第33話 告げられた真実

 王宮は王都の中心にある広大な敷地にそびえ立つ、まさに王国と王家の権威の象徴のような建物である。建物というよりも一つの小都市と表現したほうが近いかもしれない。

 ガラガラと音をさせて馬車が車寄せに停まり、ドアが開かれた。先に降りたローレンスに助けられてリリアーヌも王宮の表玄関に降り立った。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 女官らしき女性に案内されていくつもの回廊や庭を抜け、奥へと歩を進めるうちにリリアーヌは自分が今どこにいるのか全く分からなくなってしまったが、流石にローレンスは手慣れた様子で悠然と歩いていた。


 やがて辿り着いた部屋はさほど広くなく、壁際に大理石の暖炉、中心に二人掛けのソファと一人掛けの肘掛け椅子が数脚、美しい象嵌の施されたテーブルといったしつらえで、政治を論ずる場というよりも私的な応接間、といった雰囲気だった。


「少しお待ち下さいませ」

 女官がお辞儀をして出て行ってしまうと、ローレンスとリリアーヌは馬車の中と同じような気づまりな沈黙の中、並んで座っている他になかった。

(素晴らしいお花ね……)

 仕方なくテーブルに飾られた豪華な花瓶と、そこに活けられた色とりどりの花々を見るともなしに見ていると、やがて廊下にゆっくりとした足音が聞こえ、人の気配がした。

 するとローレンスがソファから立ち上がり、床に片膝をついてこうべを垂れた。慌ててリリアーヌもスカートを持ち上げると床に跪く。

 これから相まみえる人が誰なのか、不安と緊張で動悸が早鐘のようだ。


 ドアが開き、足音が近づいて来て、頭上から男性の声がした。


「よく来たな、ローレンス」

「ローレンス・フィッツジェラルド、参内いたしました。国王陛下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」


(国王陛下!?)


 リリアーヌの全身の血液が心臓に集中した。足がガクガクと震え、冷汗が背中を伝った。

(どうしてローレンス様とわたくしが国王陛下に?)


 だが何が起こっているのか全く理解が追い付いていないリリアーヌを尻目に、国王陛下と呼ばれた男性はああまたかといった様子でローレンスに答えた。

「そういう堅苦しい挨拶は止めてくれといつも言ってるではないか。……ところでこちらがくだんの婚約者殿か?」

「はい」

 声が自分に向けられたことを感じたリリアーヌは震える声を必死で落ち着けて挨拶を返した。

「お初にお目にかかります。リリアーヌ・オルフェウスでございます」

「リリアーヌ嬢、顔を上げられよ」

 威厳に満ちた、それでいて温かみのある声に促され、リリアーヌが顔を上げると、そこには肖像画で見たのと同じ、背の高い男性が立っていた。


「……ほう、これはなんとまあ、ローレンス」

「陛下」


 王は驚きの声を上げてローレンスに意味深な笑みを投げかけたが、軽く諫められると再びリリアーヌの方を向いてにこやかに言った。

「国王レオ三世だ。よく来てくれたね、リリアーヌ嬢。さあさあ座って楽にしてくれ」

「恐れ入ります」

 王がそう言いながら肘掛け椅子に腰かけたので、ローレンスとリリアーヌも再びソファに腰を下ろした。


 茶と茶菓子が運ばれて来ると、王が女官に命じた。

「人払いを」


 女官が恭しく礼をして退室し、部屋には三人だけが残った。すると突然王がリリアーヌに菓子の載った皿を差し出して言った。

「リリアーヌ嬢、菓子は好きかい? これ美味しいよ、食べてごらん」

「え、え? へ、陛下、畏れ多いことでございます」

 さっきまでの威厳はどこへやら、度肝を抜かれたリリアーヌが思わず身を引くと、ローレンスが助け船を出してくれた。

「陛下」

「いいじゃないかローレンス。大体お前がちっとも訪ねて来ないから……それにしてもこんな美しいご令嬢、今までどうやって隠していたのだ」

「見世物ではございません」

 ローレンスがぶすっとした声で答えると、王はふーん、という顔になった。

「突然すまないね、リリアーヌ嬢。なにしろ今まで浮いた話の一つもなかったローレンスが突然婚約したと聞いてね、どうしても婚約者殿に会ってみたくなって無理を言ったんだよ。いやしかし、ローレンスには勿体ない相手だな」

「あ、はい、あの……」

 どう答えればいいのか皆目見当がつかず、曖昧に笑顔を返すしかなかったが、王はにこにことローレンスとリリアーヌを交互に見ている。


 およそ考えていた国王陛下の印象とはかけ離れてはいたが、リリアーヌは少なくとも王が親愛の情を示して下さっていることを何となく感じ取った。

 だが隣にいるローレンスは仏頂面のままで、声も明らかに不機嫌そうな様子だ。

「陛下、お気は済まれましたか。ご挨拶は済みましたので、退がらせて頂いてよろしいでしょうか」

 国王陛下にこんな物言いをして大丈夫だろうかとリリアーヌは心配になったが、果たして王はあからさまに悲しそうな顔をされた。

 そして次の言葉を聞いた瞬間、リリアーヌの周りで時が完全に止まった。


「どうしてお前はいつもそういう素っ気ないことばかり言うのだ。それにここで陛下と呼ぶのは止めてくれといつも言ってるだろう、


「え……」


 リリアーヌの手から扇子がぽとり、と床に滑り落ちてかすかな音を立てた。


(弟……? ローレンス様が……? 国王陛下の……弟……まさか……嘘……)


「陛下!!」

 ローレンスが椅子から身を乗り出して叫んでいたが、リリアーヌの耳には入って来ない。


(弟……おと……うと……)

 ぐらりと世界が揺れたリリアーヌは、床に倒れ込む寸前で誰かに腕を掴まれて正気に戻った。その誰かがローレンスであることに気づいた瞬間、リリアーヌはぱっと腕を振りほどいて顔を背けた。


(……嘘よ……誰か、嘘だと言って……)


 だがその時、先ほどまでとはまるで違う国王の厳しい声が聞こえた。

「やはり話していなかったのだな、ローレンス」

 回らない頭をゆっくりと上げて隣を見ると、ローレンスは握りしめた両の拳を膝に置いたまま、真っすぐ前を見つめていた。リリアーヌの方を見ようとすることもなく、表情は硬いままだった。

「どうするつもりだったのだ?」

 更に厳しい声で問われたローレンスも固い声で答えた。

「式までには話すつもりでおりました」

 そんなやり取りもリリアーヌにはどこか遠い世界で自分の全く知らない人間同士が会話しているようにしか聞こえない。


「リリアーヌ嬢」

 国王の心配そうな声でリリアーヌははっと我に返った。

「顔が真っ青だ。無理もないと思うが、大丈夫か?」

「は、はい」

 大丈夫ではないに決まっている。だが必死で頭の中を整理して、少しでも落ち着こうと努めたので、何とか返事はできた。


「突然こんなことを聞かされて、さぞ驚いただろう。だが今日私がローレンスだけではなく婚約者の貴女までここに呼んだのには訳があるのだ。その話をするにあたってはどうしても私達の関係を理解してもらう必要がある。ローレンスがまだ貴女に何も話していないのであれば、今この場で私から説明しても構わないか?」

 リリアーヌはローレンスをそっと盗み見ると、国王に向き直った。

「陛下、お願いいたします……」


 国王は優しい目でリリアーヌに頷くと、長い話を始めたのだった。


「僕とローレンスの父、つまり先王は、若い頃、とても女好きでね……」