第10話

アシュランは王宮を抜け出し、このまま逃げ去る計画を立てていた。こんな砂の国へ連れて来られるなんて、聞いてない。あの小娘はいつも無計画で勝手に進んでいく。危なっかしい、としか思えない。

この国はこんな気候の割には落ち着いていて、店も多い。人もそれなりに多く、治安もいいようである。


(あの男のせいか?)


将軍だとレンカは言った。あんなに綺麗な顔をしていて、あの強さは何なのだろうか。それにしても、あの顔はこの国では珍しいだろう。周囲を見渡せば褐色の肌を持つ者がほとんどで、白い肌の人間は数えるほどしかいない。

異国の血が流れているとなれば、目立ってしょうがないだろう。しかしあの男の堂々とした様は頭に来るところだ。剣を抜かせれば負けるかも、とアシュランは思ってしまう。


自分は、傭兵として何度も命を懸けてきた。ついこの間だって、ほぼ死んだようなものだ。しかし、あの男と全力でやり合えば、よくて相打ちか。そんなことを思いながらアシュランは歩いていく。


街の中を進んでいる時、嫌な音が聞こえた。馬の音だ。それもかなり早い、駿馬の走る音。山で育ったアシュランにはそれがよく分かる。まさか、と思って振り返ればそこにはすでに白い馬に跨ったレンカがいた。赤い瞳は冷たく、アシュランを突き刺す。


「ゲッ」

「貴様、奴隷の癖に、主人を置いて行くとはどういうつもりだ」

「俺は好きで奴隷になったんじゃねぇんだよ!」

「とにかく赤髪の乙女の元へ戻れ。貴様、これ以上離れれば命はないぞ」

「はぁ?」


奴隷の呪いについてアシュランは何も知らない。契約であることには変わりないのだが、それはほぼ呪いだ。主人から離れて国を出れば、奴隷はその身を呪われて死ぬ。奴隷が逃げ出すことを防ぐ為にかけられた呪いを、アシュランは知らないのだ。


「死ぬ気があるならいいがな。しかし死んだ後の処理が面倒だ」

「クッソ、あのアマ」

「言葉が汚い。国花選定師によくもそんな口が聞けるな」

「うるせぇな!アンタには関係ねぇだろうがよ!」


アシュランにとって、命を助けてもらったことは感謝しているが、奴隷にされたことは屈辱だった。傭兵であるとはいえ、それは奴隷になるという意味ではない。

レンカは最初からアシュランを奴隷だと言って、見下していた。見下している、というよりはアシュランの役割を明確にしたかったのかもしれない。彼にとって、地位や役職は、すべきことを達成するための線引きだ。

その線引きの為に、明らかにせねばならないことが多くある。それが地位と言うもの。彼はこの国の将軍というので、さぞやいい暮らしをしているのだろう、とアシュランは思った。


「フン、アンタみたいな、お貴族様と俺は生まれが違うんでね」

「……忠告しておくが、一国の将軍になるということが、どれだけのことかお前には想像がついているか?」

「む……なんだよ」

「しかも、俺はこの国で生まれ、この国の民でありながら、この容姿だ。周囲を見てみろ、金の髪も、白い肌も、赤い目の者なんて1人もいない。それがどんな意味か、分かるか?」


異質な存在として生まれたレンカ。それはつまり、言葉なき差別の世界に彼は生まれたのだ。母や姉とも、家族の誰とも色が違う。見た目が違う。それでも、同じ父を持ち、母を持った。


「……生憎、俺には親がいないんでね。そこらへんで勝手に育ったんだわ。食うに困るなら、犬でも猫でも殺して食って来た」

「……そうか、お前はそういう意味では賢いのだな」

「ああ?」

「私にはそんな勇気がなかった。口に入れられるものは制限され、腹を空かせていたことなど、恥ずかしながら何度もあったさ。でも、恐くて犬も猫も殺せなかった」


その目にあるのは、見た目が違うということで差別を受けてきた少年の目。アシュランは、レンカが少しだけ自分に似ている存在だと思った。集団は【異質】なモノを受け入れるのに、とても時間がかかる。

