
メモリーのいうことが本当なのならば、と進は口元を歪める。
《ウエポン》という異能力。
《錬金術》という、現世にありそうでなかったもの。
あるいは____。
(ロマン!!)
正直、進は自分でも気持ち悪い行動をしていることはわかっていたが、そこは御法度ということで。
「とはいえこの時間に部屋の中でゴロゴロしてるってのも面白くないしな……」
あちらの世界でならば、スマホをいじってゲームを延々とすることも少なくはなかったのだが、それはあくまでも退屈な世界からの現実逃避だった。
せっかくの新しい世界、せっかくの異能。
そんな自分に退屈な日々を送らせてくれないような要素があるのに今までと同じ生活を送るなんて、進のプライドが許すはずがない。
キィ、とそんな小さな音を立ててドアを開けるとそこの空気を進は思いっきり吸い込んだ。
(____うん、まずい)
仮にも都市開発されて、都会となった場所。
農村や山奥の中で吸う空気とは全く違う味がするのは当たり前なのか、と進は苦笑する。
苦笑してなお、もう一度大きく息を吸い込んだ。
「書を捨てよ、街へ出よう……か。なるほど、確かに街は未知に溢れてる」
ヒュゴォ、とどこからか風がなびいてきたのを感じた進は、その方角を見やった。
たいしてそれに意味はなかったので、いわゆる条件反射といったところだろう。
「さぁて、行ってみますか異世界探索‼︎」
***
それからしばらくの時間が経って、昼過ぎ。
街自体はそこまで異質さを感じさせなかったが、やはり細部まで見てみれば
進が物珍しそうに、ひっそりと佇んでいた店のそのショウウィンドウに並べられた商品を眺めていると、店の経営者のいかついおっさんに声をかけられた。
「そこら辺は、《|能力の核《オーブ》》の放出を助けるタイプの補助機器だが……、兄ちゃんそっち関係が不得意だったりするのか?」
(……《|能力の核《オーブ》》って、えぇと?)
ありえないくらいに短時間で詰め込まれた知識の中からそれの情報を進は引っ張り出す。
《|能力の核《オーブ》》。
あるいは、《万能元素》。
周期表の中に収まるということを知らない、どこにも属さず環境によって
というのが進がメモリーから受け渡された知識だ。
「特にそんなことはないですね。ただ気になったから見ていただけ、というか」
まぁそもそもの話、《ウエポン》の一回も発動させたことはなかったのだが、そこら辺は話すべきことでもないので黙っておこうと進は思った。
進のその反応に対しておっさんが腕を組んで、うむむ……と唸るのが見えたので首を傾げる。
「いや、兄ちゃんはそういうけどよ。俺から見れば兄ちゃんはなんていうか……。そうだな、まるで赤子だ」
「っ!?」
赤子、というのは間接的な比喩だ。
このおっさんは、自分が他とは違う存在だとその目で気がついたのだと進は理解して、危うく声が出そうになった。
別に法に触れるようなものではないはずだから隠す必要はないのだが。
(これも、《ウエポン》の?)
「あぁ、そんな警戒しないでくれよ。こちとら日頃からその分野において最強格と言ってもいいくらいの人間と関わってるからなぁ。なんとなくだなんとなく」
「……なんとなく?」
「おうよ。俺の《ウエポン》が観察するタイプのやつだってことは間違いないけどよ。あくまでもこの目は職業柄だ。力はまだ他にある」
つまり、このおっさんは進のそれをただ見るだけで看破した、とでもいうのか。
ゾクリ、と進は背筋に悪寒ともまた違う何かが走るような感覚を味わった。
「おっさん、何気にすごい人?」
「おうよ、何を隠そう俺はすげぇやつだ。神と呼んでくれてもかまわんぞ?」
「ハッハッハ。だが断る!」
人柄がいい、ということがその目を恐怖の対象にできない所以なのかもしれないと進は思う。
その目を職業だけに使っているとは限らないが、敵意を感じることは一切ないのだから。
フッと進は口元に笑みを浮かべた。
「おっさんはそこに座って仕事をしているだけで退屈にならないのか?」
「あぁ? 確かにこの店はそこまで客が入ってこねぇ店だけどよ。今この瞬間を退屈だとは思ったことないぜ?」
ほぅ、と進は嘆息する。
刹那の時間の関わりだが、このおっさんは面倒臭ぇとかいって逃げ出しそうだなと進自身が思っていたから。
「なぜって顔をしているな」
「……まぁ」
図星なのを進は否定はしない。
「理由は二つあるな。一つ目は、今兄ちゃんみたいなおもしれぇ客に出会えることがあるってことだ。大量に客を呼び込んで利益を出すあのクソみてぇな職業だったら俺は今頃辞めてるだろうさ」
「へぇ、どうして?」
「対等なコミュニケーションがないってのは窮屈だろうが。“お客様は神様です“なんてうたってる店もあるけどよ、客も店主も平等だろ平等。あと、洗練されただけの対話術ってのは面白くねぇ」
「じゃぁ少なくともこの職業をしている間は面白いんだ?」
「だから退屈しねぇっていってるだろう? 客は面白れぇしな。ハッハッハ!」
本当に楽しそうなもんだ、と進は心の中でそう呟く。
同時にこのおっさんはやっぱりすごい人間なんだなとも。
当たり前の日常に、何かスパイスになるようなことをする。
日常から逃げてきた進にはできなかったことだから。
進は自分の選択を間違えたとは思わないが、少しだけこのおっさんを羨ましいなと思った。
「あぁ、それと二つ目の理由だがな」
ニヤリと、おっさんは口角を上げる。
進がそれに対して戸惑いの念を返した瞬間のことだった。
ガラガラと音がして、今となっては珍しい手動のしかも横開きのドアが彼の後ろで少しの息を衣をつけて開けられた。
新しい客か、なんて思って振り返った進におっさんは面白そうに呟きかける。
「彼女が二つ目の理由だな」
そこに立っていたのは、学校の制服を身につけた少女だった。
そのロングに伸ばされた髪の毛がサラサラと気持ちよさそうに揺れていた。
飾り気はない。
でも、それでも進は彼女を綺麗だと思った。
「全国一億人弱のウエポン権能者、中でも百人程度しか名乗ることのできない全国区としてのS級。そのNo4」
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