京都の住民は御所と呼ぶ京都御苑。その東面に当たる寺町通に面した寺町御門。
スセリが現出させた異空間の境界となった寺町通は、すでに警察によって封鎖されていた。今は巨大な漆黒の壁がそびえる寺町御門の位置には、事件現場のようにブルーシートで囲いがされている。
政府が京都レクタンギュラーと名付けた異空間の現出から約七時間が経過した、午前七時過ぎ。
テントのように張られたブルーシートの中に、ネイビーのパンツスーツを着た長身の女性が入っていった。
囲いの中では警察官三名と自衛官四名の他に、イルリヒトの後藤隆一と猪上珠緒が業務に当たっていた。
警察官と自衛官は全員が制服組で、長身の女性を一瞥はしたが無言で業務を継続した。
漆黒の壁の前に立つ後藤と猪上は私服だった。チャコールグレーのスーツを着た後藤と、ベージュのトレンチコートを着た猪上が長身の女性に気付いて振り向いた。
「イェンリンさん。どうぞ、こちらへ」
猪上が長身の女性に声をかける。
「お疲れ様です」
イェンリンは短く応じて、後藤と猪上に近付いた。
後藤は平静な表情のまま口を開いた。
「早速ではあるが、異空間に入ってもらう。速やかに鈴江、千種の両名と合流して欲しい。食料をはじめ必要な物資は躊躇せず現地調達してくれ。この状況ではバックアップもままならないが連絡は密に頼む。九名で協力して、スセリのいうゲームをクリアし、京都を解放してもらいたい」
「了解しました」
イェンリンは短く答えると、漆黒の壁の前に立った。
右手を伸ばし、そっと壁に触れると何の抵抗もなく右手が壁を通り抜けた。一度だけ深呼吸したイェンリンが、壁に向かって一気に踏み込む。
壁を通り抜けたイェンリンの前には、スセリが立っていた。
微笑を浮かべるスセリがイェンリンに声をかける。
「はじめまして。
日本人形めいた幼女を見て、イェンリンは直感した。
「あなたが、スセリね?」
「そうです。早速ですが、ログインしていただきます」
スセリはイェンリンに告げると同時に、指をパチンと鳴らした。
イェンリンの全身が明るい緑色の光に包まれる。
ほんの数秒で緑色の光が消えると、イェンリンの服装と髪の色が変わっていた。
黒髪のロングヘアーは鮮やかな紅色に変わり、服装は豊かな胸を強調するような深紅のワンショルダードレスだった。
「これが……コスチュームってわけ?」
「はい。燕玲さんのゲーム内での属性は火です。それに合わせたものとしました」
「火だから真っ赤って安直じゃない? しかも、ずいぶんと薄着だし、これじゃあ……あれ? 寒くない……」
まだ肌寒い朝の空気に肌を晒しているにも関わらず、寒さを感じないことにイェンリンが驚きを示す。
「プレイヤーの方々には、ほぼ生身でゲームをプレイしていただきますが、完全な生身ではありません。寒さや暑さへの耐性は上げています。腕力や俊敏性などの身体能力もレベルに応じて上がります」
「ほぼ生身、ね……」
「ゲームに関する詳しい説明は、斎さんと碧さんから聞いてください。では、わたしは消えます」
イェンリンは慌てて、スセリを制止するように声を張った。
「待って!」
「なんでしょう」
「このゲームは、クリアが可能なんでしょうね?」
「もちろんです。では、エニアドを楽しんでください」
微笑を残し、スセリがイェンリンの前から姿を消す。
確かに存在したはずのスセリは、映像が消えるように一瞬で消えた。
イェンリンはふうと短く息を吐くと、左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。
「もしもし」
イツキはすぐ電話に出た。
「壁の中に入ったよ。スセリが言うログインってやつもした」
「そうですか。今どこに?」
「京都御苑の寺町御門。なんか小鬼って表示されてるモンスターがたくさんいるけど、近づいても大丈夫なのかな?」
「はい、大丈夫です。明日の正午、ゲーム開始までは動かないはずです」
「そう……」
京都御苑にある蛤御門や堺町御門などの外周門に比べ、小ぶりな寺町御門をイェンリンがくぐる。
「迎えに行きましょうか?」
「大丈夫。ホテルの場所は分かるし、ロビーで待ってて」
「分かりました」
電話を切ったイェンリンは足早にホテルを目指した。
真っ赤なハイヒールが砂利道の小石を蹴った。
イェンリンが異空間へ入った数分後、寺町通の封鎖されたエリアにレクサスの大型セダンが乗り付けた。
車から降りたのは、全身黒ずくめのゴシック&ロリータを身に
ゴスロリ青年はつかつかと迷いのない足取りで、ブルーシートで急造されたテントに足を踏み入れた。
警察官や自衛官の視線が青年の場違いな服装に集まる。その視線を気にする様子もなく、青年は後藤と猪上に軽い足取りで近付いた。
「
猪上がヒジリの服装を気にする様子はなかった。
「お疲れ様です。ここから壁の中に入ればいいんですよね」
ヒジリの口調はアルトボイスが似合う軽快なものだった。
平静な表情を崩さずに、後藤が口を開く。
「そうだ。異空間内に入った後は、速やかに鈴江、千種、李の三名と合流して欲しい。追って合流する五名を含めた九名で、スセリのいうゲームをクリアし、京都を解放してもらいたい」
「分かりました。じゃ、行きます」
軽やかな口調のまま答えたヒジリが、つかつかと漆黒の壁に近付く。
右手で壁に触れ、抵抗がないことを確かめると
壁を通り抜けたヒジリの前には、微笑を浮かべるスセリが立っていた。
「はじめまして。
スセリを見たヒジリは、調子を変えずに感想を口にした。
「きみがスセリなんだ。なんだ、かわいいじゃん」
「ありがとうございます。早速ですが、ログインしていただきます」
「ふーん」
スセリが指をパチンと鳴らし、ヒジリの全身が明るい緑色の光に包まれる。
ほんの数秒で緑色の光が消えると、ヒジリの服装と髪の色が変わっていた。
全身黒ずくめだった服装は純白のゴシック&ロリータに変わり、ヒジリ御自慢の光沢に満ちた長い黒髪も真っ白になっていた。
ヒジリはくるりと身体を回転させた。
「白ゴスかあ……まあ、わるくないかな」
「聖さんのゲーム内での属性は雷です」
「雷、ねえ……」
「ゲームに関する詳しい説明は、斎さんから聞いてください。では、わたしは消えます」
「ちょっと待った!」
「なんでしょう」
「このゲームって、どれぐらいのプレイ時間を想定してるの?」
「プレイヤーの進め方によって変化しますが、想定は約一ヶ月です」
「長いね」
「エニアドを楽しむには必要な時間と考えます。では」
スセリが一瞬で姿を消す。
ヒジリはやれやれといった風に軽く首を振ると、左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。
「もしもし」
イツキはワンコールで電話に出た。
「おまたせ。中に入ったよ。いまホテル?」
「ああ、そこらじゅうに湧いてる小鬼っていうモンスターは、まだ動かないから無視してくれ」
「りょーかい」
ヒジリが軽い口調で応じながら寺町御門をくぐる。
「じゃあ、ホテルのロビーで待ってるよ」
「うん。すぐ行く」
電話を切ったヒジリはホテルに向かって駆け出した。
真っ白なハイソールのブーツが砂利を蹴った。