時間がかかるだけならないいのだが、受け入れて、それを日常とするにはもっと時間がかかるのだ。


「だから俺は将軍になった。どうせ目立つ。戦場でもいい的になるだろうと思ってな」

「ああ、その金色の髪ならいい的になるだろうよ。俺が撃ち抜いてやりたいくらいだ」

「フン、貴様、酒は飲めるのか」

「は?なんだよ、急に」

「俺の家に招待してやる」


そんなことを言われて、アシュランは面食らった。これ以上メインから離れれば呪いで死んでしまう、というのに、今度は家に来いという。しかし腹も減っていたし、酒が飲めるならいいか、と思ってアシュランは黙ってレンカの家について行った。


将軍だから、大きな屋敷に綺麗な妻が何人もいて、可愛いメイドに優秀な下僕でも山のようにいるのか、と思っていた。だが、レンカの家にいたのは老いた婆のメイドが1人きり。

しかし家は立派だった。宮殿とは言えないが、通気性がよく、中庭には池まである。美しい池には、花が咲き、魚が泳いでいた。


「池だ……」

「正確には、水路とつないである。この国は、街中の水路と川がつながっているので、魚は勝手に入ってくるんだ」

「他のも入ってくるだろ」

「結界をしているに決まっているだろ」

「おお、そうか。アンタ、魔術も使えるのか?」


中庭の池を覗きながら、アシュランは尋ねる。しかし、レンカは明確な返事をくれなかった。まだ信用されていないのだろう、とアシュランは思い、答えを諦めた。

池は、本当に透き通るような美しさの池だ。蓮の花だろうか、水に浮かぶように咲く花がある。こんなに立派なものをアシュランは見たことがなかった。


「食事だ。食え」

「おい、食堂くらい案内しろよ。将軍だろ」

「俺はここで、花を見ながら酒を飲むのが好きなんだ」


水に浮かぶ花。数は多くないが、多くないからこそ、より可憐で洗練されているように見える。ゆったりと泳ぐ魚の姿も、見ていて心が落ち着いた。


「お前は、本当に自分がどこの生まれか、知らないのか?」

「ああ、知らねぇよ。まあ母親は暗殺稼業の一族で、魔術師をしていたとは聞いたがな。父親は知らん」

「そうか。その髪は、魔術の後遺症だぞ。分かっているのか?」

「後遺症……?俺はそこまで魔術を使うことはない。この紫の髪は、昔からだ」

「知らんのか、魔術は使いすぎたり、失敗すると、胎児に異変を来す。お前の母は、お前を産み落とす直前まで魔術師として、勤めを果たしていたのだろうな」


レンカの出した酒は、赤く葡萄の香りがする酒だった。どこにでもあるような色をしていたが、飲んでみるととにかく美味い。婆の持ってきた食事も、なかなかに美味しかった。アシュランの食いっぷりを見て、レンカは鼻で笑う。


「警戒心の欠片もないのか?毒が盛ってあったらどうする?」

「あ?そんなん、あのブスに薬作らせりゃいーだろ」

「お前は……本当に国花選定師の価値を微塵も知らんくせに、活用方法だけはよく分かっているんだな」

「おうよ。それにアンタもおんなじもん食ってんのに、俺だけ毒盛ったって変な話だろ。アンタなら、剣の方が早い」

「それは上々の評価だ」


機嫌がいいのか、レンカは酒を飲み続ける。美味い酒と上手い食事。目の前には美しい花と池。横目で見れば、男前が座っている。女なら喜びそうな状況だが、アシュランにはよく分からない。


「で、俺の髪の話をしたかっただけか?」

「いや……お前にも視えているのではないか、と思ってな」

「ああ?」

「お前の目も、俺と同じ魔眼だろう。魔に関することが視える目のことだ」

「……その話はしたくねぇな」

「そうか。理由は?」

「理由なんてねぇよ」

「理由のない感情はいつか暴れるぞ。止められなくなる」


なに言ってるんだコイツ、とアシュランは思った。しかし隣にいるのは綺麗な顔で酒を飲む、この国の将軍しかいない。